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安閑天皇

1 : 名無しさん@chs    2008/02/06(水) 09:43:00   ID:1smVYSns 
金橋神社
 安閑天皇(西暦四六六−五三五)は継体天皇の第一皇子で勾大兄廣國押武金日天皇(まかりのおほえひろくにおしたけかなひのすめらみこと)の名で親しまれ西暦五三四年春正月に第二十七代天皇として勾金橋宮で即位された。都を大和國盤余(いはれ)の玉穂宮から勾金橋宮の地(橿原市曲川町)に遷されたのは今から千四百五十余年前のことで寛大にして仁恵の深い天皇は此の地で善政を敷かれた。この由緒ある勾金橋宮跡に安閑天皇の遺徳を偲び、その神霊を祀って創建されたのが権現社である。


2 : 名無しさん@chs    2008/02/06(水) 09:44:46   ID:1smVYSns 
『一之宮貫前神社』(いちのみや ぬきさきじんじゃ)は群馬県富岡市一ノ宮に鎮座する、1400年の歴史を持つお社です。
社伝には鷺宮(さぎのみや:現在の安中市)に物部姓磯部氏が、氏神である経津主神を祀り、その鷺宮の南方、蓬ヶ丘綾女谷(よもぎがおか・あやめがたに:当地の古い呼称)に社を定めたのが安閑天皇の元年(531年)と云われ、これが創建にあたります。 
また、天武天皇の時代に初の奉幣(ほうべい)がありました。

経津主神は『日本書紀』などの国譲りの場面で神名がみえる、葦原中国(あしはらのなかつくに:日本の異称)平定に功績があったとされています。
比売大神は正確な神名も祀られた由緒も伝わっていませんが、一説には綾女庄(当地の古い呼称)の養蚕機織の神と云われています


3 : 名無しさん@chs    2008/02/06(水) 09:45:28   ID:1smVYSns 
安閑元年(534)の武蔵国造職争いで、勝った北武蔵の「笠原直使主
(かさはらのあたいおみ)」は朝廷に横渟(よこね)・橘花(たちばな)・多氷(たひ)・倉樔(くらす)の4郡を献上しました。
 こうした歴史的な経緯の中で政治の中心となる国府は府中に置かれ、また一宮、二宮、三宮とそれぞれに祀られてい
た神を一箇所に集め六社明神として祀ったのが府中、大国魂神社です。


4 : 名無しさん@chs    2008/02/06(水) 09:47:47   ID:1smVYSns 
安閑天皇を祭神とする境川源流域:町田市など

安閑天皇の皇后は春日山田皇女【かすがのやまだ】です。川尻村絵図(貞享元年)には広大な敷
地を有した春日神社も描かれ、左岸側には「春日谷」の地名も残されています。また八雲神社、荏柄八幡社、蔵王権現社、
御嶽社や山王社、諏訪神社等、安閑天皇を祭神とする神社が上流域に集中しています。


5 : 名無しさん@chs    2008/02/06(水) 09:49:15   ID:1smVYSns 
名古屋
創建年代は、709年(和銅2)と伝えられる。境内からは、縄文土器、弥生土器、須恵器、石器、炉のあと、甕棺なども発掘され片山神社遺跡とよばれている。名古屋台地の北の縁辺にあり、長久寺貝塚とともに名古屋の先史・古代遺跡として重要な場所だ。片山神社の祭神は、国狭槌尊(くにさちのみこと)と安閑天皇である

片山神社は、延喜式神明帳に記載された式内社である。祭神は、国狭槌尊(くにさちのみこと)と安閑天皇である。萬蔵寄進石造物を撮しに行ったのだが、境内に安閑天皇の即位千四百年記念碑というのがあることに今回初めて気付いた。祭神が安閑天皇である


6 : 名無しさん@chs    2008/02/06(水) 09:51:42   ID:1smVYSns 
岡太神社(おかふと)

