絹 麻 織物
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1 :
名無しさん@chs
2007/07/19(木) 16:52:34
ID:8f76f3d829
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福井県の繊維産業の歴史をみると、文献で福井県織物の記録が初めてみられるのは「続日本書記」です。その記録には、元明天皇が奈良時代の和銅5年(712)に越前など20ヶ国に綾錦絹織物の生産を命じたことが記されており、さらに平安時代初期の延喜5年(905)には、越前、若狭、加賀など36ヶ国から絹帛を朝貢させたことが史実にある
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2 :
名無しさん@chs
2008/02/12(火) 15:41:56
ID:E9sMrjXQ
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千葉県は古来、麻の産地であり「総国・ふさのくに」の総は麻を表しております。その中にある印旛地方は下総国成立以前は印旛国であり、朝廷より国造(くにのみやつこ)が派遣されておりました。その国造に多一族の伊都許利命が就任してたとの記録が先代舊事本紀に記載されております。その国造が代々祀ってきたのが当社であり、「麻の国で多氏が賀す神の社」と訓読みすることが出来ます。鎮座地の「佐倉 」という地名も「麻の倉」が転じてと言われており、佐倉地方が古代物流の中心的地位を占めていたことが判ります。
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3 :
名無しさん@chs
2008/08/16(土) 07:43:17
ID:0+YhIfd+
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蜀・三星堆の初代王といわれるのが「蚕叢」であるが、養蚕を発明し「民に蚕桑を教えた」(馮堅『続事始』)ことから「蚕の神」として尊ばれた。わが国にも蚕神がおり、山城国葛野郡の式内社、木島坐天照御魂神社(京都市右京区太秦森ケ東町)の境内に蚕養神社(いわゆる「蚕の社」)がある。丹波国桑田郡の大原社も蚕飼いするものの信仰する神社といい、これら神社は、当初鴨一族葛野県主が奉斎し、遷住してきた秦氏も蚕養神社を奉斎したものであろう。木島坐天照御魂神社がその名の通り太陽神奉斎であれば、有名な「三柱の鳥居」は三本足の烏や神樹の根本が三つに分かれていることに通じるものであろう
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4 :
名無しさん@chs
2009/06/13(土) 19:28:54
ID:Hplvk99c
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麁服(あらたえ)
阿波は、麻や楮などの生産地であったことが「古語拾遺」や「倭名類聚鈔」などにみえる。阿波の開拓者は忌部氏。忌部は、もともと斎部(さいべ)ともいわれ神明に奉仕した部族である。阿波と讃岐の忌部がよく知られているが、紀伊、伊勢、出雲、筑紫などにも住み畑地の開拓に当たった。日本神話は、阿波忌部は瓊々杵尊(ニニギノミコト)の従臣、天日鷲命(アメノヒワシノミコト)を祖とする部族と伝えている。
阿波忌部氏は太古から天皇が即位のときは麻から麁服(あらたえ)を織り、践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい)に貢進してきた。麁服の貢進には、阿波忌部の直系・三木家が関わり、御衣御殿人(みぞみあらかんど)として朝廷と深い関係を保ってきたのである。太政官から忌部宿禰あて貢進の要請文書など鎌倉から室町期にかけての古文書が多数保存され、三木家付属資料館(写真左右)に展示されている。
三木家は、今日においても連綿として御衣御殿人の役割を果たし続けている。南北朝動乱期から江戸期まで中断していた麁服の貢進が大正時代に復活し、昭和、平成と受け継がれた。平成の践祚大嘗祭に伴う貢進では、木屋平で栽培、調製された麻から山崎忌部神社の織殿で麁服が織られた。周辺市町村の関係者あげて貢進に当たり、その様子は三木家付属資料館に展示された記録写真等からうかがい知ることができる。
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5 :
名無しさん@chs
2009/06/23(火) 11:40:40
ID:c/SqZEjg
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出典:www.y-amenity.net/sub/kimura.html
