天太玉命 天富命 手置帆負
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1 :
名無しさん@chs
2007/12/31(月) 13:57:21
ID:15fb60e76f
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神武天皇の時代
天太玉命(あめのふとだまのみこと)の孫の天富命(あまとみのみこと)は手置帆負(たおきほおい)と彦狭智(ひこさしり)の二神の孫を率いて、斎斧(いみおの=斎清めた斧)と斎鋤(いわいすき=斎清めた鋤)で山材をとり、正殿を構え建てた。所謂、「畝傍の橿原に底津磐根に太い宮柱を立てて、高天原に届くほど高くし、初めて国を治められた天皇で天業の基礎を作られた」と言うのである。皇孫命の瑞御殿(みずのみあらか=宮殿)を造ってお供えした。その忌部の末裔が居るところは紀伊の国の名草の御木(みき)と麁香(あらか)の二郷である。その材を取る忌部の居るところを御木と言い、殿を造る忌部の居るところを麁香と言う。これはその事の元である。また、古事では正殿を麁香と言う。
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186 :
名無しさん@chs
2009/04/30(木) 21:47:58
ID:uzoReSjo
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石上布(いそのかみふ)都魂(つのみたま)神社は、延喜式神名帳に石上布都之魂神社と記された式内社だ。かつて明治に到るまで韴(ふつの)霊(みたま)神社、経津(ふつの)霊神社(みたまじんじゃ)などと社名を変えている。祭神は、江戸時代後期の寛政年間に岡山藩士が編纂した吉備温故秘録では「布津御魂」、明治初年の神社明細帳では「韓(から)鋤劔(ひさのつるぎ)・羽羽斬劔」と記されている。明治六年の郷社列格の際に、主祭神を素盞鳴命に変更し、社名も現社名となったという。当時、御霊を祭神にすることが憚られたとする説もあり、祭神名変更となったようだ。
社伝によれば、それは『日本書紀』の巻第一・神代上の「一書(あるふみ)に曰(い)はく」にあるとする。素盞鳴命が八岐大蛇を退治した後、“「虵(をろち)韓鋤(のからさひ)之(の)劔(つるぎ)」で大蛇の頭や腹を斬り、その尾を斬った時に剣の刃が少し缺けた。尾を裂いて看ると一劔が現れた。この劔を名づけて「草薙劔」とした。この劔は、昔は素盞鳴命の許に在ったが、今は尾張國にある。”そして、「其の素盞鳴命の虵(をろち)を斷(き)りたまへる劔は、今吉備の神部(かむとものを)の許(ところ)に在(あ)り」の記述があり、神部(かむとものを)は神主で、神社の伝記はこれに拠っている。また、神剣「十握劒(虵韓鋤)」を石上神宮に奉遷したことが石上神宮の記録にも残されている。大正十五年発行の石上神宮由緒記に、「(略)斬八岐大蛇とありて、もと備前国赤坂宮にありしが、仁徳天皇の御代、霊夢の告によりて春日臣の族市川臣これを当神宮に遷し加え祭る」とある。
石上振神宮、石上布都大神、布留大明神などとも称された石上神宮は、古代から武門の物部氏の総氏神として布都御魂大神を主祭神とし、さらに布(ふ)留(るの)御魂(みたまの)大神(おほかみ)、布都斯魂(ふるしみたまの)大神(おほかみ)を祀り、宇摩志(うまし)麻治(まじの)命(みこと)、五十(い)瓊敷(にしきの)命(みこと)、白河天皇、市川臣命を配祀する
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187 :
名無しさん@chs
2010/08/25(水) 23:18:35
ID:tFnp7OBg
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『日本の建国と阿波忌部』によれば、『麻植郡郷土誌』のなかに、
阿波風土記曰く、天富命は、忌部太玉命の孫にして十代崇神天皇第二王子なり、
母は伊香色謎命にして大麻綜杵命娘なり、
大麻綜杵命(おおへつき)と呼びにくき故、麻植津賀(おえづか)、麻植塚と称するならんと云う
という逸文があると紹介されています。
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188 :
名無しさん@chs
2010/08/25(水) 23:22:54
ID:tFnp7OBg
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伊香色謎命
