瓊瓊杵尊 邇邇芸尊 天孫降臨
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1 :
名無しさん@chs
2008/11/02(日) 13:42:34
ID:JBH/hGzg
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『古事記』では神名を「天饌岐志国饌岐志天津日高日子番能邇邇芸尊(あめにぎしくににぎしあまつひこひこほのににぎのみこと)」、『日本書紀』では「天津日子火瓊瓊杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)」
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61 :
名無しさん@chs
2009/02/04(水) 07:26:17
ID:gD1e0zzI
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『宋史』日本伝『王年代記』による日本歴代の主(王)
1.天御中主
2.天村雲尊(天牟羅雲命)
3.天八重雲尊(天八百日尊。天御中主5代目の孫か?)
4.天弥聞尊(神聞勝命。天御中主の17代目の孫か?)
5.天忍勝尊(高皇産霊尊の御子か?)
6.贍波尊(天波与命。天牟羅雲命の御子か?)
7.万魂尊(神万魂尊。天御中主11世の孫)
8.利々魂尊(天剛川命。神万魂尊の御子か?)
9.国狭槌尊(天神七代の第二位)
10.角龔魂尊(角竜魂尊・角樴魂尊)
11.汲津丹尊(埿土煮尊・沙土煮尊か?)
12.面垂見尊(面足尊であろう)
13.国常立尊(国底立尊ともいう。天神七代の第一位)
14.天鑑尊(天鏡尊。国常立尊の御子)
15.天万尊(天鏡尊の御子)
16.沫名杵尊(沫蕩尊。天万尊の御子)
17.伊弉諾尊
18.素戔鳴尊
19.天照大神尊(天照大神)
20.正哉吾勝速日天押穂耳(正哉吾勝勝速日天押穂耳尊)
21.天彦尊(天津彦彦火火瓊々杵尊であろう)
22.炎尊(彦火火出見尊であろう)
23.彦瀲尊
日本伝は、984年に東大寺の僧「然(ちようねん)が宋の太宗に献上した「王年代記」によるものです。 ここに用いられている漢字2字の天皇名は、日本書紀成立後の722年に生まれた淡海三船の撰といわれています
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62 :
名無しさん@chs
2009/02/04(水) 07:31:26
ID:gD1e0zzI
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淡海三船
(おうみのみふね、養老6年(722年) - 延暦4年7月17日(785年8月30日))は、奈良時代後期の文人。天智天皇の皇子大友皇子の曽孫。父は葛野王の子池辺王。はじめ御船王。天平年中に出家して元開と称す。天平勝宝3年、
鴎外は『帝謚考』の前半で、歴代天皇の漢風諡号を考えたのは淡海三船であるという説を支持
井沢氏は、淡海三船が一括に決めたという説を否定
天平宝字六〜八(762〜4)年に神武天皇から持統天皇、元明・元正天皇の諡号が一括撰進された事が漢風諡号を奉られた初見です。
一括撰進をしたのは淡海三船で、三船は大友親王の曾孫で『続日本紀』延暦四年秋七月に死去した際
三船性識聡敏。渉覧群書、尤好筆礼、宝字元年、賜姓淡海真人
とあり博識で知られ宝亀年間(770-780)に三度、大学頭に任じられており且つ文章博士も兼任していました。
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63 :
名無しさん@chs
2009/02/04(水) 07:35:22
ID:gD1e0zzI
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石上宅嗣とともに「文人之首」と称された淡海三船
鑑真の伝記『唐大和上東征伝』の著者
淡海三船(七二二〜七八五年)は、姓は淡海、名は三船(または「御船」)、俗称は三船王(または「御船王」)、詩文には多く淡三船を名のる。出家して元開と改め、のちに敕を奉じて還俗、真人の姓を賜わった。
父は池辺王といいといい、大友皇子の孫、葛野王の子にあたり、天智天皇一族の血筋を引いている。淡海三船は、皇族の出自としては仕途にめぐまれず、延暦四年(七八五)七月十七日、「刑部卿従四位下兼因幡守」の任にあって世を去り、享年六四歳であった
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64 :
名無しさん@chs
2009/02/04(水) 07:37:58
ID:gD1e0zzI
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『続日本紀』卷第三十八の「卒伝」
庚戌、刑部卿従四位下兼因幡守淡海真人三船卒しぬ。三船は大友親王の曾孫なり。
祖葛野王は正四位上式部卿なり。父池辺王は従五位上内匠頭なり。三船は性聡敏に
して群書を渉覧し、尤も笔札を好む。宝字元年、姓を淡海真人と賜わり、起家して
式部少丞を拝す。累に遷りて、宝字中に従五位下を授けられ、式部少輔、参河・美作
の守を歴たり。八年、造池使に充てられ、近江国に往きて陂池を修め造る。時に恵
美仲麻呂、宇治より道きて、走りて近江に拠り、先ず使者を遣わして兵馬を調え発
てしむ。三船、勢多に在りて、使判官佐伯宿禰三野と共に、賊使と同悪の徒とを捉
