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豊葦原中津国

1 : 名無しさん@chs    2007/07/08(日) 22:32:59   ID:25e57cc0b2 
倉敷・福山説

芦原、中津原付近を通り、吉備の国と備後の国の境に至るのである。
 さらに、福山という場所は、穴の海と呼ばれる深い湾がおくまで入り込んでいた。その湾沿いと思われる場所に葦原とか中津原という地名が今でも残っているのは、単なる偶然なのであろうか。また、スサノウがこの福山にやってきたときスサノウを受け入れたものは、茅(葦の仲間)の輪を掲げ、受け入れなかったものはスサノウの軍勢に倒されたという伝承がある。


2 : 名無しさん@chs    2007/07/08(日) 22:34:12   ID:25e57cc0b2 
豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(とよあしはらのちあきながいほあきのみずほのくに)

天照大御神の命(みこと)以(も)ちて、「豊葦原之千秋長五百秋之水穂(とよあしはらのちあきのながいほあきのみづほの)国は、我が御子、正勝吾勝勝速日天忍穂耳(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみの)命知らす国ぞ。」と言因(ことよ)さし賜ひて、天降(あまくだ)したまひき。是に天忍穂耳命、天(あめ)の浮橋(うきはし)に多多志(たたし)て詔(の)りたまひけらく、「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国は、伊多久佐夜芸弖有那理(いたくさやぎてありなり)。」と告(の)りたまひて、更に還り上りて、天照大神に請(まを)したまひき。爾に高御産巣日神、天照大御神の命以ちて、天安河の河原に、八百万(やほよろづ)の神を神集(かむつど)へに集へて、思金(おもひかねの)神に思はしめて詔りたまひけらく、「此の葦原中国は、我が御子の知らす国と言依(ことよ)さし賜へりし国なり。故(ゆえ)、此の国に道速振(ちはやぶ)る荒振(あらぶ)る国つ神等(ども)の多在(さはな)りと以為(おも)ほす。是れ何(いづ)れの神を使はしてか言趣(ことむ)けむ。」とのりたまひき。爾に思金神及(また)八百万の神、議(はか)り白(まを)しけらく、「天菩比(あめのほひの)神、是れ遣はすべし。」とまをしき。故、天菩比神を遣はしつれば、乃ち大国主神に媚(こ)び附きて、三年(みとせ)に至るまで復奏(かへりごとまを)さざりき。


3 : 名無しさん@chs    2007/07/08(日) 22:35:44   ID:25e57cc0b2 
葦原中国(あしはらのなかつくに)

このような呼ばれ方もしています。葦原は同じですが、中国(なかつくに)とは、高天原(たかまがはら−天)と根国(ねのくに−冥界)の中間にあることを示しています。


4 : 名無しさん@chs    2007/07/08(日) 22:39:16   ID:25e57cc0b2 
大和・河内

「塩土の翁に聞くと『東の方に良い土地があり、青い山が取り巻いている。
その中へ天磐船に乗って、とび降った者がある』と。思うにその土地は、
大業をひろめ天下を治めるに良いであろう。きっとこの国の中心地だろう。
そのとび降ってきた者は饒速日というものであろう。そこに行って
都を造るにかぎる。」(日本書紀・神武天皇 神日本磐余彦天皇の条)


5 : 名無しさん@chs    2007/07/08(日) 22:40:55   ID:25e57cc0b2 
天上界と地上界という抽象的区分での天上界という意味での「高天原」です。これに対応する地上界が「豊葦原の水穂の国」で、日本列島全体を意味します。

一方、江戸中期の多田義俊は、豊葦原の「豊」は豊前・ 豊後の「豊」であり、また、中ツ国は豊前の中津と解釈している。また、日本書紀の一書の「三女神を葦原中国の宇佐嶋に降り居さしむ」での葦原中国も豊前と理解すべきとしている