福井県今立郡粟田部村
岡太神社勧請の所似は、雄略天皇の御宇(457〜479)、男大迹皇子当国の地勢東南領を始め山嶽四方に位し、激水溢れて恰も沼のごとくにして国民その害に罹るを御煩慮在らせられ、水路をうがち三大川 「九頭龍川、足羽川、日野川」 を開き、建角身神(タケツヌミノミコト)、大己貴命(オオナムチノミコト)、国狭槌尊(クニサツチノミコト)の三柱をこの地に勧請ありて岡太神社と号し、祈誓し賜う。 これ式内の神社なり。 継体天皇を相殿に祀りしは、千有余年以前に係れり。
皇子の池
 天神町にあり。 古昔、安閑天皇、宣化天皇の御降誕ありしに、この池の水を以て御産湯にあて奉る。 されば時俗産湯の池とも云う。 水清冽にして三状の日といえども涸れず、人境域に入りて荒らすことあれば白蛇出でて、その暴行をとがむるものの如し。 故に里人畏敬してあえて犯すことなしと云う。 いつからかこの池の周囲に石の玉垣を廻らし、童幼のみだりに出入りするを禁止す。 以て千古の聖蹟を無究に留む。
皇子の森
 皇谷山の麓、玉の尾に在り。安閑天皇、宣化天皇の御降誕ありし地と云う。味真野名跡誌に、今に粟田部大渓山の麓に皇子の池皇子の森と云うありて、正しき皇居は此処なりと云える


7 : 名無しさん@chs    2008/02/06(水) 09:53:40   ID:1smVYSns 
保呂羽山波宇志別神社>里宮
天平宝字1年(757)に吉野にある金峰山の蔵王権現(蔵王権現と安閑天皇は同じだと解釈される説が有力)を勧請したともあります
大友家は第27代天皇である安閑天皇の家来だった大伴氏が大和での政権抗争に敗れ、出羽に逃れ「安閑天皇」を祀ったと云われています


8 : 名無しさん@chs    2008/02/06(水) 09:54:50   ID:1smVYSns 
この第27代安閑天皇は、御子さまも無く幸が少なくあらせられ、天皇になられて4年余りで亡くなられ、御陵(みささぎ)は当社から真東の河内古市の高屋にあります。
安閑天皇を祀った神社は北は東北地方から南は九州まで全国方々に有りますが、多くが蔵王権現と関係深いようで神社の名前が「蔵王権現神社」となっているところも有ります。元は修験道の信仰から生じたものでしょう。
又安閑天皇は元、勾大兄皇子(マガリのオオエノオウジ)とよばれ、この勾(マガリ)は一説には「真+カリ(銅)」と解釈され,修験道の金峯山と結びつき蔵王権現=廣國押武金日命とも考えられた

林羅山の著した『本朝神社考』には、安閑天皇の御霊を修験道の蔵王権現と同じと記されたのと、 その後に記された『和漢三才図会』(1713年)は、「厳然俗伝曰 人皇十八代 安閑天皇崩後至四年宣化天皇三年現干金峯山告人曰 吾是広国押武金日?也 仍知権現乃安閑天皇也牟」とあります。このように金峯山に現れた蔵王権現が、自ら吾は広国押武金日命(安閑天皇)なりと名乗ったと云われています


9 : 名無しさん@chs    2008/02/06(水) 09:56:11   ID:1smVYSns 
赤城神社上野国神名帳には、佐位郡従四位上郡玉明神と記載されている神社で、安閑天皇の時代の創建です。 慶長年間に伊勢崎藩主稲垣長茂が改修した折に赤城神社と改名しました。

波宇志別神社
祭神は「安閑天皇」、社家は大伴氏の子孫である大友家がつづいています。 (一説には祭神は蔵王権現ともいい、蔵王権現は、安閑天皇のことともいいます。)


10 : 名無しさん@chs    2008/02/06(水) 09:58:35   ID:1smVYSns 
上新庄  :阪急
大宮神社: 創立年ははっきりしませんが、第27代の安閑天皇がこの地へしばしば行幸され、天皇即位の2年秋、牛を放牧し、土地の発展を計られました。その御徳を慕った人々が、安閑天皇を主祭祀としてお祀りしたものと伝えられています。


