上総国 玉前神社
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1 :
名無しさん@chs
2008/01/25(金) 10:02:38
ID:sVLCrKBc
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玉崎神社
延喜式内名神大社・上総国一の宮・旧国幣中社
創祀はあきらかではないが、景行天皇の頃に創祀されたという。また祭神の玉前神に関しても異説は多く、高皇産霊尊の弟である生産霊尊の御子の前玉命とする説や高皇産霊尊の孫の前玉命、また大己貴命とする説もあるが、神社の見解では玉前神を神武天皇の母神である玉依姫命としている。
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43 :
名無しさん@chs
2008/07/11(金) 14:34:36
ID:50JIVTtg
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『古事記』応神天皇
「ほむだわけ命、軽島の明宮に坐しまして、天の下を治らしめしき。こ
の天皇、ほむだまわか王の女、三柱の女王を娶したまひき。一はしらの名
は高木の入日賣命。次に中日賣命。次に弟日賣命。−この女王等の父、ほ
むだまわか王は、五百木の入日子命、尾張連の祖、建伊那陀宿禰の女、志
理都紀斗賣を娶して、生める子なり。−」
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44 :
名無しさん@chs
2008/07/11(金) 14:35:55
ID:50JIVTtg
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尾張国熱田太神宮縁起
「天皇の勅命により、東征の副将軍として任命されたタケイナダネは、
ヤマトタケルの軍と合流し、その後海路を目指した。その出航は、現在の
名古屋市緑区鳴海町にある成海神社(現在に成海神社は、応永年間に根古
屋(鳴海)城築城のため、現在地に移転されたものです)から行われたら
しく、神社にはヤマトタケルの出航の故事を伝える、『遠舟流の祭り』が
続けられている。
ヤマトタケル軍は、清水港(いわゆる野火の難と呼ばれる、草薙の剣伝
説。焼津港の可能性もあり。)から上陸するが、タケイナダネ軍は、海上
に残り後方支援に当たったものと推測する。
激戦の末、この地の賊を平らげたヤマトタケル軍は、足柄峠を越えて三
浦半島に向かった。
再び、船上に戻ったヤマトタケル軍だったが、嵐をついての出航だった
ので遭難しかけるのだが、弟橘媛の犠牲により何とか上総にたどり着き、
この後、海路陸奥まで軍を進めたとしている。
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45 :
名無しさん@chs
2008/07/11(金) 14:36:58
ID:50JIVTtg
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熱田神宮の元宮である氷上姉子神社(名古屋市緑区大高町)には、
向かいの氷上山頂に現在地よりもさらに元宮伝承地があって、そこに倭武
天皇とミヤスヒメの居住地跡の石碑が見られます
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46 :
名無しさん@chs
2008/07/11(金) 14:38:55
ID:50JIVTtg
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「草薙剣」、その前身は「天叢雲剣」(あめのむらくものつるぎ)と言
いました。
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47 :
名無しさん@chs
2008/07/11(金) 14:39:59
ID:50JIVTtg
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愛知県知多郡東浦町
入海神社
入海貝塚が良く知られています
タチバナヒメ伝説が残っています。
「父穂積氏忍山宿弥命は海路帰途につき緒川に凱旋するが、この時父の
乗った船の後を追って、弟橘比売命の形見の櫛が、緒川の紅葉川を遡って
緒川宮(入海神社)に漂着した。」
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48 :
名無しさん@chs
2008/07/11(金) 14:40:46
ID:50JIVTtg
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「ほむだわけ命、軽島の明宮に坐しまして、天の下を治らしめしき。こ
の天皇、ほむだまわか王の女、三柱の女王を娶したまひき。一はしらの名
は高木の入日賣命。次に中日賣命。次に弟日賣命。−この女王等の父、ほ
むだまわか王は、五百木の入日子命、尾張連の祖、建伊那陀宿禰の女、志
理都紀斗賣を娶して、生める子なり。−」
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49 :
名無しさん@chs
2008/07/11(金) 14:45:05
ID:50JIVTtg
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中嶋神社
・豊岡市三宅
お菓子の神様、田道間守命をまつる
菓祖、田道間守命(たじまもりのみこと)がまつられている中嶋神社。田道間守は天日槍の子孫、三宅連(みやけのむらじ)らの祖先で、垂仁天皇の命を受けて、はるかな地に、命を長らえることのできる実、その時節でなくてもいつでもある香り高い果物(橘)を探し求める旅に出ました。荒海を渡りようやく命がけで橘の実を手に入れることができ、日本へ帰ってきましたが、天皇は崩御の後で、悲しみ嘆いた田道間守は、天皇の陵(墓)に、橘を捧げたまま息絶えてしまいました
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50 :
名無しさん@chs
2008/07/11(金) 14:46:25
ID:50JIVTtg
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「田道間守」は、新羅(しらぎ=朝鮮の古国名)の王子で神代に日本へ帰化したアメノヒボコ(天日槍)の裔だといわれる。
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51 :
名無しさん@chs
2008/07/11(金) 14:48:26
ID:50JIVTtg
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出石神社
祭 神:出石八前大神 天日槍命
説 明:由緒記を転載します。
「出石神社は、天日槍命(あめのひぼこのみこと)が、新羅の国よりお持ちにな
りました八種の神宝を出石八前大神として、また、天日槍命の大御霊を御祭神
として斎祀しています。
天日槍命は、『古事記』、『日本書紀』ともに新羅国王の王子であり、日本に
渡来されたとし、その事蹟は記紀のほか『播磨国風土記』『筑前国風土記』逸
文等にうかがうことができます。
八種の神宝とは、『古事記』には珠二貫(たまふたつら)・振浪比礼(なみふる
ひれ)・切浪比礼(なみきるひれ)・振風比礼(かぜふるひれ)・切風比礼(か
ぜきるひれ)・奥津鏡・辺津鏡の八種としています。
天日槍命のご子孫には、田道間守命(たじまのもりのみこと)や、神功皇后があ
ります。
神社の創立年代はあきらかではありませんが、社伝の『一宮縁起』には、谿羽道
主命と多遅麻比那良岐と相謀り、天日槍命を祀ったと伝え、諸書によりますと、
遅くとも八世紀のはじめ頃にはすでにこの地で祭祀がおこなわれていたことがう
かがわれます。
但馬の国一宮
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52 :
名無しさん@chs
2008/07/11(金) 14:49:31
ID:50JIVTtg
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天の日矛がその妻の逃げたことを聞いて、追い渡って来て難波に入ろうと
する時に、その海上の神が塞いで入れませんでした。よって更にかえって、但馬
の国に船泊てをし、その国に留まって、但馬の俣尾の女の前津美と結婚して生ん
だ子は多遅摩母呂須玖(たじまもろすく)です。その子が多遅摩斐泥(たじまひ
ね)、その子が多遅摩比那良岐(たじまひならき)、その子は多遅摩毛理(たじ
まもり)・多遅摩比多訶(たじまひたか)・清日子(きよひこ)の三人です。こ
の清日子が当摩(たぎま)のめ(口偏に羊)斐と結婚して生んだ子が、酢鹿の男
(すがのもろお)と菅竈由良度美(すががまゆらどみ)です。上に挙げた多遅摩
比多訶がその姪の由良度美と結婚して生んだ子が葛城の高額比売(たかぬかひめ)
の命で、これが息長帯比売の命の母君です。