景行天皇の時代 九州
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1 :
名無しさん@chs
2007/06/10(日) 08:16:22
ID:436ddb62e0
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垂仁天皇の第三皇子、母は日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)。
皇后:播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ。若建吉備津日子の女) 景行52年薨去
櫛角別王(くしつのわけのみこ)
大碓皇子(おおうすのみこ)
小碓尊(おうすのみこと、日本武尊)
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32 :
名無しさん@chs
2007/06/10(日) 10:05:30
ID:436ddb62e0
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豊後の国(今の大分県)を通って、日向の国に入ると、「高屋宮(たかやのみや)」という仮の住まいを建てました。
ある日、天皇はクマソを討つ作戦を考えていました。
「聞くところによると、クマソにはクマソタケルという強者(つわもの)がいるらしい。何かうまく倒(たお)す方法はないものか」
すると一人の家来が進み出て言いました。
「クマソタケルには二人の娘がいます。この娘にたくさん贈り物をして味方につけましょう」
「それは良い考えだ」
天皇はそういうと、二人の娘のうち姉のイチフカヤを味方につけることに成功しました。 イチフカヤは言いました。
「私に良い考えがあります」
イチフカヤは家に帰ると強いお酒をたくさん用意して父クマソタケルにそれを飲ませるとクマソタケルは酔(よ)ってぐっすり寝てしまい、その間に天皇の兵によって殺されてしまいました。
クマソタケルを失ったクマソ一族は、勢力を失い、その半年後には天皇によって完全にほろぼされてしまいました。
また、景行天皇はミハカシヒメという美しい女性を妻に迎(むか)え、トヨクニワケノミコという名の男の子をもうけました。トヨクニワケノミコは日向を支配した「国造(くにのみやつこ)」の先祖といわれています。
また、あるとき、天皇は児湯(こゆ)地方に出かけ、そのとき、東の方を見て、こう言いました。
「この国はまっすぐに日の出る方に向かっている」
それでこの地方を名付けて「日向(ひむか)」というようになったそうです
西都原古墳群の特徴
1 柄鏡式前方後円墳の群在
古墳時代前期に築造され、前方部が細長く・高さが低く・幅が狭い特徴を持つ日向独特の築造形式の前方後円墳、日向地方以外では景行天皇の巡幸経路に存在するのみで、全国的には極めて少ない。
2 男狭穂塚と女狭穂塚の築造
両塚とも畿内及び吉備地方以外には存在しない日本最大の古墳、5世紀前半に築造された日向大国の大首長墓と思われる。
3 地下式横穴墓の北限南九州独特の墓制で、鹿児島県大隅半島から宮崎県一ッ瀬川流域にかけて600基以上が存在し、西都原古墳群では墳丘墓と混在している。