豊葦原中津国
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1 :
名無しさん@chs
2007/07/08(日) 22:32:59
ID:25e57cc0b2
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倉敷・福山説
芦原、中津原付近を通り、吉備の国と備後の国の境に至るのである。
さらに、福山という場所は、穴の海と呼ばれる深い湾がおくまで入り込んでいた。その湾沿いと思われる場所に葦原とか中津原という地名が今でも残っているのは、単なる偶然なのであろうか。また、スサノウがこの福山にやってきたときスサノウを受け入れたものは、茅(葦の仲間)の輪を掲げ、受け入れなかったものはスサノウの軍勢に倒されたという伝承がある。
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24 :
時の旅人
2011/10/26(水) 11:48:45
ID:yn+d3H9+
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私見を申し上げると、
吉備兒島は、その名の通り、吉備の小島半島のことで、元々は島で、後に干拓して本州と陸続きとなった。
亦の名が建日方別で、この「別」は「和気」のこと。つまり、倭(和=大和)に征服されたことを意味する。
ちなみに、ここで言う、倭とは、魏志倭人伝に出てくる、邪馬台国を滅ぼした狗那國を指す。
狗那國は、天皇家の先祖の発祥の地で、元々の領土は四国北部の阿波國、讃岐國、伊予國である。
古事記の国生み神話で、「別」の付かない大きな島や国は、この三国しかない。
小豆嶋は、たぶん、瀬戸内海の小豆島との説が一般的であり、亦の名が大野手比賣からも、その通りと思われる。
大嶋は、山口県の大島との説が多いが、亦の名大多麻留別から、台湾島としたい。
台湾の古名は、瑠求で、瑠の字は、おお(王)+留(溜の原字)で別は、前述の倭の支配地を表す。
では、誰が瑠求を支配下に置いたのかと言うと、山幸彦が海神の宮を訪問している。
普通ならば、ここで三年もの間、留まる必要はない。
つまり、支配下にするための行動を行ったと考えるのが常識である。
第八代の孝元天皇(大倭根子日子国玖琉命)が、山幸彦に相当すると考えられる。
それは、台湾の位置が、大倭(日本)の根っこであり、玖琉が瑠求の表現に近いからである。
女嶋は、大分県の姫島などが当てられている。
この様に小さな島より、大きな島が沢山ある。
亦の名が天一根と女から、沖縄本島を当てるのが、正しいと思われる。
天一根から、台湾同様に日本の根っこ部であり、島の形が女あるいはメの形に似ているから名づけられたと考える。
知訶嶋(亦の名は、天之忍男・アメノオシオではなくアマノオシオが正しい)は、長崎県の五島列島に当てる説が一般的であるが、
亦の名の天之忍男のイメージとは合わないので、ここでは、北方領土(国後、択捉島)を当てることにする。
兩兒嶋(亦の名は、天兩屋・アマノフタヤ)は、長崎県の男女群島を当てる説が多いが、これも古事記に記載するに値しない島である。
国生み神話の最初に出てきた、淤能碁呂嶋(おのごろじま)を忘れてはいませんか。
淤能碁呂嶋とは、旗が垂れた形をして、碁盤とが連なった形をした島のことで、樺太と北海道がつながった形の島を言う。
つまり、兩兒嶋とは、日本列島の上部にあって、樺太と北海道となった島を言う。
ちなみに、最初に不完全であった三つの島は、淤能碁呂嶋、水蛭子(ひるこ)、淡島(あわしま)。
水蛭子は、東日本で、淡島は西日本を言う。
古事記の八俣の大蛇退治は、水蛭子と淡島が合体した後の火山活動の模様を表している。
また、稲羽の素兎は、伊豆半島が南方から本州に合体した時の様子を表している。