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鴨の一族

1 : 名無しさん@chs    2007/04/16(月) 21:53:23   ID:c893d1b20e 
鴨長明は、もともと京都・下鴨神社(賀茂御祖神社=かもみおやじんじゃ)の有力な神官の出身でした。京都の東で、賀茂川と高野川が合流して鴨川になりますが、その2川が合流するY字状のところに下鴨神社があります。長明は、保元の乱が起こる前年の1155年ころ、この下鴨神社の神官の家の次男に生まれたんですね。鴨の一族は王朝以前から京都盆地の鴨川流域を開発した古い豪族で、代々、京都の水を守る鴨神社の神官を勤めていたんです。御手洗川とは、下鴨神社の森に流れる、京都の水への祈りが捧げられた神聖な川でした。

2 : 名無しさん@chs    2007/04/16(月) 21:57:39   ID:c893d1b20e 
鴨都波神社
奈良県御所市大字御所513
積羽八重事代主命、下照姫命

金剛、葛城の山麓は古代の大豪族、鴨族の発祥地

葛城の地に鎮まる鴨社としては、本社のほかに、高鴨神社(上鴨)御歳神社(中 鴨)との三社があります。
本社付近一帯は鴨都波遺跡と呼称され、神社はその遺跡の上に鎮座しています。本社 の境内地を中心に弥生時代の土器や石器、竪臼などの農具が多数出土し、高床式の住 居跡も発掘されていますが、弥生時代の中期始め、鴨の一族が水稲農耕を営み神社付 近に住みついた事を表しております。

天孫降臨に際して、父の大国主命(桜井市の大神神社御祭神)に代わって国譲りを決 定した大神として、御祭神の事代主命の名がみえます。また、事代主命の御子のヒメ タタラ五十鈴媛命は神武天皇の皇后、五十鈴依媛命は綏靖天皇の皇后に天日方命から 加茂君が出ておられます。民族学を研究されておる鳥越憲三郎先生は、葛城王朝の存 在と「天孫降臨は葛城王朝に鴨族が併合されたこの地の歴史的事実を伝承されたもの 」そして葛城王朝の、神武、綏靖、安寧の三代の天皇の皇后となったのは、事代主神 を奉斎してこの地を領地していた鴨王の娘であるといわれる


3 : 名無しさん@chs    2007/04/16(月) 21:58:09   ID:c893d1b20e 
壬申の乱に大海人皇子(天武天皇)を御神託によって戦 勝にお導きしたのも事代主神

4 : 名無しさん@chs    2007/04/16(月) 21:58:43   ID:c893d1b20e 
古くは神武天皇の大和平定のとき一族はヤタガラスと称されて功績をあげ、また神功 皇后の朝鮮征伐からの御帰還にあたっては、謀反があって船を難波に入れないとき、 事代主神の御守護により無事に大和へお迎え申し上げることが出来ました。

5 : 名無しさん@chs    2007/04/16(月) 22:03:53   ID:c893d1b20e 
鴨の最重要な水神=貴船の水神

下鴨神社の祭神であるカモタケツヌミと丹波神野の伊可古夜日女との間にできた子が玉依姫で、その玉依姫と雷大神または羽咋神との間にできた子神が別雷神で、これが上賀茂神社の祭神


6 : 名無しさん@chs    2007/04/16(月) 22:08:58   ID:c893d1b20e 
平安時代に水神の最高神とみられていたのが、北の貴船と南の丹生の神

7 : 名無しさん@chs    2007/04/18(水) 14:35:49   ID:bcf99990e4 
貴船神社

祭 神:高龗たかおかみ大神 大山祇大神 大穴牟遅大神


8 : 名無しさん@chs    2007/04/18(水) 14:37:40   ID:bcf99990e4 
呉市では 貴船と大山津見神は別に祀られている

貴船神社
(通称りゅうおうさん) 鎮座地:呉市西辰川2-9-10
御祭神:高城入毘賣命(タカキイリヒメノミコト) タカオカミノカミ

八咫烏神社 鎮座地:呉市宮原11-12-25
御祭神:大山津見神(オオヤマヅミノカミ)  健角見神(タケツヌミノカミ)  玉依毘売神(タマヨリヒメノカミ)


9 : 名無しさん@chs    2007/04/18(水) 14:41:12   ID:bcf99990e4 
京都市鞍馬貴船町貴船神社の祭神三社を勧請し、石船神社を貴船大明神と改称した。
貴船大明神の祭神は