6 : 名無しさん@chs    2007/07/08(日) 22:42:29   ID:25e57cc0b2 
『日本書紀』の記録によると、大国主大神はこの国づくりの大業が完成すると、日本民族の大親神である天照大御神に、その豊葦原の瑞穂国をお譲りされたとあります。天照大御神は大国主大神の私心のない「国譲り」にいたく感激され、大国主大神のために天日隅宮(あめのひすみのみや)をおつくりになり、第二子である天穂日命を大国主大神に仕えさせられました。

7 : 名無しさん@chs    2007/07/08(日) 22:50:04   ID:25e57cc0b2 
島根を根の国、高天原との中間に有った津の国。平野になる前は葦生い茂る湿地帯だった

高天原が九州ならば、福山ー吉備 あたりが中津国でもおかしくない。
蘇民将来の伝説もこのあたりが発祥の地といわれている。スサノオが九州を攻めるときの話でした。


8 : 名無しさん@chs    2007/07/08(日) 22:54:09   ID:25e57cc0b2 
遠賀川の河口部の説もあった

不弥国は「記紀」に書かれた「豊葦原の中つ国」のことである。すなわち「天照大神」が自らの子孫が治めるべき所とし、天孫「邇邇芸尊(ににぎのみこと)」を降臨させたとする日本建国神話発祥の地である。「豊葦原の中つ国」の「豊」は「豊の国」であり、「葦原」は葦の多く生えた土地のことで、「中つ国」は北部九州(邪馬壹国の支配域)のまん中の国のことである。「葦原」を形成するのは、彦山川・穂波川・中元寺川・犬鳴川など72支流を合わせ、芦屋州口まで全長56Kmを流れる「遠賀川」である。遠賀(おんが)は大神(おおがみ)が転化したものである。


9 : 名無しさん@chs    2007/07/08(日) 22:55:42   ID:25e57cc0b2 
この列島が「豊葦原水穂国」と初めて名指されるのは、天孫降臨と深く結びついている。
 水辺に茂る天然の葦原は、水田稲作によって人の田として開かれていく。著者は「豊葦原水穂国」の「豊」という祝辞は葦原の「葦」にかからず、水穂国の「国」にかかるとする宣長説に疑問を呈し、それはこの語の全体を抱擁する祝辞であるとしている。


10 : 名無しさん@chs    2007/07/08(日) 22:58:39   ID:25e57cc0b2 
幤舞(ぬさまい)・散供(さんぐう)

この場所を神を迎える場所として設定する神楽の舞
歌詞

幣の立っている、この場所も高天原(たかまがはら)であるので、集まりなさい四方の神々
東を拝めば神が降りる。諸々の神も花の様に美しく見える
神代の昔から3種の宝が備わっていて、豊葦原の象徴になる
南を拝めば神が降りる。諸々の神も花の様に美しく見える
昔から天照大神の教えでは、人の生命を守るために邪悪を祓います
西を拝めば神が降りる。諸々の神も花の様に美しく見える
神の道は色々あるけれど、真ん中の道は神に通じている
北を拝めば神が降りる。諸々の神も花の様に美しく見える
五十鈴川(いすずがわ)の清い流れが速ければ諸々の罪は残らない
中央を拝めば神が降りる。諸々の神も花の様に美しく見える
この場を清める者は神を守る者、山の榊・海の塩
黄龍を拝めば神が降りる。諸々の神も花の様に美しく見える
陰陽・陰陽この注連を誰のところにとどけよう


11 : 名無しさん@chs    2007/07/08(日) 23:01:53   ID:25e57cc0b2 
『日本書紀』は「天孫降臨」段の一書(別伝を記した註)の中で、天照大御神が瓊瓊杵尊に下された、次のやうな神勅を伝へてゐます。

「天壌無窮の神勅」

「葦原千五百秋瑞穂国、是吾子孫可王之地也、宜爾皇孫就而治焉、行矣、寶祚之隆當與天壤無窮者矣」
(あしはらのちいほあきのみづほのくには、これあがうみのこのきみたるべきくになり、よろしくいましすめみまゆきてしらせ、さきくませ、あまつひつぎのさかへまさむことまさにあめつちときはまりなかるべし)

