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天香語山命

1 : 名無しさん@chs    2007/10/16(火) 10:05:10   ID:db96fafd88 
和邇氏系の高橋神社の祭神は、舞鶴の倉梯山に神庫を建てた天香語山命の祖母・栲幡千千媛であり、高橋氏は後に越後彌彦大宮司家となるのだが、その弥彦神社(新潟県西蒲浦郡弥彦村弥彦)の祭神は尾張(海部)氏系の天香語山命である

2 : 名無しさん@chs    2007/10/16(火) 10:10:10   ID:db96fafd88 
書紀の一書に、紀伊の日前神(ひのくまのかみ)が、天香山の金と鹿の皮を丸剥ぎにした鞴を用いて、鍛冶の石凝姥命(いしこりどめ)に「日矛」を作らせたとある。この「日矛」は、日前国懸(ひのくまくにかがす)神宮(和歌山市秋月)に祀られているのだが、矛ではなく「神鏡」なのだというのだ。そういえば、天之日矛は「鏡神社」の祭神であった。この日矛(神鏡)の後に鋳造されたのが「伊勢の八咫鏡」で、製作者の石凝姥命は鏡作の祖として、鏡作坐天照御魂神社(奈良県磯城郡田原本町八尾)に祭られている。配祀されているのが、尾張氏・津守氏の祖、天照国照彦天火明命。

3 : 名無しさん@chs    2007/10/24(水) 15:05:57   ID:1282ec5e8d 
出雲国風土記「仁多郡」の条に「恋山」があり、古老の話として『阿伊の村に居る玉日女命を慕って、阿伊川を遡ってくる和邇(ワニ)がいた。その時、玉日女命が石でもって川をふさいでしまったので、和邇は会えなくなり恋に苦しんだ。そのところの山が恋山と呼ばれるようになった』という地名縁起が載せられている。

月夜見尊が保食神を殺したのを天照大神が怒り、『「汝は是悪しき神なり。相見じ」とのたまひて、乃ち月夜見尊と、一日一夜、隔て離れて住みたまふ』(紀上 一〇二頁).


4 : 名無しさん@chs    2007/11/05(月) 09:35:54   ID:3e47397b7d 
水主神社(みずしじんじゃ)

水主神社は往古より世に聞こえたる名神大社なり。其祭神は天照御魂神(饒速日尊)、天香語山命、天村雲命、 天忍男命、建額赤命、建筒草命、建田背命、建諸隅命、倭得玉彦命、 山脊大國魂命の十柱にして天照御魂神は即ち火明命にて氏の高祖なり。
京都府城陽市水主宮馬

弥彦神社
天香山命は『先代旧事本紀』では高倉下命と同一

大麻神社 (善通寺市)
配祀 天香語山命 天櫛玉命 天糠戸命 天御陰命 天神立命 天三降命 ...

弥彦神社
祭神の天香語山命は、紀伊国熊野の神邑にいたが、神武四年に越後の国をもらって移ってきたという。


5 : 名無しさん@chs    2007/11/05(月) 09:36:49   ID:3e47397b7d 
『紀』に一書として、天火明命の子で、尾張連らの遠祖とある。
『録』左京神別は火明命の子・天賀吾山命といい、尾張連の祖。また、河内神別の吹田連や、和泉神別の丹比連、綺連などの祖であるという。

『旧』天神本紀には天香語山命。尾張氏らの祖で、三十二防衛の一柱として父神・天火明=饒速日尊に従って天降った。
天孫本紀に別名を手栗彦、高倉下という。天降った後、紀伊国熊野邑に住む。磐余彦尊に武甕槌神の帯剣・フツノミタマを奉ることは『記』『紀』の高倉下に同じ。
母は天道日女で、物部氏の祖・宇摩志麻治は異母弟にあたる。異母妹・穂屋姫を妻として、天村雲(別名・天五多底)を生んだとある。


6 : 名無しさん@chs    2007/11/05(月) 09:42:08   ID:3e47397b7d 
信州の神社
「小野・矢彦神社」
副殿 :建御名方命・八坂刀賣命. 南殿 :天香語山命・熟穂屋姫命


7 : 名無しさん@chs    2007/11/05(月) 09:48:15   ID:3e47397b7d 
荒見神社
「天照國照彦天火明櫛玉饒速日命、天香山命、天牟良雲命、阿比良依姫命、木花開耶姫命」京都府城陽市富野字荒見田