 みずはめのみこと      たかおかみ      くらおかみ
罔象女命(水波女命)      高籠神        闇籠神
    水の神        止雨(晴天)の神     祈雨の神


10 : 名無しさん@chs    2007/04/18(水) 14:47:38   ID:bcf99990e4 
タカオカミは軻遇突智神の御子で、暗龍神と同胞。両部で竜神と称し雨の神。

11 : 名無しさん@chs    2007/04/18(水) 14:53:13   ID:bcf99990e4 
丹生川上神社下社  祭神 クラオカミノ神
丹生川上神社上社  祭神 タカオカミノ神 配神 大雷神、大山祇神
丹生川上神社中社  祭神 罔象女神 配神 イザナミ命、イザナギ命 他 摂社 木霊神社「五十猛命」


丹生神社  祭神 水波能賣神
神武伝説の丹生川上神事の場所か


12 : 名無しさん@chs    2007/04/18(水) 14:57:06   ID:bcf99990e4 
富山県 高岡市 笹川 字竹端 435
   丹生川神社  祭神 軻遇突智命 配祀 句句廼智命、罔象女命、埴安命、金山彦命


13 : 名無しさん@chs    2007/04/18(水) 15:01:46   ID:bcf99990e4 
火走神社

軻遇突智神
由緒
「御祭神
当御祭神は軻遇突智神を祀る。一に火之夜芸速男神とも火産霊神とも称え奉る。
御鎮座
       醍醐天皇延喜の制(醍醐天皇延喜五年(西暦905年)により式内社に列せし
       古社にして神名帳に『火走神社祭神軻遇突智命』とあり推古天皇(西暦594
       年)の二年三月圭田二十九束と三畝田を寄進して軻遇突智神の祭礼を執行せら
       れたり是等に依っても如何に古くより御鎮座あらせられしかを知る事が出来る。


14 : 名無しさん@chs    2007/04/18(水) 15:06:11   ID:bcf99990e4 
 高皇産霊尊
   ‖――+高皇産霊神―天太玉命―天石戸別命―天富命
 神皇産霊尊|
      +天神玉命―天櫛玉命―天神魂命―櫛玉命―武津之身命(天八咫烏)
                           ‖―――玉依姫
                          伊賀古夜姫 ‖―賀茂別雷命
                               火雷命


15 : 名無しさん@chs    2007/04/18(水) 15:07:06   ID:bcf99990e4 
      高産霊神――栲幡千々姫 +火明命
               ‖――+
 伊邪那岐 +天照大神―天忍穂耳命 +迩迩芸命  +火照命(海幸彦)
   ‖――+              ‖―――+
 伊邪那美 +――――――大山祇神    ‖   +火遠理命(山幸彦)
      |        ‖――+木花開耶姫   ‖―鵜葺屋葺不合命
      +―――――鹿屋野姫神 +木花知流姫  豊玉姫   ‖――神武天皇
      |           +石長姫         玉依姫
      |   天知迦流美豆比売
      |        ‖―――大山咋神(松尾明神・日吉明神)
      |神大市比売 +大年神
      |  ‖―――+
      |  ‖   +宇迦之御魂神(お稲荷様)
      |  ‖                       天若彦
      +素戔嗚神―――――田心姫               ‖
       ‖  ‖      ‖――味鋤高彦根神(賀茂大神)・下照姫
       ‖  ‖………大己貴神(だいこく様)       (阿加流姫)
       ‖  ‖   ‖  ‖――八重事代主神・高照姫
       ‖  ‖   ‖  ‖    ‖――五十鈴姫(神武天皇皇后)
       ‖  ‖   ‖ 高降姫  三島溝杭姫
       ‖  ‖ ‖―――――建御名方神(諏訪明神)
       ‖  ‖  沼河姫
       ‖ 櫛稲田姫
       ‖――――――――葛城一言主神
       ○


16 : 名無しさん@chs    2007/04/18(水) 15:07:39   ID:bcf99990e4 
 葛城:下鴨神社  事代主神
    中鴨神社  大歳神・高照姫
    高鴨神社  味鋤高彦根神
    長柄神社  下照姫
    一言主神社 一言主神


17 : 名無しさん@chs    2007/04/18(水) 15:08:09   ID:bcf99990e4 
 京都:木島神社(中) 火明命
    上賀茂神社(艮)賀茂別雷命
    下鴨神社    玉依姫・賀茂建角身命
    日吉神社    大山咋神・大物主神
    松尾神社(坤) 大山咋神
    伏見稲荷神社(巽)宇迦之御魂神
    愛宕神社(乾) 迦遇槌命(雷神)