11 : 名無しさん@chs    2008/02/06(水) 09:59:46   ID:1smVYSns 
湖西 高島市

安閑神社は、継体天皇の第一皇子、安閑天皇(在位531〜535年)を祀っているといわれていますが、定かなことは不明な古い神社です。
 この安閑神社の境内の片隅に、不思議な絵文字が刻まれた石があります。これは、漢字が渡来する前に日本にあった「神代文字(じんだいもじ)」とも考えられ、邦光史郎の小説『謎の古代文字』にも登場しました


12 : 名無しさん@chs    2008/02/06(水) 10:00:26   ID:1smVYSns 
廣国神社

祭神:廣国押武金日命(安閑天皇)
安閑天皇は、第27代天皇で、継体天皇の長子。 西暦531年に即位され、535年に退位されています。 都を、大和の勾の金橋(まがりのかねばし)に設けられ、御 陵は、この神社のほぼ真東、羽曳野市の高屋


13 : 名無しさん@chs    2008/02/06(水) 10:00:52   ID:1smVYSns 
高屋神社 延喜式内の古社、古代、物部一族であった高屋連(むらじ)がこの辺りにいたので、その氏神として始まったのであろう。 祭神は饒速日命(にぎはやひのみこと−物部氏の祖先・高屋連の祖先)と安閑天皇となっている

14 : 名無しさん@chs    2008/02/06(水) 10:01:40   ID:1smVYSns 
安閑天皇の時代に疫病及び飢饉があり、熊野本宮大社を畳ヶ原に奉斎するとの伝承がある。また、第27代安閑天皇の妃宮橘の仲皇女が浪花路で行方不明になられた時、天皇の夢枕に「武蔵国今熊山の詣で祈願すれば妃の居所はわかる」とのお告げがあり、無事を知る事ができたという。その為古来より「よばわり山」と言う。

15 : 名無しさん@chs    2008/02/06(水) 10:02:36   ID:1smVYSns 
藻津の大峯神社は元来二つあり、どちらも祭神は安閑天皇。
大峯神社は山岳信仰に結びつき、安閑天皇を祀るのも山岳信仰と関係があるそうです。


16 : 名無しさん@chs    2008/02/06(水) 10:03:26   ID:1smVYSns 
御嶽神社
東京都青梅市の御岳山にある旧府社。祭神は櫛真知命(くしまちのみこと)ほか。安閑天皇または崇神天皇の時代の創立と伝えられる


17 : 名無しさん@chs    2008/02/06(水) 10:04:59   ID:1smVYSns 
安閑天皇の「金橋宮」はJR金橋駅から北に真っ直ぐ曲川町を抜けた町外れにある「金橋神社」付近とされ、金橋神社の境内には「金橋宮跡」と書かれた石碑が建てられています。
なお、曽我川を挟んだ対岸の曽我町には蘇我入鹿の宮


18 : 名無しさん@chs    2008/02/06(水) 10:06:30   ID:1smVYSns 
咲前神社(さきさきじんじゃ). 鷺宮三三○八番地. 健経津主命 大己貴命 保食命. 安閑天皇元年(五三四)鎮座 白鳳元年(六五○)創建

19 : 名無しさん@chs    2008/02/06(水) 10:08:28   ID:1smVYSns 
安閑天皇元年(535年)の条によると、(475年頃に大和朝廷が中国の支配(冊封)から独立して半世紀ほど経った当時、3年後の538年には朝鮮から仏教が伝来する)、関東平野を二分する「武蔵国造の乱」と言える大規模な内乱が発生した。埼玉県東部(無邪志(ムザシ)国と呼ばれた地域)を支配していた豪族・笠原直使主(カサハラノアタイオミ)が、大和朝廷の支援を得て、東京都と神奈川県(これらの地域を総称して胸刺(ムナサシ)国と呼ばれた地域)を支配していた豪族・小杵(オギ)の一族と、群馬(上毛野(カミツケヌ))の豪族の小熊(オグマ)との連合軍を破ったという記録がある。