8 : 名無しさん@chs    2007/11/05(月) 09:51:02   ID:3e47397b7d 
射矢止いやと神社
(和歌山市)
「紀の国のおみや」由緒書、天香語山、一言主は神代のむかし、
五十猛と共に本国に天降り、・・・


9 : 名無しさん@chs    2007/11/05(月) 09:54:09   ID:3e47397b7d 
天村雲命は、別名「天五多底命(あめのいだてのみこと)」とも呼び、射立の神
『海部系図』によれば、始祖彦火明命の御子の天香語山命が穂屋姫命を娶り天村雲命を生む。

土神葛木剣根命のむすめが天忍男命(天村雲命の孫)と婚姻して、澳津世襲命(尾張連祖)が生まれる。

大縫命、小縫命の二柱の比神は、天香語山命の子天村雲命九世の孫
成務天皇の時代、志賀高穴穂宮に仕え、糸縫針の職についたが故に子孫に衣縫の氏を与えられた(新撰姓氏録)


10 : 名無しさん@chs    2007/11/05(月) 10:04:10   ID:3e47397b7d 
尾張氏(先代旧事本紀)
初代 彦火明命
児 天の香語山命
孫 天村雲命
三世孫 天忍人命・天忍男命
四世孫 天戸目命・天忍男命・建額赤命・瀛津世襲命〔孝昭大連〕
五世孫 建斗米命・妙斗米命・建箇草命〔多治比連、津守連、若倭部連、葛木の祖〕
六世孫 建田背命〔神服連、海部直、丹波国造、但馬国〕・建宇那比命・建多乎利命・建彌阿久良命・建麻利尼命・建手和邇命
七世孫 建諸隅命・妹大海姫命
八世孫 倭得玉彦命   (別名市大稲日命)
九世孫 弟彦命・玉勝山代根古命・若都保命・置部與曾命・彦與曾命
十世孫 淡夜別命・大原足尼命(筑紫豊後国造)・大八椅命〔成務斐陀国造〕・大縫命・小縫命
十一世孫 乎止與命
十二世孫 建稲種命
十三世孫 尾綱根命
十四世孫 弟彦連・名根連・竟乎己連
十五世孫 金連・岐閉連・知々古連
十六世孫 坂合連・古利連・阿古連・中天連・多々村連・弟鹿連・多與志連(大海部直)
十七世孫 佐迷連
一八世孫 乙訓與止連・粟原連・間古連・枚夫連


11 : 名無しさん@chs    2007/11/05(月) 10:08:36   ID:3e47397b7d 
氷上姉子神社
乎止与(おとよ)の館跡に宮簀姫を祭神として、仲哀天皇4年(195)の創建と伝わる
宮簀姫が神社創設を発議し今の熱田に劔を移したと伝わる。 元宮は宮簀姫館の跡で草薙剣が熱田に祀られるまで祀られていたと伝わる。

美女ヶ森「大御食神社(おおみけじんじゃ)」
祭神
日本武尊
八幡大神(譽田別命・応神天皇)
五郎姫
由緒
日本武尊が東征の帰途、里長赤須彦の饗を受け三夜を同地に過ごし、赤須彦彦に御食津彦の名を賜った。尊の死後御食の社と称した。応神天皇の時、神霊のお告げにより熱田の草薙の剣の霊代と美女社の宮簀姫 とを迎え地名を美女ヶ森と呼んだ。元慶三年石清水八幡宮から八幡の神を迎え、日本武尊と五郎姫神(宮簀姫) を相殿に奉斎した。
明治五年郷社に昇格・昭和42年神社本庁より献幣使参向指定神社となった。

ご神木御蔭杉:上古の時代建御名方命が国造りの時奇杉なりと愛で給い、景行天皇41年日本武尊東征の帰路、赤須彦この杉の大樹の元仮宮を設けて尊を迎え酒餞を饗せし時尊大に悦ばれ、この杉の樹陰清々しく弥栄えて丈高く奇杉なりと愛で給いぬ以来この杉を御蔭杉と称せしと神代文字社伝記に記しあり。


12 : 名無しさん@chs    2007/11/05(月) 10:10:45   ID:3e47397b7d 
信州駒ケ根、大御食神社にはまたの名を五郎姫(いついらひめ)と記されており、