18 : 名無しさん@chs    2007/04/18(水) 15:10:05   ID:bcf99990e4 
この賀茂一族の中核となるのが味鋤高彦根神と八重事代主神で、特に事代
主神はその子孫が初期の天皇家の妃になるというたいへん重要な地位を占
めていた一族


19 : 名無しさん@chs    2007/04/18(水) 15:24:58   ID:bcf99990e4 
丹生都比売神を祀る神社一覧

http://www.kamnavi.net/ny/nyuiti.htm


20 : 名無しさん@chs    2007/04/18(水) 15:26:34   ID:bcf99990e4 
花の窟神社 はなのいわや ご祭神 伊弉冊尊 軻遇突智神 鎮座地 三重県熊野市有馬町 神代の昔より花を供えて祭るので花乃窟と言う

21 : 名無しさん@chs    2007/04/18(水) 15:30:58   ID:bcf99990e4 
主祭神 大山積神 高籠神 雷神  配神 熊野皇大神 熊野三社神 加具工神 伊弉冊神 菊理姫 事解男神

古事記の中の神々の系譜

大山積神社史

千二百七十四年(文永十一年)九十代亀山天皇は皇位を御宇多天皇に譲位し亀山上皇となられました。
同年十月第一次蒙古軍の来襲があり、亀山上皇は伊勢神宮に勅使を送り敵国降参を祈願し上皇も筑前の筥崎宮に祈られました。
伊予の武将、河野通有は弘安年間敵国降伏のため、大三島の大山祇神社に祈願し大山積神を別ち、
千二百七十九年(弘安二年)石手村に大山積神社を建立した、と伝えられております。


22 : 名無しさん@chs    2007/04/18(水) 15:39:21   ID:bcf99990e4 
紀の国の忌部氏の祖神 天太玉神、手置帆負神、彦狭知神

名手八幡神社 那賀郡那賀町穴伏
奥安楽川神社 那賀郡桃山町善田
三船神社 那賀郡桃山町神田
丹生神社 那賀郡桃山町垣内
船津八幡神社 那賀郡岩出町岡田
上小倉神社 和歌山市下三毛
河根丹生神社 伊都郡九度山町河根
上岩出神社 那賀郡岩出町北大池
坂本神社 那賀郡岩出町西坂本
闘鶏神社摂社玉置神社 田辺市湊
須佐神社摂社稲荷神社 田辺市中万呂
神楽神社 田辺市神子浜


23 : 名無しさん@chs    2007/04/18(水) 15:42:17   ID:bcf99990e4 
三船神社 那賀郡桃山町

祭神
木霊屋船神、太玉命、彦狭知命

境内社 丹生神社、高野神社



由緒
崇神天皇の皇女豊鍬入日売命の創祀と伝えられている。
木霊屋船神は、木を加工して家や船が作られたが、木の神がそのまま家屋や船の守り神になるとされる古い信仰の神であろう。 太玉命、彦狭知命は忌部氏の祖神である。


24 : 名無しさん@chs    2007/04/18(水) 15:55:35   ID:bcf99990e4 
天孫本紀に別名を手栗彦、高倉下という。天降った後、紀伊国熊野邑に住む。磐余彦尊に武甕槌神の帯剣・フツノミタマを奉ることは『記』『紀』の高倉下に同じ。 母は天道日女で、物部氏の祖・宇摩志麻治は異母弟にあたる。

25 : 名無しさん@chs    2007/04/18(水) 15:58:19   ID:bcf99990e4 
山城賀茂氏は天津神系、葛城賀茂は国津神系で、葛城と山城の二つの賀茂氏は全く別系だというもの。
 また、葛城賀茂氏の一派が山城に移住したとする同族説がある。

『令義解(リョウゲノゲ)』
 『天神(アマツカミ)は、伊勢・山城(代)・鴨・住吉・出雲国造斎神等の類(タグヒ)これなり。
地祇(クニツカミ)は、葛木(城)・大神(オホミワ)・葛木(城)鴨・出雲大汝神(オホナムチのカミ)等の類(タグヒ)これなり。』


26 : 名無しさん@chs    2007/04/18(水) 15:59:20   ID:bcf99990e4 
下鴨神社(京都市)や高鴨神社(奈良県御所市)をはじめ、当の賀茂関係各社や賀茂関係各者の記録や伝承によると、やはり先の八咫鳥の移動、つまり同族説になりがち