20 : 名無しさん@chs    2008/02/06(水) 10:08:39   ID:1smVYSns 
稲荷山(イナリヤマ)古墳で発見された「辛亥年銘鉄剣」という古代の鉄剣がある。5世紀から6世紀にかけての「辛亥」の年は、411年、471年、531年、及び591年である。最新の研究では、471年であろうという説が定着しているが、その場合は、鉄剣の主は、当時の21代雄略天皇に仕えた近衛兵(名前はヲワケ)になる。もしも上記の「日本書紀」にある内乱と、この鉄剣とが一致する時期であれば、531年とするのがもっとも合点が行く。
あるいは考古学者の甘粕健氏の研究にある通り、「日本書紀」の記述がそもそも誤りで、安閑天皇元年(535年)ではなく、雄略天皇15年(471年)の可能性もあるが。


21 : 名無しさん@chs    2008/02/06(水) 10:10:10   ID:1smVYSns 
笠原直使主は大和朝廷から武蔵国造家であることを認知された。直使主は横渟(よこぬ)、橘花(たちばな。橘樹郡)、多氷(たひ)、倉樔(くらす。後に久良(くら)郡、さらに久良岐(くらき)郡。)の4ヶ所を屯倉として献上した。

敗れた上毛野国(太田天神山古墳)と、武蔵南部(荏原台古墳群)の力が弱くなり、勝利した武蔵北部(さきたま古墳群)の力が強くなったとする説がある。また後の武蔵国は胸刺(むざし)と无邪志(むざし)、知知夫(ちちぶ)が1つの国になった物だが、武蔵南部を胸刺、武蔵北部を无邪志と考える説もある


22 : 名無しさん@chs    2008/02/06(水) 10:13:10   ID:1smVYSns 
534年安閑天皇より笠原直使主が武蔵国国造を任命され、埼玉郡笠原(現在の鴻巣市笠原)に拠点を持ったとされる。

小杵が何処に居たのか?
多摩川流域と言われているが、そこから正確な場所は分かっていない
多摩川台公園の古墳は小杵といわれています。

この戦争の後に多摩川流域には古墳の数は減少していき、変わって使主の埼玉県に多く造られ始めていきます。

横渟(よこぬ)・・・埼玉県比企郡吉見町
橘花(たちばな)・・・神奈川県川崎市・横浜市東北部
多氷(おおひ)・・・東京都多摩地域
倉樔(くらす)・・・神奈川県横浜


23 : 名無しさん@chs    2008/02/06(水) 10:13:46   ID:1smVYSns 
小熊の孫雅子は、後に白村江の戦いに将軍として戦場に赴く。

24 : 名無しさん@chs    2008/02/06(水) 10:16:09   ID:1smVYSns 
0663/03/.. 上毛野雅子ら、兵2万7千人を率いて新羅に遣わされる

智二年(663)の白村江の戦いに前将軍の上毛野君雅子、天武元年(672)の壬申の乱には東国勢として佐味君宿那麻呂と大野君果安、天武十年(681)『日本書紀』編纂の史局設置の際、上毛野朝臣三千は諸臣の首座に名があがっている。


25 : 名無しさん@chs    2008/02/06(水) 10:18:56   ID:1smVYSns 
武蔵府中から十数キロ多摩川を下った田園調布にある一連の大型古墳群は、武蔵国造多毛比命一族のものであろうと推定されている。4〜5世紀の間栄えて5世紀末に衰退した。すると入れ替わるように、今度は北武蔵の埼玉古墳群が栄えだした。埼玉古墳群とは金象眼銘文の刻まれた鉄剣が出て有名な稲荷山古墳を含み、大宮に近い北方にある。すなわち武蔵国の中心が移動したことを示しており、かつて武蔵国は无邪志国と胸刺国の二つに書き分けられた理由にもなる。それでは何故そのような移動があったのか。

『日本書紀』の安閉紀に、武蔵国造の笠原直使主と同族の小杵が長年にわたって争い、小杵は上毛君の応援をうけたが、京の政権の後ろ盾を得た笠原直に敗れたとある。その結果、武蔵南部の四処の屯倉を京の政権に奉ったという。武蔵国造笠原直の笠原とは埼玉古墳群と大宮の間にある地名である。敗れた同族の小杵は何処にいたか分からないが、戦利品か服属の証しと奉られた四処の屯倉が武蔵南部の地であることから、武蔵府中の多毛比命の子孫であろうといわれる。


