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羽衣伝説 神社

1 : 名無しさん@chs    2007/07/05(木) 16:09:43   ID:2428e4514e 
御穂神社 (清水三保)

大己貴命(三穗津彦命) 三穗津姫命
創祀年代は不詳。

三保大明神として崇敬されているお宮。
三代実録の神階徐位の記事に「御廬神」とあり、
「御廬」は、当地の旧郡名である「廬原」(イホハラ)から
ミイホと読み、ミホと読まれるようになったと考えられる。
御穂津彦命は、大己貴命の別命とされているが、
建御名方命・三保須々美命であるという説もある。

磯前神社(少彦名神)、呉服之神社(長白羽命)、
産霊神社(高皇産霊命・神皇産霊命)、胡夫大夫神社(事代主命)、
稲荷神社(宇迦御魂神・大宮姫命・太田命)


49 : 名無しさん@chs    2007/07/30(月) 14:20:54   ID:780842442b 
白鳥神社
香川県東かがわ市松原69
祭神:日本武尊、両道入姫命、橘姫命


大和武尊の白鳥伝説の地は、伊勢国能褒野でなくなり白鳥に化し、大和国琴弾原、河内国旧市邑に止まり、更に讃岐国大内郡三里の松原に止まり、ここに神霊を祀った。


50 : 名無しさん@chs    2007/07/30(月) 14:27:23   ID:780842442b 
湖北の余呉湖では白鳥が少女の姿となって水泳中、伊香登美に衣を盗まれ、止むなく彼の妻となって、菅原道真公を生んだという伝説がある。
 ハクチョウは古語ではクグイといい、私の妹は二人共現在神奈川県藤沢市鵠沼(くげぬま)に住んでいるが、その地名の起りとなっている沼は現在でも残っており、昔ここに白鳥が渡来したと伝えられている。


51 : 名無しさん@chs    2007/07/30(月) 14:33:49   ID:780842442b 
倭建命の御子等、并せて六柱なり。故、帶中津日
子命は、天の下治しめしき。次に稲依別王は、(犬上君[いぬかみのきみ]・建部君[たけるべのきみ]等の祖)。



次に建貝兒王は、(讃岐の綾君・伊勢の別・登袁の別・麻佐の首[おびと]・宮首の別等の祖)。足鏡別王は、(鎌倉の
別・小津、石代の別・漁田の別の祖なり)。次に息長田別王[おきながたわけのみこ]の子、杙俣長日子王[くひまたなが
つひこのみこ]。此の王の子、飯野眞黒比賣命[いひののまぐろひめ]。



次に息長眞若中比賣[おきながまわかなかつひめ]。次に弟比賣(三柱)。故、上に云へる若建王、飯野眞黒比賣命を
娶して、生める子、須賣伊呂大中日子王[すめいろおほなかつひこのみこ]。此の王、淡海の柴野入杵[しばのいりきね]
の女、柴野比賣を娶して、生める子、迦具漏比賣命[かぐろひめのみこと]。



故、大帶日子天皇、此の迦具漏比賣命を娶して、生みませる子、大江王[おほえのみこ](一柱)。此の王、庶妹[ままい
も]銀王[しろがねのみこ]を娶して、生める子、大名方王[おほなかたのみこ]。次に大中比賣命[おほなかひめのみこと]
(二柱)。此の大中比賣命は、香坂王[かごさかのみこ]、忍熊王[おしくまのみこ]の御祖なり。


52 : 名無しさん@chs    2007/07/30(月) 14:35:52   ID:780842442b 
足利の語源

『古事記』に出てくる倭建命(やまとたけるのみこと)の御子、足鏡別王(あしかがみわけのきみ)がこの土地を治めたという言い伝えから、「足鏡」という言葉が転じて、「足利」となったとされています。


53 : 名無しさん@chs    2007/07/30(月) 15:02:14   ID:780842442b 
十城別王、稚武王、そのほかにタラシナカツヒコというのがあるが、彼は14代の仲哀天皇である。これらが何につながっていくかというと仲哀天皇の后であった神功皇后である。佐賀県には神功皇后にちなむ伝説がたくさんある。神功皇后が三韓に出兵したときに十城別王、稚武王も従軍したと伝えられている。志々岐神については、平戸に志々伎神社があるが、こちらも十城別王が祭られており、七郎神というのは、神功皇后に関わる人が祭られているといえる。

54 : 名無しさん@chs    2007/07/30(月) 15:12:55   ID:780842442b 
古事記では櫛角別王から大碓命・小碓命・倭根子命・神櫛王まで5人は母を同じとしている。継母だとすると若帯日子命(わかたらしひこのみこと)の母、八坂の入日売命(いりひめのみこと)ということになるのだが…。

55 : 名無しさん@chs    2008/07/08(火) 13:08:39   ID:96Ys/kVE 
中国には天の川を挟んで対峙する牽牛星と織姫星を恋人同士になぞらえ、一年に一度逢瀬を楽しむという乞巧奠(きっこうでん)という習俗があった。これが日本に輸入されると、宮廷や貴族の行事となり、最も古い記録は持統天皇5(691)年に記されているという。
星を祀るというのは星辰信仰であるが、一種の陰陽道的祭祀といえる。陰陽道祭祀には、律令制祭祀と同質の国家レベルでの儒教的祭祀と、道教的性格の個人・民間レベルの星祭という道教的な星辰信仰の2つの流れがあるという。

『古事記』に星の神は登場しない


56 : 名無しさん@chs    2008/07/08(火) 13:08:57   ID:96Ys/kVE 
中国には天の川を挟んで対峙する牽牛星と織姫星を恋人同士になぞらえ、一年に一度逢瀬を楽しむという乞巧奠(きっこうでん)という習俗があった。これが日本に輸入されると、宮廷や貴族の行事となり、最も古い記録は持統天皇5(691)年に記されているという。
星を祀るというのは星辰信仰であるが、一種の陰陽道的祭祀といえる。陰陽道祭祀には、律令制祭祀と同質の国家レベルでの儒教的祭祀と、道教的性格の個人・民間レベルの星祭という道教的な星辰信仰の2つの流れがあるという。

『古事記』に星の神は登場しない


57 : 名無しさん@chs    2008/07/08(火) 13:09:14   ID:96Ys/kVE 
中国には天の川を挟んで対峙する牽牛星と織姫星を恋人同士になぞらえ、一年に一度逢瀬を楽しむという乞巧奠(きっこうでん)という習俗があった。これが日本に輸入されると、宮廷や貴族の行事となり、最も古い記録は持統天皇5(691)年に記されているという。
星を祀るというのは星辰信仰であるが、一種の陰陽道的祭祀といえる。陰陽道祭祀には、律令制祭祀と同質の国家レベルでの儒教的祭祀と、道教的性格の個人・民間レベルの星祭という道教的な星辰信仰の2つの流れがあるという。

『古事記』に星の神は登場しない


58 : 名無しさん@chs    2008/07/08(火) 13:27:18   ID:96Ys/kVE 
宮中で七夕の行事がはじめられたよりも、少し前から七夕の歌が歌われていた

万葉集では(2029)で初めて、七夕(なぬかのよ)の歌が読まれているようです。

天漢(あまのがわ)梶音聞(かじおときこゆ)孫星(ひこぼしと)
与織女(たなばたつめと)今夕相霜(こよいあふらしも) 
 万葉集でたなばたは他に「織女」と書かれておりますが、新古今和歌集では「七夕」となっています




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