倭国 倭人
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1 :
名無しさん@chs
2007/06/20(水) 13:11:33
ID:b25b820547
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五つの倭国
□ 「倭国」とよばれるものを数えてみると少なくとも五つあります。
1.『魏志倭人傳』の卑弥呼女王の倭国。
2.『日本書紀』『古事記』の倭国。大倭国・日本国とも記される。 ちなみに『延喜式』『姓氏録』には大和国、また『萬葉集』は山跡国と も記される。
3.『日本書紀』に記された半島に任那日本府ありと記す。
4.『広開土王碑』に刻まれた倭国。中国の鴨緑江中流域の江畔にあり、倭国 軍が進出したと記す。
5.『宗書』に記された倭の五王の倭国。中国南朝の宗国へ朝貢した倭の五王 が官爵・称号を求めたと記す。
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21 :
名無しさん@chs
2007/06/20(水) 13:50:26
ID:b25b820547
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倭宿禰命を祭る神社
豊後国海部郡 椎根津彦神社
摂津国菟原郡 保久良神社
越後國頸城郡 青海神社
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22 :
名無しさん@chs
2007/06/20(水) 13:52:04
ID:b25b820547
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天村雲命は別名として、天五多底命と呼ばれる。『日本書紀一書』で、五十猛尊は素盞嗚尊の高天原追放時、樹種を持って一緒に天降りしているので、天上界の誕生と見られており、天津神に分類する上田正昭氏のような学者もおられる。
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23 :
名無しさん@chs
2007/06/20(水) 13:57:55
ID:b25b820547
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安城市というのは昔三河碧海郡(へきかいぐん)」と呼ばれていた地域で、この「碧海」こそ、「青海(アオウミ)」、陶祖神とも呼ばれている「椎根津彦命(シイネツヒコノミコト)」の後と言われている青海首(アウミオビト)一族の住んだ地域であるのです。
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24 :
名無しさん@chs
2007/06/20(水) 14:01:08
ID:b25b820547
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垂仁紀二六年条、市磯長尾市を大国魂神の祭司とした由緒
「倭大神」が「穂積臣の遠祖大水口宿禰に著って」こういったという。
「太初之時、期(ちぎ)りて曰く『天照大神は悉に天原を治さむ。皇御孫尊(大王)は葦原中国の八十魂神を治さむ。我は親(みずか)ら大地司を治さむ』とのたまふ。言すでに訖(おわ)りぬ。然るに先皇御間城天皇、神祇を祭祀りたまふと雖も、微細しくは未だ其の源根を探りたまはずして、粗に枝葉に留めたまへり。故、其の天皇命短し。ここを以って、今汝御孫尊、先皇の不及を悔いて慎み祭ひまつりたまはば、汝尊の寿命延長く、また天下太平がむ」
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25 :
名無しさん@chs
2007/06/20(水) 14:06:30
ID:b25b820547
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契約の内容も領有地についての相互の約束事であるらしい。そして崇神はその約束を破棄してその土地を奪い、そのために命を縮めるにいたった。垂仁はこれをもって改めて契約の施行を求められている。さもないと垂仁の命も永くはないと脅されている。
契約した大王は神武である。契約した氏族の首長は椎根津彦か?それとも、磯城葉江宗家氏・長髓彦氏か?
熊野に上陸してからも軍将の一人として活躍している。磐余の兄磯城を攻めるときも、神武の命で弟猾と敵軍中を潜入し香久山の土をとって奉じた。神武はこの土で平瓮をつくり、これを祀って軍を進めたのである。この進軍も椎根津彦の参謀によったという
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26 :
名無しさん@chs
2007/06/20(水) 14:09:04
ID:b25b820547
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椎根津彦を一部仮託するとみられる大和坐大国玉神神社の祭司が市磯長尾市(崇神紀)・長尾市宿禰(垂仁紀)という名
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27 :
名無しさん@chs
2007/06/20(水) 14:09:32
ID:b25b820547
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姓氏録
地祇に分類した上で椎根津彦の父武位起を海神の子振魂命の子としているが、ここに注目すべきつぎのような記述がある。
大和宿禰。神知津彦命より出る也。神日本磐余彦天皇日向国より大和国に向い、速吸門に到るとき時・・・・・即ちひきて皇船に入れて海導と為し給う。仍って神知津彦(一名椎根津彦)と号く。能く軍機の策を宣しければ、天皇之を嘉し給い、大倭国造に任じ給う。是れ大倭(宿禰)の始祖也。
神知津彦というのである。
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28 :
名無しさん@chs
2007/06/20(水) 14:10:56
ID:b25b820547
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【丹後の国 籠神社に伝わる海部氏本紀の系図】から。
始祖天火明命−天香語山命−天村雲命亦名天五十楯(妃−伊加利姫)−倭宿禰
始祖天火明命−天香語山命−天村雲命(妃−大屋津比売)−熊野高倉下
【丹後の国 籠神社に伝わる海部氏勘注系図】
始祖彦火明命−彦火火出見命−建位起命(たけくらき、たけいたつ)−宇豆彦命
倭宿禰とは神武東征時、水先案内となった珍彦こと椎根津彦
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29 :
名無しさん@chs
2007/06/20(水) 14:12:18
ID:b25b820547
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。『旧事本紀』では、天村雲命の子の天忍人命は葛木出石姫を娶り、また天忍男命は葛木奈良知姫を娶っています。丹後と葛木とは天村雲命の子の段階で葛木の姫達と婚姻関係で結ばれていた
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30 :
名無しさん@chs
2007/06/20(水) 14:21:28
ID:b25b820547
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崇神は即位後の元年、母の同母兄たる伯父伊香色雄をして磯城を攻め、これを撃ち破った。
かくして崇神は、大王氏の歴史のなかでも、瞠目すべき特異な大王となった。崇神の事績の最大のものは、巨大な姻族磯城氏を攻め滅ぼして、その地を大王氏の版図としたことであると思う。