縛す。尋ぎて将軍日下部宿禰子麿・佐伯宿禰伊達ら、数百騎を率いて至りて勢
多橋を焼き断つ。故を以て、賊、江を渡ること得ずして、高嶋郡に奔る。功を以
て、正五位上勲三等を授けられて、近江介に除せらる。中務大輔兼侍従に遷され、
尋ぎて東山道巡察使に補せられ、出でて採訪して、事畢りて復奏するに、昇降慥な
らずして頗る朝旨に乖けり。敕有りて譴責せらる。出でて大宰少弐と為り、刑部大
輔に遷され、大判事、大学頭頭兼文章博士を歴たり。宝亀の末、従四位下を授けら
れ、刑部卿兼因幡守を拝す。卒しぬる時、年六十四。
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65 :
名無しさん@chs
2009/02/04(水) 07:43:03
ID:gD1e0zzI
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空海は、淡海三船や鄭玄もさりながら、叔父である亀毛先生こと阿刀大足や槇尾山寺の勤操など儒学派の虚亡隠士;つまりは神仙タオイズムの修験者の多大なる影響を享けた
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66 :
名無しさん@chs
2009/02/04(水) 07:44:33
ID:gD1e0zzI
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大伴氏
磯城島の大和の国にあきらけき名に負ふ伴の男こころつとめよ(20-4466)
(この大和の国において、曇りない名を持つ一族の者たちよ、決して心を緩めるな。)
剣(つるぎ)大刀(たち)いよよ研ぐべし古ゆさやけく負ひて来にしその名ぞ(20-4467)
(剣太刀を研ぐように、大伴の名をさらに明澄に磨ぎ澄ますべきである。遥かな過去から、きわやかに負ってきたその名であるぞ。)
左注には、「淡海真人三船の讒言に縁り、出雲守大伴古慈斐宿禰解任せらる。是を以ちて家持此の歌を作る」とある。天平勝宝八歳、大伴古慈斐が淡海三船とともに朝廷誹謗の罪を着せられた事件に触発された作
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67 :
名無しさん@chs
2009/02/04(水) 07:48:00
ID:gD1e0zzI
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『経国集』 平安初期の漢詩文集。
『凌雲集』・『文華秀麗集』につぐ第3の勅撰集。
827年、良岑安世が淳和天皇の勅を奉じて撰じた。
嵯峨天皇・石上宅嗣・淡海三船・空海らの作品を収録している。
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68 :
名無しさん@chs
2009/02/04(水) 07:51:39
ID:gD1e0zzI
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1.大伴氏と同族関係に有るとされる佐伯連(後に宿禰)。大伴氏と同じく天孫降臨の時に先導を行った天忍日命(あめのおしひのみこと)を祖とする。たびたび政争に巻き込まれ(関連を参照)、一族から処罰される者をたびたび出した事なども影響し、徐々に衰える。
2.ヤマト王権(後の朝廷)に捕らえられ、もしくは従い、兵力・労働力として全国に配された蝦夷の事を佐伯部と呼んだ。
3.佐伯部を従えて朝廷より使わされた者、又は地方で佐伯部を従えた有力豪族が佐伯直と呼ばれた。都においては佐伯連に統率された。
以上のいずれもが佐伯氏とされるため、出自、身分等極めて多様
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69 :
名無しさん@chs
2009/02/04(水) 07:58:35
ID:gD1e0zzI
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空海(774−835)
@父;佐伯直田公 母;阿古屋御前(多度津海岸寺「阿刀真足」女)
A幼名;佐伯真魚 大伴連談の子「歌」の9代孫。
B774年讃岐国多度郡に生まれる。15才で上京。791年18才で大学入学。
母の弟?である阿刀大足が当時伊予親王持講即ち家庭教師をしており、これの教えを受けたとも言われている。788年頃長岡京にいたらしい。
C804年留学僧として、入唐。806年帰国。密教を伝える。
D811年山城国乙訓郡「乙訓寺」の別当に任命され約2年ここに在住。
E815年高野山金剛峰寺建立。
F823年52嵯峨天皇より「東寺」を給預され、密教の根本道場とする。
G825年頃参議であり、東寺、西寺の検校であった「伴国道」と親交を結んだ。
H828年陸奥按察使となった国道に書状を送っている。(高野雑筆集)
I835年没す。921年60醍醐天皇より、「弘法大師」の諡号を賜った。
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70 :
名無しさん@chs
2012/04/14(土) 12:46:40
ID:5K/YW1Us
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>>60
>ある事情により、「火明命」を祀るように・・・・・・・
どういう事情だったのですか?
天橋立△籠神社▽元伊勢 A
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