『尾張国吾湯市群火上天神開始本伝』には”小止女命”(おとめのみこと)、

『熱田祠官略記』には”小止女命またの名を宮簀姫と記されているとか・・・。

小椋一葉先生によれば、ミヤスというのは
もともと宮主(みやす)であり、”神剣を祀る宮の主”という意味であるそうです


13 : 名無しさん@chs    2007/11/05(月) 10:14:35   ID:3e47397b7d 
熱田神宮・内々神社・羽豆神社・鳴海神社・尾張戸神社・八雲神社などに祭られている

尾張氏の祖である建稲種命は当時の尾張水軍を率いました
日本武尊東征の帰路、副将軍である建稲種命が駿河の海で水死されたことを知った日本武尊は「うつつかなうつつかな」と嘆かれ、その霊を祀ったのが
内々神社です
祭神は建稲種命 日本武尊 宮簀媛命です。創建は熱田神宮より8〜9年

幡頭神社は大宝2年(702)の創建と伝えられる式内社で、祭神は、建稲種命(たけいなだねのみこと)である。 日本武尊(やまとたけるのみこと)の東征に従った建稲種命は帰路駿河沖で遭難、遺骸が宮崎海岸に漂着し当地に葬られたと伝えられる


14 : 名無しさん@chs    2007/11/05(月) 10:15:57   ID:3e47397b7d 
熱田神宮

祭神

御神体 草薙剣

主神 熱田大神(神剣)
相殿 天照大神、素盞嗚尊、日本武尊、宮簀媛命、建稲種命

別宮 八剣宮 「本宮と同じ神々を祀る」式内社

摂社 日割御子神社「天忍穂耳命」式内大社
摂社 孫若御子神社「天火明命」式内大社
摂社 高座結御子神社「高倉下命」式内大社 神宮の北15分
摂社 上知我麻神社「乎止与命」式内社
摂社 下知我麻神社「真敷戸婢」式内社
摂社 御田神社「大年神」式内社
摂社 青衾神社「天道日女命」式内社
摂社 氷上姉子神社「宮簀媛命」式内社
末社 南新宮社「素盞嗚尊」
末社 曽志茂利社「居茂利大神」


15 : 名無しさん@chs    2007/11/05(月) 10:17:30   ID:3e47397b7d 
京都市左京区の粟田神社の伝えに「往古、人皇五代孝昭天皇の皇子天足彦国押人命を祖とする粟田一族が京都で、鉱物を穿ち、粟瓜を主食として生活をし、神を祀っていた。中古、熱田神宮が奉祀されるや熱田の社人として一族もろともに移り、土地の名を残すのみとなった。粟田の臣の産土と云われている由縁である。」

尾張氏、海部氏共通の祖神が火明命であり、饒速日命と同一視する論がある。海部氏の祖神でもある火明命は孫若御子神社、大和葛城にゆかりのある高倉下命は高座結御子神社に祀られている。


16 : 名無しさん@chs    2007/11/05(月) 10:29:13   ID:3e47397b7d 
大荒田命は邇波県君〔にはのあがたのきみ〕の祖で、倭建命〔やまとたけるのみこと〕三世の孫とされる(『新撰姓氏録』)。また、『先代旧事本紀』には、尾張氏十二世の建稲種命〔たけいなだねのみこと〕が邇波県君の祖・大荒田の女子・玉姫を妻として二男四女をもうけたと記されている。

社伝によれば、この地は大荒田命の邸の一部で、往古より五穀豊穣の神である御歳神を祀っていた。玉姫命は夫・建稲種命の亡くなった後に子女を伴って当地へ帰り、父・大荒田命を助けて開拓に努められたため、その功績を讃えて合祀したという。


17 : 名無しさん@chs    2007/11/05(月) 10:31:45   ID:3e47397b7d 
建稲種尊の妃は、丹羽氏の大荒田命<オオアラタノミコト>の娘

大荒田命の邸の一部で、往古より五穀豊穣の神である御歳神を祀っていた。 玉姫命は夫・建稲種命の亡くなった後に子女を伴って当地へ帰り、父・大荒田命を助けて開拓に努められたため、その功績を讃えて合祀したという。

犬山市
針綱神社
建稲種命(タケイナダネノミコト) 尻調根命(シヅキネノミコト) 大荒田命(オホアラタノミコト), 伊邪那岐命(イザナギノミコト) 大己貴命(オホナムチノミコト) 建多乎利命(タケタオリノミコト) [尾綱根命(オツナネノミコト)]


