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猿田彦

1 : 名無しさん@chs    2008/01/09(水) 13:25:18   ID:1331985abc 
日本神話によれば、猿田彦神はニニギの天降りの先導を終えた後、伊勢の五十鈴川の川上に鎮まった。倭姫命世記によれば、その子孫の太田命は天照大神を祀る地として倭姫命に五十鈴川川上の地を献上した。太田命の子孫は宇治土公(うじのつちぎみ)と称し、神宮に玉串大内人として代々奉職したが、その宇治土公が邸宅内の屋敷神として祖神の猿田彦を祀っていた。明治時代に入り、神官の世襲が廃止されることになって、屋敷神を改めて神社としたのが猿田彦神社である。

猿田彦神社が猿田彦神を祀る神社の総本社と考える者も多いが、猿田彦神の総本社は鈴鹿市の椿大神社ということになっている。猿田彦神社の宮司は宇治土公(うじとこ)という姓であり、椿大神社の宮司は山本という姓でありどちらも猿田彦神・太田命の直系の子孫であると主張している。 しかし『倭姫命世記』によると宇治土公家こそ猿田彦大神の直系の子孫とされており、 猿田彦大神を祀る神社で実際椿大神社とつながりのある神社はほとんど存在しない。


2 : 名無しさん@chs    2008/01/09(水) 13:31:18   ID:1331985abc 
佐田神社
 
 本殿は、大社造りの3つの建物が並立する

島根県島根町の海岸に「加賀の潜戸(かがのくけど)」という海食洞窟があります。 岬の突端を東西北の三方に貫通する、巨大な洞窟(幅10〜20m ・ 高さ20〜30m ・ 長さ200m)です。
 ここは、東出雲の祖神とされる「佐太大神(さだのおおかみ)」が生まれた場所とされています。
 『出雲国風土記』によると、佐太大神が生まれようとしていた時、母神の支佐加姫(ささかひめ)が、「暗い岩屋だなあ」と言って、黄金の弓で矢を射たところ、洞窟が光り輝いた<光加加やけり>とされ、そのため、この洞窟が「加加」(=加賀)といわれるようになったと伝えられています。
出雲独自の神話を集めた『出雲国風土記』に登場する佐田大神の伝承の方が、より古い起源をもつのではないでしょうか。
 


3 : 名無しさん@chs    2008/01/09(水) 13:32:23   ID:1331985abc 
二見浦の二見輿玉神社、伊勢の猿田彦神社など、天照大神に先立つ
伊勢における太陽神としての猿田彦。


4 : 名無しさん@chs    2008/01/09(水) 13:33:38   ID:1331985abc 
佐田大神としての猿田彦(国つ神で「大神」がつくのは猿田彦のみ)。この考えだと、佐田大神として日の沈む出雲に生まれ、猿田彦として日の昇る伊勢に死んだ神となる。伊勢にも出雲にも潜戸があることも興味深い事実である(佐田大神は出雲の潜戸で生まれたとされる)。

天の八街(八方に分かれる境界)にいるところから、塞の神としての役割が猿田彦に預託されている。塞の神としての猿田彦。
 この塞の神としての役割によって、多くの境界にアメノウズメノミコトとともに道祖神として祀られることになりました。


5 : 名無しさん@chs    2008/01/09(水) 13:34:59   ID:1331985abc 
白鬚明神(比良明神)とも岐神(ふなとがみ)とも白日神とも言われ、また、山幸彦を无間勝間に乗せて龍宮へ案内し、神武東征のきっかけを作った塩土老翁神とも、道教えの神・嚮導の神(水先案内人)としての性格から同一神とされています。
このように、様々な顔を持つ猿田毘古神は、海人文化のルートである対馬海流と黒潮に乗って、南方から伝播した、と言われています。主な神社だけでも、椿大神社(三重県鈴鹿市山本町)、都波岐・奈加等神社(三重県鈴鹿市一ノ宮)、猿田彦神社(伊勢市宇治浦田町)、伏見稲荷大社(京都市伏見区深草薮之内町)とあり、その他、全国各地に「猿田彦神碑」として、塞の神・道祖神に置き換えられて祀られている


