七夕の話
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1 :
名無しさん@chs
2007/04/16(月) 19:43:38
ID:c893d1b20e
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http://enkan.fc2web.com/zatu/10.html
七夕のルーツは、中国の乞巧奠(きっこうでん)という古い行事にあると言われています。中国の六世紀の書物『荊楚歳時記』によると、七月七日を牽牛と織女が逢う晩とし、この日、夕方になると女たちは五色の糸を七本の針に通したそうです。この針は金や銀、真鍮で作られることもあります。そして庭に机や敷物を出し、その上に酒や干し肉、瓜や菓子を並べ供えて、裁縫の腕の上達を願いました。この時、蜘蛛が供え物の瓜の上に網をかければ願いが聞き届けられたとしたそうです。
乞巧奠が日本に伝わり、宮中で貴族たちの行事として行われました。伝えたのは、機織りや養蚕の技術を持ちこんだ渡来人達だとの説があります。最初に行われたのは孝謙天皇の時ですが、年中行事として定着したのは平安時代以降のようです。
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2 :
名無しさん@chs
2007/04/16(月) 19:45:44
ID:c893d1b20e
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出典:http://enkan.fc2web.com/zatu/10.html
韓国の七夕も中国の乞巧奠が宮中に伝わったものがルーツ
各家庭でミルジョンビョン(小麦粉の煎餅)と季節の果物を供え、女たちはしょうゆや味噌のかめを置く台に井戸から汲んだ若水を供えて家族の長寿と家内安全を祈り、少女たちは織女星に針仕事の上達を願いました。若水を供えた次に灰を平らに載せた盆を置いておき、翌日それに何かが通った跡があれば祈願成就の証としたとか。他に、中国の乞巧奠そのままに、瓜や胡瓜を上位に置いて手をついて礼をして、後に食べ物の上に蜘蛛の網が張ってあれば、願いが成就したと喜んだりもしたようです。一方、少年たちは夜空に星を描いて学問上達を願いました。
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3 :
名無しさん@chs
2007/04/16(月) 19:47:24
ID:c893d1b20e
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日本では七夕(旧暦)とその後にくる盆祭をひとまとまりの行事として捉えている地域が多いそうです
日本のローカルな七夕を見ていくと、笹竹等を立てる、七夕船や七夕馬を作る、といった”祖霊(神)を現世に迎えるための準備”と、”やってきた祖霊への供え物”が必須になっています。ロマンチックな牽牛と織女の伝説は、殆ど関係ない感じです。供え物をするのは中国の乞巧奠も同じなのですが、祖霊を迎える準備のあたりは、乞巧奠とは違う土俗の古い匂い――祖霊信仰が感じられます。
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4 :
名無しさん@chs
2007/04/16(月) 19:48:45
ID:c893d1b20e
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麺の伝来については8世紀頃の奈良時代に中国から渡来したといわれ、当時の古文書に「索餅(さくべい)」「麦縄」などの麺を表す文字もみられる。
つまり、麺を初めて日本に持ち込んだのは、残念ながら空海ではない。
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5 :
名無しさん@chs
2007/04/16(月) 19:56:42
ID:c893d1b20e
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相撲節会(すまいのせちえ)
知っていますか。平安時代までは、相撲も七夕の行事だったのです。
かつて宮中では毎年7月にいわゆる天覧相撲である相撲節会が行われていました。もとは7月7日であったものが、天長3年(824)には7月16日に、やがて7月25日にと日にちが移り変わり、やがて源平争乱の中で途絶えていったということで、残念ながら現代には伝わっていません
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6 :
名無しさん@chs
2007/04/16(月) 19:57:17
ID:c893d1b20e
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乞巧奠(きこうでん)
中国から伝わった宮中の行事、乞巧奠。京都では、いまも公家の流れをくむ冷泉家で受け継がれています。
旧暦7月7日というと、現在では8月の末ごろ、冷泉家では七夕の歌会、乞巧奠がとりおこなわれます。
供え物をして牽牛・織女をまつり、芸事の上達を祈るとともに、管弦の奏楽、冷泉流による和歌の朗詠がおこなわれ、天の川に見立てた白い布をはさんで七夕の歌を贈答する古式ゆかしい行事
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7 :
名無しさん@chs
2007/04/16(月) 19:58:58
ID:c893d1b20e
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『古事記』(神代上巻)には
御雷神、御名方神の手を取り、若葦を取るが如く摑みひしぎてこれを投げ離さすに、
御名方神は逃れ去って科野国州羽の海に至る
と、相撲の最初の神話をこう記している。葦原中津国を占領している大国主命は天孫降臨のときに皇孫に譲る事を承知しない。そこで、天照大神は建御雷神を派遣し帰順を勧めたところ、大国主命の御子建御名方神は勇武を好む神で、建御雷神と「力くらべ」によって、事を決めようと申し出る。そこで、建御雷神と建御名方神は「力くらべ」をする。結果、御名方神が敗れ、信濃の国の諏訪に逃走した。これは全くの作り話かもしれないが、古代において「国ゆずり」という民族にとって重要である問題を「力くらべ」で解決したとしたのは、相撲が神の意志を反映する絶対的なものと考えられていたからと考えられる。