日本武尊と讃岐の神櫛王
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名無しさん@chs
2007/04/21(土) 06:09:31
ID:38f297e948
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臣の祖といわれている『若日子建吉備津日子命』の子女は、第十代景行天皇と結ばれ、皇子『神櫛王』が生まれている。『神櫛王』は讃岐国造の祖といわれ、その墓は、『牟礼の王墓』にあり毎年十月二十日には宮内庁からも来讃し、『神櫛王』を祀っている。そして、日本武尊が『神櫛王』の兄で、讃岐綾氏の祖といわれる『讃留霊王(武殻王)』の父です。讃留霊王は、讃岐綾一族の祖といわれています。
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199 :
名無しさん@chs
2010/07/18(日) 14:55:43
ID:caJr4RaU
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宮路天神社
壬申の乱のとき、後の持統天皇の皇子、草壁皇子が陣を構えた地である。持統天皇の三河御行のおり、若くしてなくなった草壁皇子を追慕し、嶽大明神を祀り、後に宮路天神社となったとされる。
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200 :
名無しさん@chs
2010/07/18(日) 15:06:13
ID:caJr4RaU
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人麿は持統天皇、文武天皇に仕え、殊に和歌の道に優れ、万葉集に沢山の歌を残してている。また任地石見の国においても国守となり .... 明石市の人丸山にも柿本神社があり、人麿を祭神として祀る。境内には人麿にちなんだ筆柿、盲杖桜、歌碑などがある。
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202 :
名無しさん@chs
2011/02/04(金) 08:35:12
ID:tsG+ICGY
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延喜式に「備中國十八座・下道(しもつみち)郡(のこほり)五座」にその名が見える。それと目されるのが岡山県高梁市川上町高山市のC穴門山神社である。岡山県と広島県境の近くで、附近には人家もない奥深い山中に鎮座する。城壁とも見える石垣の上の神社は装飾を施した古い権現造りで、天照大神、倉稲魂大神(豊受大神)、足仲彦命(日本武尊の第二皇子)、穴門武姫命(吉備武彦の娘で日本武尊の妃)の四柱を祀り、赤浜宮とも呼称する
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203 :
名無しさん@chs
2011/02/04(金) 08:37:00
ID:tsG+ICGY
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もう1社
穴門山神社は、創建不詳の古社で、倉敷市真備町妹の高山の山頂近くに鎮座する。社殿の背後には古代祭祀跡なのか、樹々の中に磐座とも思える巨岩が点在する。室町から安土桃山時代にかけての戦乱で、先の川上郡高山村に当社の行在所を設けて避難したという。再建は二百年後の寛保年間である。その際に裏に蜻蛉を刻した径三寸の六角形の神鏡が出土した。こちらも赤浜宮を称し、此処を延喜式内社とする説もある。主祭神には穴戸武姫命を祀る。
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204 :
名無しさん@chs
2011/02/04(金) 08:41:49
ID:tsG+ICGY
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神功皇后と大臣武内宿禰は仲哀天皇の喪を隠して、天下に知らせませんでした。
そうして、皇后は大臣と中臣の烏賊津の連(むらじ)、大三輪の大友主の君、
物部のイクヒの連、大友のタケモツの連に、
「今、天下はまだ天皇が崩御された事を知らない。
もし群臣・人民が知ったら、戦意を喪失するであろう。」
と言われました。
そこで四人の大夫に命じて、百寮を率いて宮中を守らせました。
ひそかに天皇の屍(しかばね)を収めて、武内宿禰に命じて
海路で穴門の宮に遷しました。
こうして豊浦の宮で殯(もがり)をして、灯火を付けずに
御霊をあげる儀式をしました。
甲子(きのえねー22日)に大臣武内宿禰は穴門から戻ってきて、
皇后に帰還を報告しました。
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205 :
名無しさん@chs
2011/02/04(金) 08:45:17
ID:tsG+ICGY
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中央の紀氏 紀朝臣 紀角宿禰(武内宿禰の子)もしくは屋主忍雄武雄心命(武内宿禰の父)を祖とする皇別氏族
紀の国の紀氏は古墳時代初頭の昔から紀の国の豪族であったが、大和王権に媚びでその由緒を捨て去り、神別・皇別氏族へ鞍替えをした。
武内宿禰が紀伊国造宇豆彦の女宇乃媛を娶り角宿禰を産む。大和国平群県紀里に家す。
平群坐紀氏神社 奈良県生駒郡平群町上庄字辻の宮
孝元天皇と伊迦賀色許売命の子が比古布都押信命、この皇子と木の国の造の祖先の宇豆比古の妹の山下影日売の子が建内の宿禰とある。生誕の地に武内神社が鎮座している。
日本書紀 孝元天皇の項
孝元天皇と伊香色謎命の子が彦太忍信命、武内宿禰の祖父である
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206 :
名無しさん@chs
2011/02/04(金) 08:55:33
ID:tsG+ICGY
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丹後の籠神社で亀に乗る像を見かけたが、 神武天皇を案内したという倭宿禰命の像であった。 倭宿禰命は珍彦(うずひこ)とも呼ばれているが『古事記』によれば、第八代孝元天皇の孫である武内宿禰は、 武内宿禰の母は珍彦(うずひこ)宇豆比古の妹の山下影日売の子
『古事記』孝元天皇条
「また木国造の祖、宇豆比古の妹、山下影日売を娶して生める子、建内宿禰(たけしうちのすくね)」
その男児七人、それぞれ蘇我、平群、木(紀)、葛城らの二十七の臣姓氏族の祖となる。
『日本書紀』景行天皇条
「紀直(きの・あたい)が遠祖菟道彦(うぢひこ)が女・影媛を娶りて、武内宿禰を生ましむ」
菟道彦――宇豆比古――影媛
籠神社・国宝海部氏系図「勘注系図」前書き
彦火明命――○――○――宇豆彦命――――・・・倭宿禰命
彦火明命=尾張連始祖。天孫瓊瓊杵命(ににぎ)の子。末裔は摂津住之江の津守連。
すべて海人族の祖人としている。
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207 :
名無しさん@chs
2011/02/04(金) 08:58:48
ID:tsG+ICGY
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堅田神社(神戸市西区平野町黒田)の伝承 神武天皇一族が明石川を船でのぼり、このあたりに水田を開いた。そして、一人の皇子を残して天皇は東の大和へ向かったと伝えている。境内に神武天皇遙拝所あり。また、近くの春日神社には神武天皇を祀り宇留の宮(うるのみや)としたとの伝承が残されている。
倭宿禰命は海部宮司家の四代目の祖で神武天皇が御東遷の途次、明石海峡に亀にのって現れ、天皇を大和の国へ先導したといわれ、 さらに、大和建国の功労者として倭宿禰の称号を賜ったと丹後籠神社に伝えられている
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208 :
名無しさん@chs
2011/02/04(金) 09:01:15
ID:tsG+ICGY
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摂津国つまり現在の神戸市灘区の六甲山中腹にある、倭直祖椎根津彦を祭神とする式内社の保久良神社