 およその意味は「この日本の国は、私の子孫が君主たるべき国である。さあ瓊瓊杵尊よ、行つてしつかりと治めなさい。つつがなくお行きなさい。天つ日嗣(あまつひつぎ・寶祚…天皇の御位)は、天地と共に限りなく栄えるでせう」です。


12 : 名無しさん@chs    2007/07/08(日) 23:03:21   ID:25e57cc0b2 
こんな説もある

大和朝廷とは出雲族と天孫族の連合政権、すなわち豊葦原千五百秋瑞穂国=豊国(九州)+葦原(出雲)+千五百(長門・周防)+秋(安芸)+瑞穂(吉備)なのである。


13 : 名無しさん@chs    2007/07/08(日) 23:10:27   ID:25e57cc0b2 
豊葦原之千秋長五百秋水穂国(とよあしはらのちあきながいほあきのみづほのくに)は、古事記の解説には「豊かな葦原で、長く、久しく稲穂の実る国の意味。書記には、千五百秋之瑞穂国、とある」と説明している。
天照大御神は、天忍穂耳命に、これを与えた。しかし、天降る途中で還って来て、「この国は大変乱れている。」と告げた


14 : 名無しさん@chs    2007/07/08(日) 23:13:19   ID:25e57cc0b2 
巻第三 天神本紀:旧事本紀の饒速日降臨の記

天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊。亦の名、天火明命、亦の名、天照国照彦天火明尊。
  亦饒速日命と云う。亦の名、膽杵曦丹杵穂命。

天照太神が詔して言われた、『この豊葦原之瑞穂国は吾御子、天押穂耳尊が治められるべき国である』と。
そこで、天押穂耳尊が天降ろうとしている時、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊がお生まれになった。
そこで天押穂耳尊が言われた、『わたしが装束を付けています時に子が生まれました。わたしの代わりに
この子を天降らせます』と。大神はその申し出を許され、天璽瑞宝(あまつかんだから)十種を授けられた。
その十種とは、

  ・沖都鏡(おきつかがみ)一つ        ・死返玉(まかるがえしのたま)一つ
  ・邉津鏡(へつのかがみ)一つ       ・道返玉(みちがえしのたま)一つ
  ・八握劔(やつかのつるぎ)一つ       ・蛇比禮(へみのひれ)一つ
  ・生玉(いくたま)一つ             ・蜂比禮(はちのひれ)一つ
  ・足玉(たるたま)一つ             ・品物比禮(くさぐさのもののひれ)一つ

饒速日尊が天降られる時、天神の詔として、『もし痛むところがあれば、この十種の宝をして、「ひふみ
よいむなやこと」 と言い、「ふるべゆらゆらとふるべ」 の呪文を唱えよ。そうすれば死人も生き返る』と
教えられた。高皇産霊尊は、『中国で敵対するものが有れば、よく方便を尽くして防ぎ拒み、治平を遂げよ』

言われて、三二人を防衛者として付けて天降りの供奉とされた。

 天香語山命、尾張連等祖  天鈿売命、媛女君等祖  天太玉命、忌部首等祖
 天児屋命、中臣連等祖 天櫛玉命、鴨縣主等祖  天道根命、川瀬造等祖
 天神玉命、三嶋縣主等祖  天椹野命、中跡直等祖  天糠戸命、鏡作連等祖
 天明玉命、 玉作連等祖 天村雲命、度会神主等祖 天神立命、山瀬久我直等祖
 天御陰命、凡河内直等祖  天造日女命、安曇連等祖 天世平命、久我直等祖
 天斗麻祢命、額田部湯坐連等祖  天背男命、尾張中嶋海部直等祖
 天玉櫛彦命、間人連等祖  天湯津彦命、安芸邦造等祖 天神魂命、 葛野鴨縣主等祖
 天三降命、 豊国宇佐国造等祖  天日神命、縣主対馬縣主  等祖
 乳速日命、 広湍神麻連等祖 八坂彦命、 伊勢神麻続連等祖 伊佐布魂命、 倭文連等祖
 伊岐志邇保命、 山城国造等祖 活玉命、 新田部直等祖 少彦根命、  鳥取連等祖
 事湯彦命、 畝尾連等祖 八意志兼神児表春命、 信乃阿智祝部等祖
 次下春命、 武蔵秩父国造等祖 月神命、 壱岐縣主等祖