18 : 名無しさん@chs    2007/11/05(月) 10:33:17   ID:3e47397b7d 
旧事紀天孫本紀に「十二世孫建稲種命。此命。邇波縣君祖大荒田女子玉姫為妻」と記される。 建稲種命は、熱田神宮に祀られ、尾張氏の祖といわれる、大荒田命の娘、玉姫命との婚姻伝承から丹羽氏と尾張氏の深い関係があったことが考えられる。

19 : 名無しさん@chs    2007/11/05(月) 10:37:26   ID:3e47397b7d 
大縣神社

大県大神については、国狭槌尊〔くにさづちのみこと〕(『尾張名所図絵』等)とする説など諸説あるが、尾張藩の儒者・松平君山の考証などに基づき、大荒田命〔おおあらたのみこと〕とする説が有力である
大荒田命は、日本武尊三世孫にあたり、迩波縣君の祖。

尾張氏のこと古事記の撰者、太安万侶は大和国の多氏の一族ですが、丹羽氏も多氏の分族とみられています。氏族の始祖は大荒田命で大県神社に祀られています。また、尾張国の二の宮でもあります


20 : 名無しさん@chs    2007/11/05(月) 10:39:25   ID:3e47397b7d 
葛城
大年神の子、長尾市が祭った大和神社の祭神でもあります。御歳神社には大年神の御子の御歳神が祭られている


21 : 名無しさん@chs    2007/11/05(月) 10:41:41   ID:3e47397b7d 
御歳神とは

『上代日本正史』原田常治著によると、
出雲/大和族である布都御魂の子 素佐之男尊の第五子がニギハヤヒ尊(大物主神)で娘 伊須気依姫(御歳神)は、伊邪那岐命/伊邪那美命→天照大神を祖とする日向一族である神武天皇と結婚し、皇子 八井耳尊のまた皇子が阿蘇神社に祭られている健磐龍命になります。


22 : 名無しさん@chs    2007/11/05(月) 11:47:09   ID:3e47397b7d 
神武の正妃を紀は事代主神の大女で媛蹈鞴五十鈴媛命とのみするが、記は狭井河の上に家がある伊須気余理比売とする。狭井河は三輪山から流れ出る川で、式内社の大和国城上郡に狭井坐大神荒魂神社がある
伊須気余理比売の長子の神八井耳命は多氏の始祖となり、次子の神渟名川耳命が二代目の綏靖となった。綏靖の皇后は磯城依媛の妹の五十鈴依媛である。そして磯城氏の男が同じ磯城氏の女に生ませた子は必然的に磯城津彦玉手看、すなわち三代目の安寧である。その子の一人もまた磯城津彦命という

孝安の母系は尾張連遠祖の瀛津世襲の妹の世襲足姫だが、尾張氏にとっては正に遠祖であって、この時期は尾張国へ出る前の葛城国造である。この葛城氏に生まれた孝安の兄の天足彦国押人命は隣国紀伊国造の智名曽の妹の中名草姫の子、宇那比姫を妻問いして押姫をもうけた。さらに十市縣主の女にも娶ひしており、紀に和珥臣等祖とする。和珥氏は春日和珥といわれるように、やはり磯城氏のなかにはいる。その祝は神武の倭国平定の際、やはり殺されている


23 : 名無しさん@chs    2007/11/05(月) 11:48:40   ID:3e47397b7d 
ニギハヤヒ(オオトシ)は筑紫から摂津・河内に東遷するまでに天道日女を、そして摂津あたりで活玉依毘売(陶津耳命の娘)、また勢夜陀多良比売(三島の湟咋の娘)、大和に入るとき三炊屋姫(鳥見の豪族・長髄彦の妹)と、合計4人の妃を娶っていることになる

24 : 名無しさん@chs    2007/11/05(月) 11:50:53   ID:3e47397b7d 
天道日女命生天香語山命天道日女命者亦名屋乎止女命

「海部直等氏之本記」によれば

「彦火明の妻・天道日女の異名として高光日女、八乎止女」


25 : 名無しさん@chs    2007/11/05(月) 11:52:02   ID:3e47397b7d 
青衾神社
高座結御子神社
祭神・高倉下命の母である天道日女命を祀る神社だが、祭神の異説として、 天魄月、饒速日命、天香語山命、天火明命など。 青衾神社と同じ白鳥町 に、熱田神宮境外末社・影向間社がある。