27 : 名無しさん@chs    2007/04/18(水) 16:25:00   ID:bcf99990e4 
賀茂大神の阿遅鋤高日子根神(あじしきたかひこねのかみ)は、雷神で農耕神ですが、名前に農耕具である「鋤」の字が入る。その弟の事代主命の娘は初代神武天皇皇后・媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)で、名前に「蹈鞴(足で踏む大きなふいご)」が入ります。水田を開墾するには、画期的な農耕具が必要だったはずで、農耕具を作る技術は稲作文化と一緒に伝来していたと思われます

28 : 名無しさん@chs    2007/04/21(土) 06:01:17   ID:38f297e948 
鴨氏と物部氏は大田種子尊が三輪を祭り、伊香賀色雄尊が補佐をした関係
鴨氏と物部氏は友族。


29 : 名無しさん@chs    2007/06/04(月) 14:34:37   ID:9b16639aea 
京都:上賀茂神社(艮)賀茂別雷命
   下鴨神社    玉依姫・賀茂建角身命

阿遅鋤高日子根神や事代主は国神とすれば、天神の系になる賀茂別雷命と賀茂建角身命は??

社伝では、神武天皇の御代に賀茂山の麓の御阿礼所に賀茂別雷命が降臨したと伝える。『山城国風土記』逸文では、玉依日売(たまよりひめ)が加茂川の川上から流れてきた丹塗矢を床に置いたところ懐妊し、それで生まれたのが賀茂別雷命で、兄玉依日古(あにたまよりひこ)の子孫である賀茂県主の一族がこれを奉斎したと伝える。丹塗矢の正体は、乙訓神社の火雷神とも大山咋神ともいう。玉依日売とその父の賀茂建角身命は下鴨神社に祀られている。

日向国曽の峰に降臨した賀茂建角身命は、神武天皇を先導して
大和の葛木山に宿り、さらに山代国岡田の賀茂に移り、
その後、久我国の北山基に鎮座。
丹波国神野の神伊可古夜日売を娶り、玉依日子・玉依日売が生まれた。

やはり、神武天皇の親族(日向系)が天孫のようだ。
京都と奈良葛城の鴨は、系統が異なっている


30 : 名無しさん@chs    2007/06/04(月) 14:36:48   ID:9b16639aea 
玉依姫命
別称:玉依毘売命、玉依日売命、玉埼神、活玉依毘売命(イキタマヨリビメノミコト).
系譜:海神(ワタツミノカミ)の娘で豊玉姫命の妹


31 : 名無しさん@chs    2007/06/04(月) 14:38:22   ID:9b16639aea 
海神(一説には豊玉彦命という)の娘。トヨタマビメの妹であり、ウガヤフキアヘズと結婚して、イツセ・イナヒ・ミケヌ・若御毛招命(神武天皇)の四子を産んだ。

32 : 名無しさん@chs    2007/06/04(月) 14:39:20   ID:9b16639aea 
記紀の海幸山幸神話では、トヨタマビメが自分の姿を見らたことを恥じて海神の宮に帰ってしまった後、タマヨリビメはウガヤフキアヘズを養育する事になる。そして後に、ウガヤフキアヘズと結婚し4人の子供を産んだのだ

33 : 名無しさん@chs    2007/10/24(水) 16:06:54   ID:1282ec5e8d 
丹生都比売は天照大神の妹神とされ、またタカオカミやクラオカミ、そしてミズハノメもイザナギ、イザナミの御子神として「天つ神」に格上げされている。海人族の祖神といわれる表筒男・中筒男・底筒男の住吉三神、応神天皇を主祭神とする八幡神も同様の天つ神といえる。

丹生都比売大神は天照大神の御妹神で別名稚日女尊(わかひるめのみこと)と申します。織物の祖神と言われ、御子の高野御子と共に大和地方を巡歴され、農耕殖産を教え導かれこの地に鎮座されました。 神功皇后に協力された功績で応神天皇より紀ノ川以南の広大な地を神領として与えられました。


