道主 日葉酢媛
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1 :
名無しさん@chs
2007/05/08(火) 09:24:08
ID:4fa82b3c2f
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彦坐は、開化と和珥氏の女との王子で、古事記によれば(書記にはない)山代の苅幡戸弁を娶り大俣王を、同族丸邇の袁祁都比売を娶って山代の大筒木王を、沙本の大闇見戸売を娶り、沙本毘古・沙本毘売を、近近江の息長水依比売を娶って道主王・水穂王を生んだという。
その道主王の子が日葉酢媛姉妹で、山城に本拠をもち、水穂真若王は近近江の安値の祖であるという
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7 :
名無しさん@chs
2007/05/08(火) 14:23:00
ID:4fa82b3c2f
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竹野郡丹後町宮に天照皇
大神を祭る竹野神社がある。その摂社に斎宮神社があり、日子坐王命、建豊波豆良和気命、
竹野媛命を祭っています。 竹野姫は高齢になられて、里帰りされ以後、天照大神を斎き祀っ
たことから斎宮神社の名前があるという
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8 :
名無しさん@chs
2007/05/08(火) 14:33:40
ID:4fa82b3c2f
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部の伝承 綾部市内には日子坐王・丹波道主命に関係のある伝承をもつ神社が二つある。その一つは上杉町の八坂神社である。祭神は素戔鳴尊・大己貴尊・少彦名命。受持之神で、昔は飯宮(はんのみや)大明神と称した。社伝によると崇神天皇の十年秋、丹波国青葉山に玖賀耳という強賊がいて良民を苦しめるので、勅命を受けた日子坐王・丹波道主命が軍をひきいてきたところ、丹波国麻多之東において毒蛇にかまれ進むことができなくなった。時に天より声があったので、素戔鳴尊ほか三神をまつったところ験があって病がなおり、首尾よく賊を平げることができた。帰途、この地に素戔鳴尊と諸神をまつったのに由来するというのである。(飯宮由来記)前に記した『丹後風土記』の記事と符合する伝説である。八坂神社には、「永久五酉稔(一一一七)三月総社麻多波牟官神」の銘のある神鏡が伝わっていたから、平安時代には八田郷の総社であったと思われる。
もう一つは広瀬町の伊也神社である。ここには、「崇神天皇の御代丹波道主命本郡に来り 甲ケ峯の麓に宮を築き天照大神 素戔鳴尊 月読尊の三神を崇敬し神社にまつった」という伝承がある。
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9 :
名無しさん@chs
2007/05/09(水) 14:15:28
ID:cfe6bc4cfc
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大筒木垂根と丹波道主が同一人物とすれば迦具土(本牟津別=朝廷別王)と迦具夜姫は兄妹
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10 :
名無しさん@chs
2007/05/09(水) 14:20:20
ID:cfe6bc4cfc
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伊也神社 山家史誌(山家史誌編纂委員会)より
祭神:大日霊貴尊・素盞鳴尊・月夜見尊 広瀬町城山1413 境内:2313平米
祭日:旧九月十六日 伝説に崇神天皇十年丹波道主王この地に光臨し給う。王の薨後伊也神社を勧請するという。始め伊也ケ谷(伊神)の奥の御社に祀ったが、天正八年(1580)に火災にあい現在地に遷す。
谷藩では伊也神社を稲荷神社と読んでいたらしいが、延喜式巻第十に丹波国何鹿郡の十二座の内の一社に記され、式内社として明瞭である。旧地には三抱え余りの樫の古木が残っている。
幣箱の蓋裏書に「寄附文化七痍午年(1810)冬十月七日従二位清原宣光謹書」とあり箱内には祈祷書があって「開化天皇 仁應九代 垂仁天皇十一代 景行天皇 行丹波道主之王也丹波国何鹿郡山家庄甲峯三神天照太神、素蓋鳴尊 月夜見尊守護神諸神達 助計給比守利給辺上祈祷申(たすけたまひまもりたまえあげいのりもうし)事謹美々々申寿(ことつつしみ々々もうす)文化七庚午年(1810)冬十月七日 寄附奉納願成就 印 従二位清原宣光謹書印印」と、書かれている。
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11 :
名無しさん@chs
2007/05/09(水) 14:26:45
ID:cfe6bc4cfc
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こんな記事があった
紀伊の熊野に勧請する途中、「当社に熊野神が一時留まりませる」という神社が鎮座、熊野神社と書いて、イヤ神社と読まれています
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12 :
名無しさん@chs
2007/05/09(水) 14:27:42
ID:cfe6bc4cfc
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揖夜神社。『出雲国風土記』には伊布夜社、延喜式には揖夜神社とみえる。祭神はイザナミノミコト
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13 :
名無しさん@chs
2007/05/09(水) 14:31:27
ID:cfe6bc4cfc
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揖夜神社[いや]「伊弉冉命、大己貴命、少彦名命、事代主命」
出雲国風土記には[言屋社]と出ている。
古事記神代巻には伊賦夜坂に就いて記されている。
同社坐韓國伊太神社[・・カラクニイタテ]
揖夜神社本社域内の同社坐韓國伊太神社「素盞嗚命、五十猛命」
風土記の[伊布夜社]である。
島根県八束郡東出雲町揖夜字宮山2229
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14 :
名無しさん@chs
2007/05/09(水) 21:07:57
ID:132de7432a
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「若狭国神名帳ニ『正五位闇見明神』トアリ、若狭国誌ニ『成願寺ニ在リ、今天神ト称ス。弘化三丙午年七月三日深夜民家ヨリ出火ノ際、当社類焼社殿書類悉ク焼失、現本殿ハ安政四年再建セルモノナリ。伴信友著『神社私考』ニ第九代開化天皇ノ皇子日子坐王(若狭耳別ノ祖)ノ妃ニシテ室毘古王(現美浜町宮代鎮座 弥美神社ノ御祭神)ノ御母・沙本之大闇見戸売ヲ祀ル』トアリ、現鳥居ハ、旧藩主酒井忠勝公の奉献ナリ。
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15 :
名無しさん@chs
2007/05/10(木) 11:34:21
ID:322e136053
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日葉酸媛(ひばすひめ)陵古墳 (陵山古墳)
奈良市山陵町
全長207メートルの前方後円墳。
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16 :
名無しさん@chs
2007/06/14(木) 10:45:46
ID:02e9d4195b
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天目一箇神は播磨国風土記の託賀郡(多可郡)の条に天目一命の名で登場する。土地の女神・道主日女命(みちぬしひめのみこと)が父のわからない子を産んだが、子に盟酒(うけいざけ)をつぐ相手を諸神から選ばせたところ、天目一命についだことから天目一命が子の父であるとわかったというもので、この神話は農耕民と製銅者集団の融合を表していると考えられている