26 : 名無しさん@chs    2007/11/05(月) 11:55:12   ID:3e47397b7d 
【丹後風土記残欠】
永濱宇平編『丹後史料叢書』より
当国者往昔天火明神等降臨之地也蓋丹後国者本与丹波国合為一国于時日本根子天津御代豊国成姫天皇御宇詔割丹波国五郡置丹後国也、所以号丹波者往昔豊宇気大神天降于当国之伊去奈子嶽坐之時天道日女命等請求大神五穀及桑蚕等之種矣、便於其嶽堀真名井灌其水以定水田陸田而悉植焉則秋垂穎八握莫々然快也、大神見之大歓喜詔阿那迩恵志而植弥之子田庭然後復大神者登于高天原焉、故云田庭也。


27 : 名無しさん@chs    2007/11/05(月) 11:57:06   ID:3e47397b7d 
海部氏の祖である天香語山命とその母である天道日女と、天道日女の母の多岐津姫でした。

出雲のスサノオとの間には多紀理姫(たぎりひめ)多岐津姫(たぎつひめ)市杵嶋姫(いちきしまひめ)の宗像三女神と呼ばれる三姉妹をもうけている


28 : 名無しさん@chs    2007/11/05(月) 12:04:22   ID:3e47397b7d 
「海部氏勘注系図」に基づいた話では、天道日女と多岐津姫、天香語山命は比沼の真奈井の天女・豊宇賀能売に仕えました。

29 : 名無しさん@chs    2007/11/05(月) 12:04:49   ID:3e47397b7d 
下照比売は湍津姫(多岐津姫)の子といわれ、別名高照光姫・飛鳥神奈備三日女・賀夜奈流美命です。兄は阿遅鋤高彦根命です(飛鳥坐神社由緒から)。天道日女の別名を高光日女という

30 : 名無しさん@chs    2007/11/05(月) 12:06:27   ID:3e47397b7d 
福岡県小郡に七夕神社がありますが、祭神は「姫社神」と「織女神」です。一般的に「姫社神」は饒速日命で「織女神」は饒速日命の母・万幡豊秋津師姫といわれています。七夕神社の近くには「牽牛社」があり、「犬飼神」が祀られています

31 : 名無しさん@chs    2007/11/28(水) 13:50:35   ID:8d3cb06aa7 
孝安天皇の母はヨソタラシヒメ(世襲足媛)といい、尾張連の先祖オキツヨソ(瀛津世襲)の妹であるという。 『姓氏録〈摂津神別〉』に「津守宿禰 尾張宿禰同祖、火明命八世孫大和日足尼之後也」〈和泉神別〉に「津守連 火明命男天香具山命之後也」とあり、崇神系の王族の分れとされる津守連は尾張連と同族であることを知る。その津守連も海神を守る住吉三神と縁が深く、『旧事紀〈陰陽本紀〉』に「三筒男命 此三神は津守連等祠る住吉三前神」とあり、〈天孫本紀・天火明命系図〉に「五世孫建筒革命 津守連等の祖」とある。 ホアカリを祖とする氏族に伊福部氏がいる。現在の大分県下毛郡邪馬渓町伊福は鏡作の住んだ地と伝えられ、岡山市伊福から土製銅鐸が出土している。

32 : 名無しさん@chs    2007/12/11(火) 09:39:07   ID:e9f89b1d03 
天語山命の子孫、乎止与命は尾張大印岐の娘、真敷刀婢と結婚し尾張氏を継いでいる。しかし、この尾張大印岐が天語山命の子孫であるという確証がいまのところない。ところで、この乎止与命の娘、ミヤズ姫は、ヤマトタケルノミコトと結婚し、ヤマトタケルに草薙の剣を置いて行かしている。ヤマトタケルも尾張氏の養子に入ったのではないだろうか

33 : 名無しさん@chs    2007/12/12(水) 13:06:54   ID:8a818bd4ef 
天香山神社
天香山坐櫛真智命神社、天香山坐四処神社とも。櫛真智命を祭神とする。神武紀に菟田の八十梟帥を征討するのに、天神が夢に「天香山の杜中の土で平瓫、厳瓫を作り天神地祇を敬祭せよ」と教えた、とある
祭神の櫛真知神は延喜式神名帳の京中坐神三座に久慈真智命があり大和国十市郡天香山坐櫛真命神と注がついている。この神は深くうらないにかかわり、対島の卜部の神であったとの主張もある。 またこの神の元の名は「大麻等乃知神」としている