34 : 名無しさん@chs    2007/10/24(水) 16:08:35   ID:1282ec5e8d 
丹生都比賣神社
祭神は四柱

第一殿に主神、丹生都比賣大神を祀り、第二、第三、第四殿に、夫々に、高野御子大神、 御食都比賣大神、市杵島比賣大神を祀る。


35 : 名無しさん@chs    2007/11/02(金) 10:22:48   ID:98125c4abb 
紀元前5世紀頃、三嶋大明神が南方から海を渡って伊豆国に到来し、地元の下賀茂(現在の静岡県賀茂郡南伊豆町下賀茂、または単に賀茂郡南部)の神である伊古奈比当スを后に娶った、とされている。この三嶋大明神が三嶋大社(静岡県三島市)の祭神である三嶋大明神(現在では事代主神または大山祇神とされている)と同一神であるかは必ずしも明らかではないが、「当社の三嶋大明神は天竺の王子であって日本出身ではなく、三嶋大社の三嶋大明神とは別の神である」とする伝承もある。

三嶋大明神は富士山の神に願い出て伊豆国の地を譲り受けたが、土地が狭かったため、龍神・海神・雷神の助けを借りて7日間で10の島を創り上げた。これが初島、大島、新島、神津島、三宅島、御蔵島、利島


36 : 名無しさん@chs    2007/11/02(金) 13:44:16   ID:98125c4abb 
『遠江国風土記傳』に記されている「矢之姫神」とは、「伊賀古夜日売」のことではなく、 その子神にして賀茂別雷命の母神の「玉依日売」の間違いと思われる。 『見付志料』は「矢之比賣神」にして玉依姫なり」としている。

37 : 名無しさん@chs    2007/11/02(金) 13:53:06   ID:98125c4abb 
遠江見付町の矢奈比賣天神は、裸祭にて名高き神社なるが、祭神を知る者稀なり。 『出雲風土記』に「八野[やぬの])郷郡家<正>北三里二百一十歩  須佐能袁命[すさのうのみこと])  御子八野若日女命[やぬわかひめのみこと]  坐之爾時所造天下大神大穴持命[おおあなもちのもこと]  將娶給為而令レ造レ 屋給故云ニ八野一」とある。 八野若日女命を矢奈比賣といいしなり。

矢奈比賣天神は此等の何れかにあらん。即ち
 ・八野若日女命『出雲風土記』
 ・矢之姫神  『山城風土記』

玉依毘売 (タマヨリビメ)

崇神記に、大物主の大神の妻になった活玉依毘売、「逸文山城風土記」に、丹塗矢と婚姻した玉依日売など、「玉依毘売」の名をもつ女性は神と通婚する巫女的神性がある。海神の娘豊玉毘売の妹で、姉に替わって 天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(前項)を養育し、のち、その妻となり、五瀬命・稲氷命・御毛沼命・若御毛沼命(のちの神武天皇)を生む。


38 : 名無しさん@chs    2007/11/02(金) 13:55:48   ID:98125c4abb 
『山城国風土記』逸文に出てくる賀茂神社縁起では、ある時タマヨリビメが水遊びをしていると、上流から丹塗矢が流れてきた。彼女はそれを拾って帰り、部屋に飾っておいた所、やがて身篭もって男の子が生まれた。その子供が、上加茂神社の祭神であるカモワケイカツチである。
 このタマヨリヒメ神はもともと鴨川の水の神を祀る巫女だったとも考えられ、その巫女が神婚によって神の子を生んだのだ。その子供であるカモワケイカツチは、山城・丹波地方の開拓神であり、雨水をもたらす豊穣の神である。
 『古事記』中巻の崇神天皇の段には、三輪のオホモノヌシの妃としてイクタマヨリビメが登場している。彼女の元へと、毎晩通ってくる男がいたので、それを心配した両親が男の裾に糸を通した針をつけた。そしてその糸の後を辿っていくと、大和の三輪山へと消えたので、その男が三輪山のオホモノヌシだと分かった


39 : 名無しさん@chs    2007/11/02(金) 13:59:55   ID:98125c4abb 
赤穴八幡宮:飯南町赤名

「丹塗箭神話」(にぬりやしんわ)という赤穴八幡宮(松尾神社)の創建にかかわる神話が伝えられています。玉依姫という女神が丹塗りの矢に姿を変えた大山咋(おおやまくい)という神に触れ別雷神という子神を生み、「松尾の森に宮処定めん」とお鎮まりになったというものです。この神話は「山城国風土記逸文」や『古事記』に同様なものがあり、古代畿内に栄えた賀茂族の出自を物語る神話と同一であることがわかっています
八幡信仰がこの地に伝わる以前には別雷神、玉依姫、健角見命を産土神として祀る集団が存在

社蔵古文書によると770年(宝亀元年)に現地に社殿を建立して松尾神社と称したとあります。1158年(保元3)の官宣旨(『石清水文書』)にはいわゆる出雲国八所八幡として「赤穴別宮」がみえ、少なくとも平安時代中ごろには「赤穴荘」が京都石清水八幡宮の所領となり、八幡宮が置かれていたと考えられています


