巴形銅器
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1 :
名無しさん@chs
2007/05/10(木) 09:44:00
ID:322e136053
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愛知県西春日井郡清洲町朝日地内の朝日遺跡
巴形銅器分類での「5脚左捩半球形座巴形銅器」(ごきゃくひだりねじりはんきゅうけいざともえがたどうき)
大きさは、巴径(ともえけい)5.6cm、座径(ざけい)3.0cm、高さ1.1cm。
5脚の左捩(ひだりねじり)で、内側にも外側にも文様はありません。表面は全体によく磨かれており(使用した痕跡)、光沢を持っています。内面には棒状鈕(ぼうじょうちゅう)とよばれる橋状のものがあります。また内側の面の全体にはベンガラという赤色顔料が見られます。植物繊維などの付着はありませんでした
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39 :
名無しさん@chs
2007/05/10(木) 11:30:09
ID:322e136053
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日本書記巻六
埴輪の起源
天皇は以後殉死を禁じ、出雲の野見宿禰(のみのすくね)の進言によって、皇后である日葉酢媛が死去した際には、墓には、人の代わり埴輪を作って並べた
古事記
倭彦(古事記では倭日子)の殉葬が行われたという記事は、崇神天皇(垂仁と倭彦の父)の系譜の中に倭日子命の名があり、その名の下に注の形で、「此の王の時に、始めて陵に人垣を立てき」と記録されている。これによれば、墳墓に殉死をしたのはこの時が「始めて」であり、それまでは行われていなか
った事になる。そして、垂仁記の末尾に、「其の大后比婆須比売命の時に、石祝作(いしつくり)を定め、又、土師(はじ)部を定めき」と記録。埴輪を立てたとか野見宿禰の名前は登場しない。
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40 :
名無しさん@chs
2007/05/10(木) 11:38:49
ID:322e136053
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方保田東原遺跡
かとうだひがしばる
熊本県山鹿市
弥生時代前期〜古墳時代後期に亘る複合遺跡。120棟の住居址、溝状遺構5本などが発掘された。特に出土品に目を見張るものがあり、国内唯一の石庖丁型鉄器や国内最大の巴形銅器など多数の青銅器が発掘された。
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41 :
名無しさん@chs
2007/05/10(木) 13:30:20
ID:322e136053
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唐津市桜馬場遺跡は、弥生時代中期からAD1世紀あたりの後期の甕棺墓地である。松浦川左岸砂丘上に当たり、戦中防空壕構築中に桜馬場3丁目の宅地から甕棺が出土し、棺内から副葬品として、後漢鏡2面、銅釧26個、巴形銅器3個、鉄刀片1個、ガラス小玉1個が発見された。
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42 :
名無しさん@chs
2007/05/10(木) 14:37:29
ID:322e136053
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銚子塚古墳:東日本最大級の前方後円墳
長さ169メートル、高さ15メートルの古墳
甲府盆地を見渡せる
1928(昭和3)年に偶然石室が発見され、鏡・勾玉(まがたま)・管玉・鉄剣など副葬品が出土しました。鏡のうち「三角縁神人車馬鏡」は、備前車塚古墳・群馬県三本木古墳および福岡県藤崎遺跡出土鏡
と同じ鋳型から作られていました
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43 :
名無しさん@chs
2007/05/10(木) 14:40:03
ID:322e136053
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三角縁神獣鏡の同じ鋳型で作った鏡(同型鏡)は、関東に達しているものは、また、吉備にも多いという。
岡山県の備前車塚古墳で発見された13枚の鏡の中に、各地で出土したものと同型の三角縁神獣鏡が8種9枚ある。
