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麻績天長白羽神 天白 天白羽命

1 : 名無しさん@chs    2008/02/04(月) 21:39:26   ID:4t8251rE 
麻積氏の神

29 : 名無しさん@chs    2008/02/04(月) 22:22:50   ID:nSMfVm+I 
阿波國麻殖郡 忌部神社 名神大

御祭神
天日鷲翔矢尊(天日鷲命) 后神言筥女命 天太玉尊 后神比理能賣命
津咋見命 長白羽命 由布洲主命 衣織比女命


徳島県吉野川市山川町にある。
JR山瀬駅の東南約1Km、忌部山の麓に鎮座
忌部神社
当社の祭神は天日鷲命 神言筥女命 天太玉命 神比理能賣命 津作見命 長白羽命 由布洲主命 衣織比女命 である。往時は黒岩と呼ばれる處にあったが應永二年(一三九六年)秋の地震で社地が崩れ現地に祭られる様になったと云われる。
忌部神社に就ては延喜式神名帳にも記載されて居り明治四年(一八七一年)には国幣中社として列せられてゐるが其の正蹟に就ては神社間に種々争ひもあるが忌部神社正蹟考の研究資料に基く各方面からの考察に依って見ても忌部神社の正蹟は山崎の地であることは先づ正しいと考へられる。


30 : 名無しさん@chs    2008/02/04(月) 22:24:33   ID:nSMfVm+I 
呉服之神社祭神:長白羽命


御穂神社 (清水三保)磯前神社(少彦名神)、呉服之神社(長白羽命)、 産霊神社(高皇産霊命・神皇産霊命)、胡夫大夫神社(事代主命)、 稲荷神社(宇迦御魂神・大宮姫命・太田命)が祀られている


31 : 名無しさん@chs    2008/02/04(月) 22:32:17   ID:nSMfVm+I 
牟礼郷 郷社 白羽神社 由緒
郷社 白羽神社 由緒   牟礼村大字牟礼字岡   御祭神・・・誉田別命・足仲彦命・息長足姫命   合祀 ・・・経津主神・大山津見神・原山祇神・木花佐久夜姫命・須佐野男神・事代主命・鹿屋野比売命


32 : 名無しさん@chs    2008/03/19(水) 13:27:39   ID:UKXZguoE 
佐文と加茂神社

仲南町の北西部、金比羅宮のある象頭山の南西山麓に所在する。古代には「麻績村」と呼ばれ、琴平山周辺には忌部氏が住みついて麻の栽培が盛んであったが、麻を紡ぐ「麻績」から「あ」が除かれて佐文となったもの。


33 : 名無しさん@chs    2008/04/16(水) 09:40:55   ID:sKDrfGmU 
加茂神社は、琴平町県道208号線を南下、買田交差点を西に12分ほど歩いたところに鎮座する神社。
由緒(香川県神社誌)
天徳二年(紀元一六一八)九月藤原基雄の創祀といふ。佐分の地四方山に包まれ水利に乏し、古来竜王神を包囲しして旱魃に際し雨を祈りしが、土地漸く開けて盆水利に窮す。
茲に於て當社を祀りて加護を祈りたりと傳ふ。
全讃史に「加茂大明神 在佐分村 一村之社也 玉尾左門其祭」。
西讃府誌「加茂大明神 祭神加茂御祖神 加茂別雷神 祭祀九月廿日 社地二段五畝 祠官主尾靱負」と見ゆ。


34 : 名無しさん@chs    2008/12/04(木) 11:42:30   ID:Oh8Tj1bY 
鷲宮神社(わしのみやじんじゃ)
由緒略記

 埼玉県北葛飾郡鷲宮町鷲宮鎮座
  武蔵国 鷲宮神社

当社は出雲族の草創に係わる
関東最古の大社として今昔より
鷲宮大明神・浮島大明神または
大酉元祖とも称し州郡所々に多数の分祀あり

武蔵国造の遠祖天穂日命武夷鳥命大己貴命 外合祀神九柱を奉神 出雲族の草創に係る
関東最古の大社にして景行天皇の御字 日本武尊の造営次いで武蔵国造司祭造営中世以降関東の総社また関東鎮護の神として武将の尊崇厚く藤原秀郷源義家


35 : 名無しさん@chs    2008/12/04(木) 11:45:55   ID:Oh8Tj1bY 
天鳥船は天鴿船(はとぶね)、熊野諸手船とも同じで、天鳥船命は鳥石楠船命(とりのいわくすふね)と同じとされる。鳥石楠船命を祭神として祀るのが、神崎神社(千葉県香取郡神崎町神崎本宿)、隅田川神社(東京都墨田区堤通。もと浮島宮という)や、常陸の石船神社(茨城県東茨城郡城里町。常陸国那珂郡の式内社)などである

36 : 名無しさん@chs    2008/12/04(木) 11:48:21   ID:Oh8Tj1bY 
浮島宮は、景行天皇の東国巡狩の際の行宮であって、『高橋氏文』では安房(正確には「上総国の安房の浮島宮」)、『常陸国風土記』では常陸国南部の信太郡の浮島(現稲敷市桜川地区、旧桜川村に所属)にあったと記される。具体的な比定地としては、そこから葛飾野に狩に出たといい、しかも安房国説(伴信友)の浮島のほうは平群郡の勝山海岸の西方沖に浮かぶ小島(現安房郡鋸南町)にすぎず、行宮の所在地としては疑問が大きいから、『風土記』の所伝のほうに妥当性がある

37 : 名無しさん@chs    2008/12/04(木) 11:50:00   ID:Oh8Tj1bY 
葛飾郡の鷲宮神社(埼玉県北葛飾郡鷲宮町。利根川中流域西岸)であり、同社は香取郡の神崎神社を本宮として、別宮の関係があるという。いま鷲宮神社の祭神にあげる武夷鳥命は、神崎神社の祭神天鳥船命と同一神とされる。この神崎神社は、もとは香取神社の末社であり、香取市先崎の鷲神社は香取神宮の西方近隣に鎮座する。

38 : 名無しさん@chs    2008/12/14(日) 09:02:11   ID:PKk1Gd0Q 
総の国:房総

房総とは、麻の房の国か
Wikipediaに下記の説明があった。

1967年に藤原宮から発掘された木簡に「己亥(699年)十月上捄国阿波評(安房郡、後の安房国)……」という文字が書かれたものが発見された。発見当初はこれを「上狭国(=上総)」の別字体であると解釈されていた。続いて同じ藤原宮から「天観上〈捄〉国道前」という木簡も発見されたが、こちらの4文字目は判読しにくく、様々な文字を当てはめる説が出された。そのうちに「捄」と読む説も出たものの、「上捄」では意味が通じないとされて保留とされていた。
ところが、その後の研究で「捄」という字の和訓は「総」と同じ“ふさ”であること、天観という上総出身の僧侶がこの時代に実在していた事が明らかとなり、律令制以前の表記は「総」ではなく、捄国・上捄・下捄など「捄」の字が用いられていた可能性が高くなった。この「捄」とは房を成して稔る果実の事を指し(『大漢和辞典』説)、麻の実も収穫時には「捄」に該当することから、麻の稔る姿より「捄」の字が用いられ、令制国成立時に同じ和訓を持つ佳字である「総」に書き改められた




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