40 : 名無しさん@chs    2007/11/28(水) 11:47:45   ID:8d3cb06aa7 
『古事記』が国譲りの一方の主人公だと喧伝している、あのオオクニヌシという神様が、鴨三神社のどこにも祀られていない

41 : 名無しさん@chs    2007/11/28(水) 13:13:33   ID:8d3cb06aa7 
藤原氏の遠祖は天御中主尊(あめのみなかぬし)の系統に属する天児屋根命ですが、春日神社の主祭神で藤原氏の直接の祖とされる天児屋根命の「三代」前の神様を津速魂命(つはやたまのみこと)と言い、この神様と上で見た鴨族や三島宿禰の祖神・神魂命が系譜上の「兄弟」

三島の神「三島溝杭耳命」は「陶津耳命(すえつみみ)」の別名であり、三輪の大物主と夫婦の契りを結んだ姫の名は「活玉依毘売(いくたまよりひめ)」である、とするもので、
鴨族は
大物主大神(事代主)−−櫛御方命−−飯肩巣見命−−建甕槌命−−意富多多泥子
神武天皇に皇后として娘を差し出した三島一族の首長
オオタタネコは茅渟県の「陶村(すえむら)」に住んでいたそうです

天児屋根命の「孫」、天種子命は宇佐津彦命の娘・宇佐津姫を娶って「宇佐津臣命」を産んだ


42 : 名無しさん@chs    2007/11/28(水) 13:19:35   ID:8d3cb06aa7 
大和は葛城の地をベースにした鴨氏の繁栄は、今は見る影もない
鴨君は新撰姓氏録では、摂津国皇別で、日下部宿禰同祖、彦坐命之後也。とある。丸邇の臣の系列で鴨族とつながる。

『大和志』に、高市御縣坐鴨事代主神社として、「高殿村に在り、今、大宮と称する。又の名を鴨公の森」とある。享保年間の書


43 : 名無しさん@chs    2007/11/28(水) 13:32:42   ID:8d3cb06aa7 
談山神社 多武峰
藤原鎌足の遺骨を摂津国阿威山からこの地に改葬し、長男定慧が木造十三重塔(重要文化財)を建てたのに始まる


  『多部峰略記』・『多部峰縁起』では、「鎌足」の遺骸は多武峰に移葬
 されたということになっており、しかも当初埋葬された場所は、阿武山で
 はなく阿威山であるという。
  ただ、阿武山も阿威山も「摂津国」にあり、これを同じ山であるとする
 説もある。

  「阿武山古墳」は金モールを、太織冠の遺存とする限り、「鎌足」の墓
 に断定されてしまう。実際「摂津国阿威」には「大織冠神社」があり、か
 つては、この神社は「鎌足公の古廟」と言われていた

多武峰移葬説は、『籐氏家伝』


44 : 名無しさん@chs    2008/08/14(木) 21:48:38   ID:NOE7vWu6 
阿波忌部の祖とされる天日鷲神が木綿の製作者として記紀神話に見えることと符合します。古代の衣服・繊維氏族の倭文連・長幡部も忌部の同族でした。そして、また衣服・繊維氏族であった服部連も、これらの同族であり、その出自が伊豆国造一族であって、同国造一族が古来、同国賀茂郡で三島大社(伊豆三島神社)を奉斎してきました。同郡の式内社阿波神社が、いま神津島に鎮座して三島大神とその后神阿波比盗_を祀ります。伊予で多くの三島神社(その中心が大山祇神社)を奉斎した越智国造は、物部連一族ですが、これも少彦名神の同族でした。摂津国島下郡の三島県主(のち三島宿祢)は先にあげた氏族のなかにありますが、その奉斎した神社が三島鴨神社でした。

少名彦命と天日鷲命は、ほかにも別神の名前
三島溝咋耳命・鴨健角身命・陶津耳命・八意思兼神とも同じ神であり、葛城国造(葛城連)や賀茂県主・鴨県主などもその後裔氏族

天孫系の氏族(高魂命後裔氏族)であって、「鴨」「三野(美努・美濃)」などの地名や氏族とも深い関係を持っていました


45 : 名無しさん@chs    2008/08/14(木) 21:50:39   ID:NOE7vWu6 
『古代豪族系図集覧』; 陶津耳命の女に活玉依比売がいて、大物主命との間に鴨朝臣の祖である太田田根子のを生んだ。

