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寒川神社

1 : 名無しさん@chs    2007/08/26(日) 09:32:30   ID:883ba4b5cf 
寒川神社

総国風土記によると、約千五百年前雄略天皇の御代に幣帛を奉納せられたとある


149 : 名無しさん@chs    2010/08/15(日) 14:23:41   ID:pKfG8U8o 
富士に木花咲くや姫が祀られた理由もこのあたりにありそうですね。
浅間大社の由緒によれば、第7代孝霊天皇のころ、富士山の噴火により人々が恐れて逃げ出したことから国が荒れ果て、後に、第11代垂仁天皇が木花咲耶姫を富士山の麓に祭って山霊を鎮めたのが起源といわれる


150 : 名無しさん@chs    2010/08/15(日) 14:31:21   ID:pKfG8U8o 
狭山市:堀兼神社
社伝によれば、日本武尊東征の折、自ら信奉する富士浅間宮を勧請して創建したとする
主祭神は云うまでもなく木花咲耶姫(このはなやくやひめ)命である。配祀神に大山咋命(おおやまぐいのみこと)を連ねる

此処では大山祇命は境内社の小御嶽神社に祀られている。
大山積(または津見)神を祀る愛媛県越智郡大三島町に鎮座する大山祇神社は大三島神社、三嶋大明神とも称し全国に一万社以上分布するという三島神社の総本社である。
相模の大山阿夫利神社も本来は大山祇神を祀っている。


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153 : 名無しさん@chs    2010/10/03(日) 17:57:33   ID:sGlFM6WI 
続日本書紀曰
承和三年(837年)三月十九日 外従五位下大判事明法博士讃岐公永直右小史兼明法博士
同姓永成等合廿八姻改公 賜朝臣永直是讃岐国寒川郡人今興山田郡人 外従七位上同姓金雄等二烟改本居貫附右京 三條二坊永直等遠祖景行天皇第十七皇子神櫛命也
 植田氏族 神内氏族 三谷氏族 十河遺族内神内 三内 十河三家譜各中絶而難分別 姑之俟後智者神櫛皇子是讃岐国造之始祖


154 : 名無しさん@chs    2010/10/03(日) 18:01:00   ID:sGlFM6WI 
讃岐公は景行天皇の子神櫛命の後裔で讃岐国造家の嫡流子孫。平安時代初期までは讃岐国寒川郡の郡司を務めていたが、平城朝以降永直の祖父広直・父浄直と続いて明法博士に任ぜられた。

祖父・父に続いて永直も明法家の道を歩み、弘仁6年(815年)明法得業生、天長7年(830年)に明法博士に任ぜられる。承和元年(834年)外従五位下・大判事に遷任。承和3年(836年)に、弟永成・従兄弟当世らと共に朝臣の姓を賜与される。だが、嘉祥元年(848年)に親族和気斉之の罪に連座して土佐国に配流となった。2年後に帰京を許されて貞観元年(859年)に77歳で従五位下に叙せられた


155 : 名無しさん@chs    2010/10/04(月) 08:28:04   ID:wznDwIrM 
神奈川県寒川町・安楽寺
菅原氏長者・是綱と清房の兄弟が建立。太宰府天満宮だ。別名、「天原山安楽寺」である。則ち、相模寒川・安楽寺は、太宰府天満宮/天原山安楽寺を<勧請>したに
相模寒川・安楽寺は一つの古墳を境内に取り込む形で建立されている。源家は此の古墳を、応神塚と呼んだ。
応神、即ち八幡である。道真菩提所の境内に、八幡が坐す。
寒川町は、また、寒川神社の所在であり、寒川神社は源家の氏神。即ち寒川は源家の聖地であった。聖地にある古墳を応神/八幡塚と見なし、塚のある場所に道真の菩提所を築いたのである


156 : 名無しさん@chs    2010/10/04(月) 08:30:40   ID:wznDwIrM 
日本紀神代巻云:道真は天穂日命ノ後裔
素戔鳴尊乞取太神髻鬘及腕所纏八坂瓊五百箇御統濯天真名井●(歯に吉)然咀嚼而吹棄気噴之挟霧所生神号云正哉吾勝々曰天忍穂耳尊次天穂日命(菅家先祖也)次天津彦根尊次活津彦根尊次熊野杼樟日尊凡五男也矣……右五男中第一忍穂耳尊地神第二代之主也第二男穂日尊菅家之遠祖也考日本紀天穂日命十四世野見宿祢ト申セシ人有日本無双大力ナリ即人王十一代
追加天神七代国常立尊国挟槌尊豊斟渟尊泥土煮尊沙土煮尊大戸道尊木戸辺尊面足尊


157 : 名無しさん@chs    2010/10/04(月) 08:33:38   ID:wznDwIrM 
熊野速玉大社【くまのはやたまたいしゃ】の御由緒【ごゆいしょ】
熊野速玉大社は、悠久【ゆうきゅう】の彼方【かなた】、熊野信仰の原点・神倉山【かみくらやま】の霊石【れいせき】ゴトビキ岩(天ノ磐盾)【あまのいわたて】をご神体とする自然崇拝を源として、この天ノ磐盾に降臨【こうりん】せられた熊野三神【くまのさんしん】(熊野速玉大神【くまのはやたまおおかみ】・熊野夫須美大神【くまのふすみおおかみ】・家津美御子大神【けつみみこおおかみ】を、景行天皇【けいこうてんのう】五十八年の御代(西暦百二十八年)初めて瑞々しい神殿を建ててお迎えしたことに創始いたします。我々の祖先は、美し国【うましくに】熊野に坐【ま】しますこの真新しい新宮【にいみや】に大自然の恵みを献じて神々を斎【いつ】き祀【まつ】り、感謝と畏敬【いけい】の心を込めて祈りを捧げながら、最も神社神道の特色ともいうべき清【きよ】め祓【はら】いを実践【じっせん】してまいりました。


158 : 名無しさん@chs    2010/10/04(月) 08:44:10   ID:wznDwIrM 
宇都母知神社略記
鎮座地 藤沢市打戻二六六二番地
御祭神 天照皇大御神 稚産霊神 若日下部命
天照皇大御神は伊弉諾、伊弉冉二神の生み給う方で、高天原を治められ、神徳宏大で 人々から敬われ、日神とも称え奉られた。
稚産霊神(わくむすびのかみ)は豊受大神の御親神で五穀や養蚕を司る神であります。
若日下部命(わかくさかべのみこと)は仁徳天皇の皇女で雄略天皇の皇后になられた 方で非常に人徳の高い方で養蚕を盛んに奨励された。

鎌倉市長谷坂ノ下にある、通称(鎌倉)権五郎神社((かまくら)ごんごろうじんじゃ)として知られている神社
鎌倉景政は、平安時代後期の関東平氏の一族であり、鎌倉・梶原・村岡・長尾・大庭の5氏とともに鎌倉武士団を率い、現在の湘南地方一帯の地方開発に従事した。景政はまた、その武勇をもって知られ、16歳の時、源義家の陣営に連なって後三年の役(1083年-1087年)に従軍して活躍した際のエピソードがよく知られている




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