父は大綜麻杵命で、母は高屋阿波良姫。同母兄に伊香色雄命がいる。彦太忍信命(父は孝元天皇。武内宿禰の祖父(記では父)。磐之媛命の高祖父(記では曾祖父))・崇神天皇(父は開化天皇)の母。
父方の祖父:大水口宿禰命(饒速日命の4世孫乃至5世孫)
夫:孝元天皇
子:彦太忍信命
孫:屋主忍男武雄心命(紀のみ)・武内宿禰(紀では屋主忍男武雄心命の子)
夫:開化天皇
子:崇神天皇・御真津比売命
孫:垂仁天皇(崇神天皇の皇子)・八坂入彦命(崇神天皇の皇子。八坂入媛命の父)
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189 :
名無しさん@chs
2010/08/25(水) 23:25:28
ID:tFnp7OBg
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崇神天皇を祭神としている神社は多くはないが、筑後に多い。筑後生葉(福岡県浮羽郡吉井町)の金刀比羅神社や筑後三瀦(福岡県大川市大字小保)の琴平神社が代表的な存在である。
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190 :
名無しさん@chs
2010/08/25(水) 23:27:17
ID:tFnp7OBg
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伊香色謎命 (いかがしこめのみこと)
孝元天皇妃。開化天皇皇后。崇神天皇の母。
孝元七年二月二日、天皇の妃として彦太忍信命(武内宿禰の祖父)を生んだとあり、開化六年一月、天皇の皇后となり、御間城入彦五十瓊殖天皇を生んだとある。開化天皇は庶母と結婚したのである。
崇神天皇即位前紀に、天皇の母を伊香色謎命といい、物部氏の遠祖・大綜麻杵の娘であるとみえる。(『紀』)
古事記にも同様な記載があるが、名は伊迦賀色許売という表記である。
『旧』天孫本紀は、大綜麻杵大臣の子で、母は高屋阿波良姫であるといい、崇神天皇の時代、皇太后の尊号を、垂仁天皇の時代、太皇太后の尊号を追贈されたと伝えている。
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191 :
名無しさん@chs
2010/08/25(水) 23:28:50
ID:tFnp7OBg
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伊香色雄命 (いかがしこおのみこと)
崇神七年八月七日、しばしば災害のおこることを憂いていた天皇に、穂積臣の遠祖・大水口宿禰ら三人が奏上するに、各人の夢に貴人が現われ、大田田根子をもって大物主大神の祭主とし、市磯長尾市をもって倭大国魂神の祭主とすれば天下は太平となるだろうと告げられたことを述べた。大田田根子を探し求めたところ、その父は大物主であると答えたので、天皇は「朕、栄楽えむとするかな」と喜び、物部連の祖である伊香色雄を神班物者(神に捧げ物を分つ役)に任じた。
また、同七年十一月十三日、伊香色雄に命じて物部の八十平瓮を神祭りの供物として、大物主大神と倭大国魂神を祭り、その後八十万の群神を祭ったところ、疫病は止んで国内は鎮まったという。(『紀』)
『旧』天孫本紀は、伊香色謎命の弟で、父は大綜杵命、母は高屋阿波良姫であるとする。
開化天皇の時代に大臣になり、崇神天皇の時代、神物を班たしめ、天社・国社を定め、物部八十手の作った祭神の供物をもって、八十万の群神を祭った。そのとき布都大神を祀る社を石上邑に遷し、天璽瑞宝も合わせて祀って、この総称である「石上大神」を氏神としたという。
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192 :
たてのうち
2010/09/08(水) 18:54:03
ID:pwQWL0i+
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オオタチバナヒメと大生氏の関係はどうお考えですか?
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193 :
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194 :
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195 :
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