6 : 名無しさん@chs    2008/01/09(水) 13:36:16   ID:1331985abc 
天孫降臨の段。やっと猿田毘古神の名で登場します。
天の八衢(天の別れ道)で、上は高天原を下は葦原中国を照らしながら、天孫邇邇芸命を出迎え、日向へ案内するのです。この「照らす」という表現から、天照大神が女神となる前の、原初の太陽神であることが分かります。倭比売命の天照巡行の際に、伊勢へ姫を案内したのは、猿田毘古神の子孫の大田命だということも、大和朝廷以前の勢力(出雲)の、太陽神であったことが伺われます


7 : 名無しさん@chs    2008/01/09(水) 13:37:26   ID:1331985abc 
猿田毘古神は、伊勢の阿邪訶(あざか)で漁をしていて、比良夫貝という貝に手を咬まれて溺れ死んでしまったといいます。比良夫貝は、月日貝ともシャコ貝とも言われますが、黒潮の源流付近インドネシアの民話に多い、猿が挟まれて命を落とすぐらいの貝となると、シャコ貝だろうと思われます

8 : 名無しさん@chs    2008/01/09(水) 13:38:19   ID:1331985abc 
生まれたのは出雲の加賀の潜戸(くけど)という海の大洞窟の中で、お母さんは、妹の宇武加比売命と一緒に大国主命を生き返らせた、神魂命の娘の蚶貝比売(きさがいひめ)という貝の女神です。
蚶貝比売は潜戸に入って「なんと闇い岩屋であることよ」と仰って、金の弓箭(ゆみや)をもって射いると、光がカカと明るくなったので、「加賀」というのだそうです。で、佐田大神が生まれ出ようとした当にその時、弓箭が無くなってしまった。そこで蚶貝比売は、「私の産む御子が麻須良神(益荒男神か?)の御子であるならば、無くなった弓箭よ出て来なさい。」と祈願すると、角の弓箭が水のまにまに流れて来たという。しかし、生まれた御子(佐太大神)は、「これは私の弓箭ではない。」と言って棄ててしまった。するとまた金の弓箭が流れて来たので、佐太大神はこれを持って、「なんと暗い窟であろう」と言って、岩壁を突き破って矢を射通してしまったということです。


9 : 名無しさん@chs    2008/01/09(水) 13:39:29   ID:1331985abc 
佐太の国主たるべき御子であり、それが神魂命の御子から生まれるのは、佐太大神を奉斎する氏族が神魂信仰の祭祀集団に属していることを示しており、佐太君ないし佐太忌寸だと見られる。この氏族が「出雲国風土記」には見られず、かえって山城国の「神亀三年出雲国計帳」に見えるのは、おそらく早期に出雲を出て、山城で古い大和朝廷(伊勢神宮成立以前)の祭祀長となったものらしく、賀茂県主もこの一族であろう。』と仰っています。つまり、賀茂氏と無関係ではないのです。賀茂の丹塗矢の正体は、松尾大社(山城国葛野・社家鴨氏)の大山咋神です。つまり、上賀茂の賀茂別雷神の父君にあたりますが、大山咋神の神使いは「猿」だというのも、猿田毘古神との関係を暗示させます。また、猿田毘古神を祀る白鬚神社の総本社は、琵琶湖の北岸、滋賀県高島郡高島町鵜川にありますが、高島町には「鴨」とう地名があり、鴨川も流れていて、鴨氏と親類関係にあったことが窺えます

10 : 名無しさん@chs    2008/01/09(水) 13:40:51   ID:1331985abc 
斎部氏説
麻績王というからには、麻績連が壬生(乳部)、又は母親の出身氏族ということだろうか。
松坂市の櫛田川の河口付近に、伊勢の大神宮の神御衣を織るところとして神麻續機殿(かんおみはたどの)神社があるが、ここは日本書紀にいう、斉明六年十二月、天皇が百済の為に新羅を討とうと思い、駿河国に勅して船を造らせたが、麻続郊(伊勢国多気郡麻績郷)まで曳いて来た時、夜中に故もなく艫(とも)と舳(へ)とが入れ替わっていたので、人々は新羅と戦ったら敗れることを悟ったという場所に他ならない。
松坂は、5世紀後半に大陸から渡来した漢織・呉織・衣縫(きぬぬい)達が定住した地域で、これらが後に、麻績連、服部連となって一大紡織の中心地を形成したといわれている。私は予てから、麻植の神を奉ずる斎部氏は、東漢氏系だと思っているのだが、安房斎部氏の本拠千葉市に生実(おゆみ)町という所があり、この「おゆみ」は「麻績」の転訛だそうだ。
それにどうしても、麻績→近江→淡海(あわみ)で、斎部氏の「阿波」や「安房」を思い出してしまう。流刑地に共通するのは「い」で始まる地名だってことだが、これも「斎部」を連想させる。常陸国風土記が伝えるように、流刑地が潮来(霞ヶ浦)とすれば、当に安房斎部氏の勢力圏内だ。
斎部氏は天太玉命を祖とし、筑紫・出雲・阿波・讃岐・紀伊・伊勢・安房等に分布している。