そのうち4枚が、次のような東国の遺跡から出土した鏡と同型であった。
群馬県の北山茶臼山古墳
群馬県の三本木古墳
山梨県の銚子塚古墳
神奈川県の真土大塚山古墳
しかも、これらの同型鏡は、日本武の尊の東征経路に沿って分布している
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44 :
名無しさん@chs
2007/05/10(木) 14:47:13
ID:322e136053
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甲斐銚子塚古墳(かい ちょうしづか こふん)は、山梨県甲府市下曽根町(旧東八代郡中道町)にある古墳。県内最古期の前方後円墳で、国指定史跡「銚子塚古墳附丸山塚古墳」。
副葬品としては、鏡5が出土。岡山県岡山市の備前車塚古墳や群馬県三本木古墳と同笵関係にある三角縁神人車馬鏡1、内行花文鏡1、だ龍鏡1、三角縁神獣鏡1、文帯神獣鏡1。ほか、水晶製勾玉4、碧玉製管玉、車輪石6、鉄刀4、鉄剣3、鉄鏃片、貝製腕輪1、杵形木製品、特殊器台系譜の初期円筒埴輪などが出土
築造年代は古墳時代前期の4世紀後半
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45 :
名無しさん@chs
2007/05/10(木) 14:55:52
ID:322e136053
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佐久神社の由来(略記)
祭神 向山土本毘古王は彦火々出見尊の後裔にて、日向の国高屋御殿にて御誕生せられ日向土本毘古王と号せられた。長じて第二代綏靖天皇の大臣となる。後に甲斐の国造に任命され、臣佐々直武、長田足、円後辨尼、其の他衆多の臣及千人の人夫を引き連れ、甲斐に御入国せられる。(BC五六一年)其の頃甲斐の中央部は一面の湖であり、この湖水を疏導する為、土地の豪族苗敷山に住める六度仙人(去来王子)姥口山に住める山祇右左辨羅などの協力を得て、南方山麓鰍沢禹の瀬の開削により、水を今の富士川に落し、多くの平土を得、住民安住の地を確保した。其の功績は偉大であり、甲斐の大開祖として崇められた(工事着手BC五五四年、三ヶ年後完成)。王は第四代懿徳天皇、四年八月十四日薨去せられ(BC四七二年)大宮山(古宮の地)に奉葬す。後に雄略天皇二年(AD四五八年)土仏築山に改葬せられる。今の天神山古墳之なり。崇神天皇八年、(BC九〇年)二月三日甲斐国大開祖向山土本毘古王を祀る為、国祭を以って宮殿が造営せられ、佐久大明神と号せられる。(大宮山古宮の地)。同年三月三日正一位を賜り、正一位佐久大明神となる。神名については、旧記に、佐久大明神の他に大宮大明神、向山大明神、蹴裂大明神、弓手力雄神、又手力雄神等種々見ゆるが、手力雄神に因んだものは、王生前に手力雄神を崇敬し、常に心で祈願して居たと言う関係と思われる。延喜式の撰文に見える神名は佐久の神、蹋霹神、文化十一年(AD一八一五年)の甲斐国誌は、神名手刀雄神としてあるが、之は誤りである。
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46 :
名無しさん@chs
2007/05/10(木) 15:45:25
ID:322e136053
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景行紀、日本武尊の蝦夷征伐に吉備武彦と大伴武日が従う。日高見国での蝦夷征討の後、甲斐国の酒折宮で武日は靫負部を賜わる。
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47 :
名無しさん@chs
2007/06/10(日) 13:32:07
ID:436ddb62e0
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吉野ヶ里で発見された鋳型:巴型銅器
鋳型が出土したのは吉野ヶ里が初めてだという
巴型銅器は中国、朝鮮半島には無いんです。日本列島独特、弥生時代で北部九州・瀬戸内海にかけて独特なんです。だからその独特の鋳型なるものは日本列島で作られたと考えざるを得ない
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48 :
名無しさん@chs
2007/06/10(日) 13:34:51
ID:436ddb62e0
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巴はというと「水が渦を巻く様子」を意味し、神田明神の「流れ三つ巴」は、まさにこの水流を象徴している。