34 : 名無しさん@chs    2007/12/12(水) 13:07:14   ID:8a818bd4ef 
日の神 天照大神は弟の須佐之男尊のいたずらにより、
天岩戸に隠れられ世は暗闇となりました。
こまった八百万の神々は、
ご協議により岩戸の前で祭りを行うことにしました。
そこで祭り用の榊が必要となったので、
高木の神の娘弥生姫が天香山にはいり、
天香山の守り神 大山津見神の許しを得ず榊を抜き取りました。

これを知った大山津見神はその榊を奪い返しましたが、
岩戸の祭りに使うものであることを知り、
こころよく榊を渡しました。

その代わりとして弥生姫は神剣一振りを大山津見神に与え、
もろもろの悪魔をはらうよう命じました。

大山津見神は授かった神剣で折から現れた大魔神を討ち取ります。


35 : 名無しさん@chs    2007/12/12(水) 13:10:12   ID:8a818bd4ef 
伊斯許理度賣神(いしこりどめのかみ)
石凝姥命とも書く。鉄を造り鏡を作る神。古事記=「鍜人天津麻羅(かぬちあまつまら)を求(ま)ぎて伊斯許理度賣神(いしこりどめのかみ)に科(おお)せて鏡を造らしめ」。日本書記=「故(かれ)、石凝姥命(いしこりどめのかみ)を冶金(かぬち)とし天香山(あめのかぐやま)の金を採り、日矛(ひぼこ)を作る」などがある。
伊斯許理度賣神(いしこりどめのかみ)を祀る神社--中山神社ー岡山県。鏡作坐天照御魂神社ー奈良県


36 : 名無しさん@chs    2007/12/12(水) 13:15:33   ID:8a818bd4ef 
イシトリドメノミコト(伊斯許理度売命)はヤタノカガミ(八尺鏡)を、タマノヤノミコト(玉祖命)はヤサカノマガダマ(八尺の勾珠)を作る

37 : 名無しさん@chs    2007/12/12(水) 13:25:50   ID:8a818bd4ef 
度會宮事
佐久久斯侶伊須受能宮自佐至能以音次登由宇氣神此者坐外宮之
度相神者也次天石戸別神亦名謂櫛石窓神亦名謂豐石窓神此
神者御門之神也次手力男神者坐佐那縣也故其


天兒屋命者中臣連等之祖
布刀玉命者忌部首等之祖
天宇受賣命者猿女君等之祖
伊斯許理度賣命者鏡作連等之祖
玉祖命者玉祖連等之祖


38 : 名無しさん@chs    2008/01/20(日) 14:25:36   ID:9N12w/ko 
おやひこさまは弥彦に下向される前は、紀伊半島の熊野にお住まいでした。
和歌山県新宮市にある神倉神社(かんのくらじんじゃ)は、おやひこさまが当時、高倉下命(たかくらじのみこと)と呼ばれていた頃の杜(やしろ)です。

その後、神武天皇が東征(九州から大和に向かった)された折、高倉下命は紀伊から大和へご案内され、やがて大和の地に大和朝廷が成立したのです。
橿原の宮で神武天皇が即位して4年ほど後に、高倉下命は天皇より高志(こし) 〈越の国〉の国造りの命令を受けられました。

高倉下命たち一行は現在の寺泊町野積海岸に上陸し、その後弥彦の地に居をかまえた命は、天香山命(あめのかごやまのみこと)と呼ばれ、越後の国の開拓に力を注がれたのです。

野積浜には「弥彦神社御上陸地」と刻まれた高さ1メートルほどの石碑が建てられています。
大森利憲著「峰の桜」おやひこさま物語より一部要約


39 : 名無しさん@chs    2008/06/30(月) 14:59:19   ID:dK1aDycQ 
六ボウ紋は伊勢のアマがいまだに身に着けているとか。
尾張の真神田神社は竜神信仰で、紋章は六角形。
両者は南北ラインにビタリと位置し、真神田氏は物部と海部の系譜が混合


40 : 名無しさん@chs    2008/06/30(月) 15:02:39   ID:dK1aDycQ 
日本神道のマークは三角形を組み合わせたユダヤ教と同じ「ダビデの星」(六茫星)

41 : 名無しさん@chs    2008/06/30(月) 15:10:55   ID:dK1aDycQ 
砥鹿神社の御神紋である「亀(六角形)の中に卜(ぼく)」のマーク。