11 : 名無しさん@chs    2008/01/09(水) 13:42:19   ID:1331985abc 
猿田毘古神は、伊勢の阿邪訶(あざか・三重県松坂市)で漁をしていて、比良夫貝(シャコ貝)に手を咬まれて溺れ死んでしまいましたが、沖縄では、神聖な場所である御嶽(うたき)に、上から見ると十字に見えるアザカや蒲葵(あじまさ・ビロウ)などの聖木と、アザケーと呼ばれるシャコ貝を祀ります

12 : 名無しさん@chs    2008/01/09(水) 13:44:39   ID:1331985abc 
鹿児島神宮(鹿児島県姶良郡隼人町)
社伝には、震旦国の王女「大比留女」が7歳で朝日が胸に差し込んで妊娠し、怪しんだ父王に空舟で海に流され、流れ着いた先が九州鹿児島東部の八幡崎で、生まれた子は八幡(応神天皇)だとある。社伝の通りだとすれば、大比留女、つまり大日霊女貴(天照大神)は神功皇后ということになる。


13 : 名無しさん@chs    2008/01/09(水) 13:54:37   ID:1331985abc 
『出雲国風土記』では猿田彦は佐太・佐田大神として登場し、大国主命の全国平定に金の弓箭(ゆみや)を用いて助力した神様とされている。金の弓矢は天の壁を打ち破るとされている。雷に比定した表現で大雷(おおいかづち)神に通じるものがある。佐田大神の佐田氏は大中臣氏の先祖とされている。日本書紀の国譲りの項には、大国主命が経津主(ふつぬし)神と武甕槌(たけみかづち)神に佐田大神を武神として活用すべきであると推薦している。佐田大神が金の弓矢(雷)を使うので、『(天空から雨雲に紛れて来る)洩れ矢(もれや)の神』と呼ぶ場合もあるらしい。当然、大国主命の子息である建御名方神の手助けをしていると思われる

14 : 名無しさん@chs    2008/01/09(水) 13:58:08   ID:1331985abc 
武蔵久良岐 杉山神社「大己貴神」摂社社宮祠社「猿田彦大神」横浜市西区中央1ー13ー1 相模 高座 社宮神「大比瑠女神」藤沢市辻堂元町4-5737

15 : 名無しさん@chs    2008/01/09(水) 14:02:29   ID:1331985abc 
日子番邇邇芸命が、将に天降るの時、天ヤチマタに居て、上は高天原を光らし、下は葦原中国を光らす、この神、是於いて有り。

 故に天照大御神、高木の神、之の命を以て、天宇受売(女)神に詔し、「汝は、手弱女(たおやめ)に有るといえども、伊牟迦布(いむかふ)神に、面勝神。故に専ら、汝が往きて将に問え、『吾が御子天降るの道。誰が此の如くて居る』」

 故に問い賜うの時、答え白し「僕は国神、名は、猿田毘古神也。出で居る所以は、天神の御子の天降り坐すと聞く故に、御前に仕え奉るに、参り,向え、之に侍る。

 天児屋命、布刀玉命、天宇受売命、伊斯許理度売命、玉祖命、併せて、五伴緒牟(下矢)。支加て、天降る也。是に於いて、そのオキシ八尺勾玉、鏡、及び、草那芸剣(三種神器)を副えて賜る。


16 : 名無しさん@chs    2011/09/16(金) 13:53:29   ID:taBL/2iA 
>>9
大和朝廷に臣属の為、佐太大神を奉祭する部族が
出雲国から山城国へ移住したの?


17 : 名無しさん@chs    2011/10/01(土) 15:18:09   ID:G4a3Bsj2 
>>1>>4
国津神猿田彦の本貫は、出雲国なの?筑紫国なの?




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