26 : 名無しさん@chs    2008/02/06(水) 10:24:40   ID:1smVYSns 
兄多毛比命の7代後裔が、武蔵国造の乱で有名な笠原直使主である。小杵とは 従兄弟にあたる

安閑天皇の頃に武蔵国造の地位を巡って笠原直使主(かさはらのあたえのオミ)と同族の小杵(オキ)が争ったという記録がある。このことから笠原直一族が古来の武蔵国造であり、かつ夭邪志国造=埼玉古墳群の主と考えられる


27 : 名無しさん@chs    2008/02/06(水) 10:25:17   ID:1smVYSns 
笠原直使主は埼玉県鴻巣市笠原付近にいた豪族と思われる。そのすぐ北に 埼玉 さきたま 古墳群がある。 上毛野 かみつけぬ 君 小熊 おくま は 豊城入彦命 とよきいりひこのみこと の後裔?

28 : 名無しさん@chs    2008/02/06(水) 10:27:02   ID:1smVYSns 
武蔵の豪族、笠原直使主と小杵の争い。使主が勝ち、橘花 他3ケ所を朝廷に差し出す。(屯倉)

この頃、丸子、宮内、北見方、梶ヶ谷などに豪族の古墳が作られる

上丸子古墳:今の東横線鉄橋下の多摩川河川敷に、6世紀頃に築造された 丸い塚の小さな古墳。大正10年、多摩川改修工事の際に、伊勢神社跡の小高い丘から、人物の埴輪が数多く出土された。
 梶ヶ谷古墳群:梶ヶ谷付近に見られる直径20m程の小さな円墳群。高杯やさかずき、当時の日用品が出土された。


29 : 名無しさん@chs    2008/02/06(水) 10:29:04   ID:1smVYSns 
笠原から元荒川の上流10キロほど離れた埼玉郡埼玉(現在の行田市埼玉)にあるさきたま古墳群は同時代の古墳であり、何の基盤の無い当地に突如として、関西に匹敵する中型前方後円墳が現れた事を考えれば、笠原を本拠としたといわれる武蔵国国造の笠原氏の古墳ではないかと指摘されています

30 : 名無しさん@chs    2011/04/10(日) 15:38:22   ID:DV9nr5OE 
>>5
廣國押武建日こと安閑天皇を祀る式内社が、尾張国でなく三河国に
鎮座しておるのだが、事跡もない三河国に何故?
射穂神社 祭神:安閑天皇・春日山田之皇女・神前皇女 
西加茂郡猿投町大字上伊保字北山弐拾六番地
ttp://www.geocities.jp/engisiki/mikawa/bun/mk110104-01.html


31 : 名無しさん@chs    2011/04/12(火) 03:26:50   ID:sLCef1zc 
>>1
>継体天皇の第一皇子で勾大兄廣國押武金日・・・・・
というのは、任那4県割譲に対する父王との意見の相違からみて、捏造かも。
伝えられる年齢からみても、親子でなく並立した一方の王朝の長だったのかも?


32 : 名無しさん@chs    2011/05/28(土) 16:46:10   ID:hbSLTb6E 
>>4
安閑皇后春日山田皇女は、一名赤見皇女?赤見とは?
20 : 名無しさん@chs 2007/11/28(水) 18:01:31 ID:8d3cb06aa7
【紀】春日山田【カスガノヤマダ】皇女。山田大娘【ヤマダノオホイラツメ】皇女(一伝)。
別名として赤見【アカミ】皇女(一伝)。書紀は後に第27代安閑【あんかん】天皇の
大后【おほきさき】となったと記す。
和珥氏:海人族 www1.atchs.jp/test/read.cgi/tokyoblog/76/20-20


33 : 名無しさん@chs    2011/09/02(金) 14:40:21   ID:b6It5zZI 
>>32
滋賀県伊香郡高月町磯野に坐す赤見神社も、安閑皇后春日山田皇女を
祀っておるようですね。
和珥氏:海人族 ttp://www1.atchs.jp/test/read.cgi/tokyoblog/76/15-17




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