46 : 名無しさん@chs    2008/08/15(金) 08:49:59   ID:Cl129/MU 
阿波 忌部神社
当社の創建は不詳だが、
神社明細帳によれば、皇紀2年2月25日の創建。

阿波祖神・天日鷲命を祭神とし、忌部氏の奉祭する神社で、
古代においては、国中第二位の神階であったが、
中世には八幡社となり、神主の早雲氏が徳島城下に移り、
兵乱が続く中で、式内・忌部神社は、長く不明となった。

調査の結果、吉野川市山川町山崎にある当社が比定され、
明治5年5月10日、国幣中社に指定された。
その後、美馬郡貞光説もあり、調査の結果、正式に当社に確定。
明治7年12月22日、太政官布告。
明治8年1月10日、祭文奏上。
明治14年11月まで、官祭が執行された


47 : 名無しさん@chs    2008/08/15(金) 08:56:05   ID:Cl129/MU 
旧事本紀によれば、伊予の国造は以下のとおり。
伊余国造、久味国造、小市国造、怒麻国造、風速国造。
(成務朝)、(応神朝)、(応神朝)、(神功朝)、(応神朝)
ここで「伊余」と「久味」は松山平野に、「風速」は北条市に、
「小市」は今治平野に、「努麻」は高縄半島(西部?)に比定される。
即ち、「小市」は越智郡に当たり、「怒麻」は野間郡に当たり、
両者は高縄半島において東西隣接している。


48 : 名無しさん@chs    2008/10/19(日) 14:13:48   ID:cYqZGFJU 
 『山城国風土記』逸文の「可茂の社」の項によれば、玉依日売(玉依姫命)が石川(賀茂川)で川遊びをしているとき、丹塗矢が川上から流れてきたので、その矢を持ち帰って床の辺に挿しておくと孕んで男子を生んだという。

 その男子は外祖父の賀茂建角身命(外祖母は丹波の神野の神・伊可古夜日女)に因んで賀茂別雷命と名づけられたが、あるとき、その丹塗矢、つまり男子の父は火雷命であることが判明した(丹塗矢は乙訓の社に坐す火雷神だとある)。


49 : 名無しさん@chs    2008/10/19(日) 14:24:39   ID:cYqZGFJU 
川越
「三芳野神社」
祭神素盞男尊、稲田姫、菅原道真。 土地の人は天神様≠ニよぶ。


50 : 名無しさん@chs    2008/10/19(日) 14:26:51   ID:cYqZGFJU 
神社には天神様がおり、迷うことなく天国に導いてくれる。最後の「行き」は「逝き」で、「帰り」は「甦り」(黄泉帰り)の意味 埼玉県川越の三芳野神社は、わらべ唄「 とおりゃんせ」発祥の地となっている

51 : 名無しさん@chs    2008/10/19(日) 14:29:03   ID:cYqZGFJU 
、「とうりゃんせ」発祥の地というのが川
越のほかにもあるのです。ひとつ例をあげると、小田原市国府津
に正暦5年(994年)開基といわれる菅原神社があるのですが
ここには「わらべうた 通りゃんせ 発祥の地」という石碑が立
っており、歌詞も刻まれているのです。
 ここを発祥の地とした場合、通す通さないのやりとりは、箱根
の関所ということで理解できます。合田氏は、この菅原神社を発
祥の地とすると、「細道」とは箱根の山の街道のことではないか
といっています。


52 : 名無しさん@chs    2008/10/19(日) 14:35:11   ID:cYqZGFJU 
かごめ かごめ
かごのなかのとりは
いついつでやる
よあけのばんに
つるつるつっぺぇつた


53 : 名無しさん@chs    2008/10/19(日) 14:35:47   ID:cYqZGFJU 
三芳野神社は、川越城の築城前からあったそうですがそれを「太田道灌父子」が城を築くときに敷地に取り込んでしまったそうです。 神社横の細道が歌の舞

54 : 名無しさん@chs    2008/10/19(日) 14:42:00   ID:cYqZGFJU 
【現社名】前玉神社
   【住所】埼玉県行田市埼玉5450
   【祭神】前玉彦命 前玉姫命
       『神明帳考証』前立命忍立命
       『新編武藏風土記稿』木花開耶姫命
       『大日本史』大己貴命前玉比売命
       『特選神名牒』前玉命大己貴命