砥鹿神社本社. 所在地, 愛知県豊川市一宮町西垣内2
主祭神, 大己貴命. 社格等, 式内小社、三河国一宮、国幣小社. 創建, 伝・大宝年間


42 : 名無しさん@chs    2008/06/30(月) 15:12:25   ID:dK1aDycQ 
砥鹿神社は,文武天皇(もんむてんのう)の時代,701年(大宝元)天皇の使者としてこの地に来た草鹿砥公宣卿(くさかどきんのぶきょう)が本宮山の山中で不思議な老人に会い,その指示で創建されたものと伝わっている

43 : 名無しさん@chs    2008/06/30(月) 15:15:52   ID:dK1aDycQ 
朝廷別王を穂別の祖とする三河穂国の三河国一宮砥鹿神社の世襲神主は砥鹿氏を名乗る。穂国にも配置された日下部を朝廷別王の子孫が管理し、日下部は日下戸、草鹿砥と表記が変わり砥鹿氏になったのではないかとされる

日下部氏はどのようにして三河穂国へ東遷したというのか。『日本書紀』の景行紀に祟神の子の豊城命の孫狭嶋王を東山道十五国の都督に就けたとある。「国造本紀」に狭嶋王を上毛国造に封したとある。一方、祟神の四代前の孝霊の子に彦狭嶋命という狭嶋王と似た名のある。『記紀』の双方に系譜の混乱があるものの、彦狭嶋命の兄弟の多くは吉備氏や播磨国に出ている。

越智氏の系図は駿河国清見崎の庵原に着き、三島明神になったという。現在の三島大社のことで、伊予国越智郡の大山祇神社(大三島神社)と同じ大山積大神を祭神とする。

三島明神は伊豆国造が奉祭していた。『続日本紀』天平十四年(742)四月十日の条に、日下部直益人が伊豆国造・伊豆直の姓を賜るという記事がある。伊豆国造伊豆宿禰系図によると、伊豆氏の先祖は物部氏らしいが、途中から日下部氏になっているから、物部氏の男が日下部氏の女に生ませた子が継いだとみなせる。

三島明神の縁起によると、三島明神が最初に鎮座したのは三宅島の富賀神社とする。庵原の西隣の清水市清水原に砥鹿神社があり、三河穂国一宮砥鹿神社と同名である。穂国の砥鹿神社神主砥鹿氏=日下部は、このようにして東遷したという。


44 : 名無しさん@chs    2008/12/04(木) 11:00:57   ID:Oh8Tj1bY 
「御影」とは鏡の意味であり、剣も鏡も鍛冶製品で、かつ天孫族の「三種の神器」にあげられます。
ちなみに、もう一つの神器の「玉」を管掌した玉作部(玉祖宿祢)も、天目一箇命の別名たる櫛明玉命を祖神としています

鏡作麻気神社を奉斎した鏡作造も祖神の名(石凝姥命で、これは天御影命の妻神か)を異なって伝えますが、これも天御影命の後裔とみられます。


45 : 名無しさん@chs    2008/12/06(土) 13:55:07   ID:i1PwYiqI 
最初に尾張氏が『記紀』伝承の中に登場するのは、五代孝昭の皇后になった世襲足媛(よそたらしひめ)である。
世襲足媛は天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと)と日本足彦国押人命(やまとたらしひこくにおしひとのみこと)を生む。天足彦国押人命は和邇氏(わにし)の祖とされる人物である。また日本足彦国押人命は六代孝安天皇とされる人物である。

尾張氏系譜では、瀛津世襲や世襲足媛を彦火明命三世孫天忍男(あめのおしお)の子とする


46 : 名無しさん@chs    2008/12/06(土) 13:58:36   ID:i1PwYiqI 
神武世代に剣根という人物が葛城(葛木) 国造となる。この人の娘、加奈良知姫が海部氏(尾張氏)の天忍男命の妻となり、瀛津 世襲、建額赤、世襲足媛を生む。瀛津世襲は、またの名を葛木彦という。

天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと、生没年不詳)は、『古事記』『日本書紀』に記される皇族(王族)。 天押帯日子命とも。記紀によれば、孝昭天皇の皇子で、母は瀛津世襲の妹・世襲足媛命(よそたらしひめ『日本書紀』本文、『古事記』では余曽多本毘売命、日置姫)。同母弟に日本足彦国押人尊(孝安天皇)がおり、『日本書紀』本文での皇后・押媛命は天足彦國押人の娘と記述される。事績は伝わらないが、『古事記』には、阿那臣・壱比韋臣・大坂臣・大宅臣(おおやけのおみ)・小野臣・柿本臣・春日臣・粟田臣・多紀臣・羽栗臣・知多臣・牟邪臣(むさのおみ)・都怒山臣・伊勢飯高君・壱師君・近淡海国造(ちかつあふみ)の祖、『日本書紀』に和珥臣の祖とし、『新撰姓氏録』にも同様の系譜記載がある