15 : 名無しさん@chs    2007/07/08(日) 23:14:57   ID:25e57cc0b2 
日本書紀

天照大神が『我が子(天忍穂耳尊)を降しまつらん』と支度をしておられた時、瓊々杵尊が
生まれられたので、この皇孫を代えて降された。八坂瓊曲玉、八咫鏡、草薙剣の三種の宝物をたまわり、
天児屋根命、太玉命、天鈿女、石凝姥命、玉屋命を五部神(いつのとものおのかみたち)として添えてはべら
しめられた。そして天照大神は 『豊葦原の千五百秋の瑞穂国は、是れ吾が子孫の王たるべき地なり。
宜しく爾(いまし)皇孫行きて治めよ。さきくませ、あまつひつぎの栄えまさんこと天壌(あめつち)と
きわまりなかるべし』とおっしゃって降された、と出ています。一書では、瓊々杵尊が生まれたての赤子で
あったので、高皇産霊尊が真床覆衾(まとこおいふすま)にくるんで降臨させられた、とあります。


16 : 名無しさん@chs    2007/07/08(日) 23:18:12   ID:25e57cc0b2 
『日本書紀』巻第一・第四段 一書第一

一書曰。天神謂伊弉諾尊。伊弉冊尊曰。
有豐葦原千五百秋瑞穗之地。宜汝往脩之。廼賜天瓊戈。
於是。二神立於天上浮橋。投戈求地。因畫滄海。
而引擧之。即戈鋒垂落之潮。結而爲嶋。名曰磤馭慮嶋。
二神降居彼嶋。化作八尋之殿。又化竪天柱。
陽神問陰神曰。汝身有何成耶。
對曰。吾身具成而。有稱陰元者一處。
陽神曰。吾身亦具成而。有稱陽元者一處。
思欲以吾身陽元。合汝身之陰元。云爾。


17 : 名無しさん@chs    2007/07/09(月) 17:18:02   ID:9d3fc0103f 
吉備が中津国との説
www.webtelevi.com/kibitaro.htm


18 : 名無しさん@chs    2007/07/09(月) 17:24:17   ID:9d3fc0103f 
上記WEBより

那岐山から備前に入ると赤磐郡の吉井町にスサノオがヤマタノオロチを斬った剣を洗った「血洗の滝」、
その近くにスサノオとアマテラスの対決で誕生した宗像三女神を祀る宗形神社、金刀比羅山もありました。
大和の石上神宮との関連性を日本書紀でも紹介している石上にはスサノオの剣を祭った布都魂(ふつたま)神社、
赤坂町にイザナギ・イザナミを祭る多賀神社がありました。佐伯町にスサノオ神社、加三方磐座遺跡、英田町に天石門別神社もあります


19 : 名無しさん@chs    2007/11/23(金) 21:15:46   ID:a4d1321a83 
古事記では、淡路島は、「淡道之穂之狹別嶋」が正式の記載であるが、
(上記)では、「阿波路之穂之早別之嶋」(アワジノホノサワケノシマ)と記されている。
淡路とは「阿波の路」つまり徳島に行く道を示している。


20 : 名無しさん@chs    2007/11/23(金) 21:17:18   ID:a4d1321a83 
古事記で、伊邪那伎命が月讀命に対して、
「『汝命は、夜の食國を知らせ』と事依さしき。」という記述がある。
古事記の解説では、抽象的に「夜の世界」だなどと、語っているが、不謹慎である。

「夜の食国」とは四国のことである。
夜の国=依るの国=飯依比古の国
食国=大食国=大宜都比賣の国
であり、二名とは「夜の国」と「食国」の事を指しているのである


21 : 名無しさん@chs    2007/11/23(金) 21:18:23   ID:a4d1321a83 
「粟国」「大食媛」の名が示すように、穀物としての粟の産地であり、

それ故、四国のことを伊豫嶋と呼び、中心地が粟・讃岐であった??