忌部廣成1撰「古語拾遺」によると忌部氏は中臣氏と並ぶ大部族で朝廷の神祭に奉仕をしていた。そして天太玉命が忌部系の神を率いて阿波に来たとあるが、いつ頃阿波に進出したのであろうか。
忌部山型石室古墳が現山川町から鴨島町にかけて23基築造されていて、土出品等からも6世紀の中頃、西暦550年頃に旧麻植郡に現れたと推定できますが、まだ以前に進出してきたとも思われます。
地方忌部は、阿波、伊勢、出雲、紀伊、筑紫、安房、讃岐があり、阿波忌部が来て開拓したという伝承が多くあり、尚他にもあるのではないかと思います。
720年に日本書紀が完成しますが、阿波忌部の氏名が具体的資料として初めて出てくるのは、平城京跡から出てきた文献で阿波国麻植郡川嶋郷少梼里戸主忌部為麻呂 戸調黄あしぎめ一疋(租税の一つ)天平四年十月(732年)の墨書名が最古です。(奈良正倉院御物の献納品)
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6 :
名無しさん@chs
2009/06/23(火) 11:45:15
ID:c/SqZEjg
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延喜式に「忌部神社名神大。月次新嘗。或いは麻殖神といい、或いは天鷲日神という」とある
『古語拾遺』
同書によれば、天鷲日命を阿波の国に派遣し、開発をしたとあり、その孫が忌部氏であると、忌部の故地であることを主張する。
山崎忌部神社(徳島県山川町)
忌部神社の前から登りつめる山腹には忌部山古墳群と称される五基の円墳が残されている。この古墳群の石室は玄室を隅丸にしている特徴があり、忌部山型石室と命名された。この形式の石室はこの地方に多く広がっていることから、忌部氏の墓と関係づけされている
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7 :
名無しさん@chs
2009/06/23(火) 11:48:52
ID:c/SqZEjg
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『大日本神名辞書』
「天日鷲命」の項
「天日鷲命 …… 此鳥の羽は古来矢を作るに用ゐらる 此神思ふに弓矢を作り始めやし給ひけん …… 粟国忌部、多米連、天語連、弓削連等の祖也」
「天日鷲翔矢命」を別項に掲げ、「天日鷲翔矢命 高魂命の御孫なり 其の後胤に弓削宿禰あり 天日鷲命の別名(姓氏録)とす」ともある。ここからすると神名に「翔矢」の二文字を加へるのは弓削氏だけだったやうだが、現在は徳島県の山崎忌部神社でも「天日鷲翔矢命」の名が見え、混用されてゐるやうで、「翔矢」とあるから弓削氏と見るのも早計である。
山崎忌部神社の祭神には「由布洲主命」の名もある
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8 :
名無しさん@chs
2009/06/23(火) 11:55:02
ID:c/SqZEjg
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栃木県と茨城県との県境に鷲子山があり鷲子山上神社に天日鷲命を祀り、四国阿波の忌部氏が渡来し楮や麻を植え産業を興したとの伝承がある。
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9 :
名無しさん@chs
2009/06/23(火) 11:57:39
ID:c/SqZEjg
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徳島県神山町
大粟神社は上一宮と冠詞が着いているが、中世以前この神社が阿波一宮であった。中世以降は大麻比古神社を阿波一宮とするようになった。共に阿波の祖神を祀るが、大麻比古神社は麻を植えた神を祀り、こちらは粟を植えた神を祀る。
祭神は大宜都比売命で穀物神である。この地に粟を植えられたので、粟の国と呼ばれ、後に阿波の国となったと伝える。
大宜都比売命は保食神(うけもちのかみ)とも呼ばれ、月読命に殺されると身体のあちらこちらの穴から五穀が生え、五穀の神となった
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10 :
名無しさん@chs
2009/06/23(火) 11:59:52
ID:c/SqZEjg
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八倉比売神社
祭神は大日霊女命(天照大神)である。延喜式の古社で八倉比売神宮と載る。安永2年(1773)の古文書によれば、杉尾山に鎮座したのは4世紀頃で古墳時代にあたる。よって当山の古墳群の築造年代と一致する。古墳は当社の祭神を埋葬したものである。社殿は江戸時代に神陵(古墳)を拝するように建てられた。