47 : 名無しさん@chs    2008/12/06(土) 14:02:39   ID:i1PwYiqI 
天押帯日子命を祖とする和邇氏諸氏とは都怒山臣(角山つのやま君)・小野臣・近淡海 国造の三氏であり、いずれも継体擁立に深く関わる
和邇氏諸氏
武社国造(上総国武射郡)、額田国造(美濃国池田郡額田郷)、吉備ノ穴国造(備後国の安那郡などを領域)があり、伊勢の飯高県造・壹志県造も有力者であった。近江の南部から西部にかけての近淡海国造も和邇氏族の出で、日觸使主命の後であったとみられる。


48 : 名無しさん@chs    2008/12/06(土) 14:07:55   ID:i1PwYiqI 
「壬申の乱」で活躍した和珥部臣君手は近江国の丸部臣氏の始祖となり、その丸部臣氏は讃岐国三豊郡の大領として活躍している

丸部臣、刈田首の両氏は三野郡、豊田郡の大領をつとめ、刈田首は紀井朝臣を賜り土佐の国造ともなった家系であり、丸部臣は橘氏の子孫であるといわれ、後にまなべ姓を名乗り西讃岐地方で活躍


49 : 名無しさん@chs    2008/12/06(土) 14:09:47   ID:i1PwYiqI 
和珥部臣君手は近江国の丸部臣氏の始祖となり、その丸部臣氏は讃岐国三豊郡の大領として活躍している。 敏達天皇と春日臣(丸部臣氏)との間に生まれた難波皇子→栗隈王→美努王→葛城王(橘諸兄)の末裔橘五郎(真部五郎)

50 : 名無しさん@chs    2008/12/06(土) 14:15:01   ID:i1PwYiqI 
源平合戦で高名を得た真部五郎祐光(旧姓橘)
五郎祐光は敗戦後讃岐の橘姓を頼って大川郡内の多和大窪寺に落ち延びた

1184 (元暦 元) 源平一ノ谷の戦いにて「まなべ四郎・五郎」の活躍 『平家物語』『源平盛衰記』
1186 (文治 二) 藤原頼久一族郎党来島 《真鍋島伝承》
            ・真鍋城、城山城、沢津城の築城《真鍋島伝承》
            ・真鍋城を本拠とし笠岡諸島塩飽諸島など広大な海域を領有 『小田郡誌』


51 : 名無しさん@chs    2011/01/17(月) 11:58:50   ID:xD2lb60c 
>>23
>ニギハヤヒ(オオトシ)は・・・合計4人の妃を娶って・・・・
出典は何ですか?


52 : 名無しさん@chs    2011/09/02(金) 12:41:44   ID:b6It5zZI 
>>45
>世襲足媛は・・・・・・・・
紀の記す尾張氏瀛津世襲の妹とされる世襲足媛のことですね。
(1−2) 尾張氏と海部からでた女王と王妃
ttp://kodai.sakura.ne.jp/nihonnkennkokusi/7-1ouhi.htm


53 : 名無しさん@chs    2011/09/27(火) 14:04:21   ID:KfqBTwVQ 
桜井市三輪の大神神社(おおみわじんじゃ)の縁起・古事記による大物主大神の系譜をみると、大物主大神(饒速日尊)が陶津耳の娘・活玉依毘売(いくたまよりひめ)を娶って生んだ子・櫛御方命で、その五世孫が大神神社の初代神主・意富多々泥古(おおたたねこ)(書紀は大直禰子)としており、饒速日尊が摂津国陶邑の活玉依毘売(いくたまよりひめ)を娶って櫛御方命が生まれていたようである。

大三輪(おおみわ)氏を名乗った大神(おおみわ)氏の後裔は、朝臣として朝廷に仕え代々、桜井市三輪の大神神社の神主を継いでいる


54 : 名無しさん@chs    2011/09/27(火) 14:07:02   ID:KfqBTwVQ 
高魂命−伊久魂命−天押立命−陶津耳命−玉依彦命−剣根命−夜麻都俾命−久多
美命(葛城直祖) また陶津耳命の女に活玉依比売がいて、大物主命との間に鴨朝臣の
祖である太田田根子をもうけるとある。




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