22 : 名無しさん@chs    2007/11/23(金) 21:19:54   ID:a4d1321a83 
古事記については、不思議な記述がある。
即ち、大八島國を生んだ後の記述である。
『然後、還坐之時』「然ありて後、還ります時」の一節である。
大八島國を生んだ後、帰る途中で「吉備兒島・小豆嶋・大嶋・女嶋・知訶嶋・兩兒嶋」と順に6つの島を生んでいるのである。
ここで、還るとは何処に還るというのであろう


23 : 名無しさん@chs    2007/11/23(金) 21:22:06   ID:a4d1321a83 
知訶嶋は「天之忍男嶋」(アメノオシオノシマ)とも呼ぶ。
知訶嶋というのは、現在の長崎県の小値賀島であろうか。
この島はかつて神島と呼ばれており、神島神社がある。


24 : 時の旅人    2011/10/26(水) 11:48:45   ID:yn+d3H9+ 
私見を申し上げると、
吉備兒島は、その名の通り、吉備の小島半島のことで、元々は島で、後に干拓して本州と陸続きとなった。
亦の名が建日方別で、この「別」は「和気」のこと。つまり、倭(和=大和)に征服されたことを意味する。
ちなみに、ここで言う、倭とは、魏志倭人伝に出てくる、邪馬台国を滅ぼした狗那國を指す。
狗那國は、天皇家の先祖の発祥の地で、元々の領土は四国北部の阿波國、讃岐國、伊予國である。
古事記の国生み神話で、「別」の付かない大きな島や国は、この三国しかない。

小豆嶋は、たぶん、瀬戸内海の小豆島との説が一般的であり、亦の名が大野手比賣からも、その通りと思われる。

大嶋は、山口県の大島との説が多いが、亦の名大多麻留別から、台湾島としたい。
台湾の古名は、瑠求で、瑠の字は、おお(王)+留(溜の原字)で別は、前述の倭の支配地を表す。
では、誰が瑠求を支配下に置いたのかと言うと、山幸彦が海神の宮を訪問している。
普通ならば、ここで三年もの間、留まる必要はない。
つまり、支配下にするための行動を行ったと考えるのが常識である。
第八代の孝元天皇(大倭根子日子国玖琉命)が、山幸彦に相当すると考えられる。
それは、台湾の位置が、大倭(日本)の根っこであり、玖琉が瑠求の表現に近いからである。

女嶋は、大分県の姫島などが当てられている。
この様に小さな島より、大きな島が沢山ある。
亦の名が天一根と女から、沖縄本島を当てるのが、正しいと思われる。
天一根から、台湾同様に日本の根っこ部であり、島の形が女あるいはメの形に似ているから名づけられたと考える。

知訶嶋(亦の名は、天之忍男・アメノオシオではなくアマノオシオが正しい)は、長崎県の五島列島に当てる説が一般的であるが、
亦の名の天之忍男のイメージとは合わないので、ここでは、北方領土(国後、択捉島)を当てることにする。

兩兒嶋(亦の名は、天兩屋・アマノフタヤ)は、長崎県の男女群島を当てる説が多いが、これも古事記に記載するに値しない島である。
国生み神話の最初に出てきた、淤能碁呂嶋(おのごろじま)を忘れてはいませんか。
淤能碁呂嶋とは、旗が垂れた形をして、碁盤とが連なった形をした島のことで、樺太と北海道がつながった形の島を言う。
つまり、兩兒嶋とは、日本列島の上部にあって、樺太と北海道となった島を言う。

ちなみに、最初に不完全であった三つの島は、淤能碁呂嶋、水蛭子(ひるこ)、淡島(あわしま)。
水蛭子は、東日本で、淡島は西日本を言う。
古事記の八俣の大蛇退治は、水蛭子と淡島が合体した後の火山活動の模様を表している。
また、稲羽の素兎は、伊豆半島が南方から本州に合体した時の様子を表している。




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