55 : 名無しさん@chs    2008/10/19(日) 14:45:42   ID:cYqZGFJU 
振魂尊。
 児が、前玉命。[掃部連等の先祖。]
 次の児が、天忍立命。[纏向の神主等の先祖。]

高魂命−伊久魂命−天押立命−陶津耳命−玉依彦命−剣根命−夜麻都俾命−久多美命( 葛城直祖)


56 : 名無しさん@chs    2008/10/19(日) 14:47:53   ID:cYqZGFJU 
尾張氏から別れたのが、籠神社の社家・海部氏と掃部氏
掃守は蟹守(かにもり)の転訛。系図によっては、天香語山命の父、つまり天火明命の位置に、天前玉命(天忍人命)とするものがあって、天香語山命(高倉下命)の兄の天筑摩命(あめのちくまのみこと)を「掃部直祖」としている。天忍人命と同神とされる天前玉命は、豊玉毘売命の弟の振魂命の子、つまり豊玉毘売命の


57 : 名無しさん@chs    2008/10/19(日) 14:58:08   ID:cYqZGFJU 
埼玉県・稲荷山古墳の鉄剣の金象眼の文字に、自分は ワカタケル大王がシキ宮にいた時
第一の部下であった とある。


58 : 名無しさん@chs    2008/10/19(日) 15:01:13   ID:cYqZGFJU 
出雲祝神社(村社・所沢総鎮守・入間市宮寺鎮座)
祭神:天穂日命(アメノホヒ命)・天夷鳥命(アマヒナドリ命)・兄多毛比命(エタモヒ命=武蔵国造)
 もと寄木明神といったという。第十二代景行天皇の頃(約2000年前)、日本武尊が東夷征伐に当たられた時、当地に立ち寄り、天稲日命・天夷鳥命を祭祀して、出雲伊波比神社と崇敬したことに始まる神社


59 : 名無しさん@chs    2008/10/19(日) 15:01:58   ID:cYqZGFJU 
『廣瀬神社』
廣瀬神社(県社・狭山上広瀬鎮座)
祭神:若宇迦能売命(ワカウカノメ命)・倉稲魂命
 日本武尊が東征の途中、この地に立ち寄り、この地が大和国広瀬郡川合の広瀬神社の地域によく似ていると称し、幣帛を立てて穀物の神である若宇迦能売命を祀り、武運長久と五穀豊穣を願ったことに始まるという。しかし大和の広瀬神社は日本武尊の時代よりも後の天武天皇4年の創始とされており、武蔵国に分祀された記録もない


60 : 名無しさん@chs    2008/10/19(日) 15:03:07   ID:cYqZGFJU 
物部天国渭地祇神社(もののべてんくにいちぎ神社・県社・通称北野天神社・所沢市北野鎮座)
祭神:
物部天神社:櫛玉饒速日命(クシタマニギハヤヒ命)
国渭地祗神社:八千矛命(ヤチホコ命=大国主命)
天満神社:菅原道真公
 物部天国渭地祇神社とは物部天神社・国渭地祗神社・天満神社の総称である。景行天皇40年に日本武尊が東征の折に当地に立ち寄り、櫛玉饒速日命・八千矛命の二柱を祀り、物部天神・国渭地祗神と崇拝したことに始まるといわれている


61 : 名無しさん@chs    2008/10/19(日) 15:11:15   ID:cYqZGFJU 
木更津には金鈴塚古墳(6世紀の終わり頃と推定される全長約90メートルの前方後円墳)があって、関東では珍しいほどのその豊かな出土品から、木更津と大和朝廷との深い関係が想定されている

金鈴塚古墳には、秩父産の緑泥片岩からつくられた箱型石棺が安置されている
鈴塚古墳はもとは二子塚といわれ、昭和25年(1950)の学術調査
金の鈴5個をはじめ豪華な装いの刀剣や馬具など、予想をはるかに超える
きらびやかな副葬品を出土。なかでも金の鈴は、日本で唯一の貴重な出土例
であることから『金鈴塚』と命名されました。


62 : 名無しさん@chs    2008/10/19(日) 15:11:49   ID:cYqZGFJU 
金鈴塚古墳はかって小櫃川(おびつ)河口付近に24基の古墳があった長須賀古墳群の一つで600年頃の前方後円墳

63 : 名無しさん@chs    2008/10/19(日) 15:25:26   ID:cYqZGFJU 
銚子市猿田町
猿田神社は、社伝によれば垂仁天皇25年(紀元前5年)の創祀<そうし>と伝えられ、猿田彦大神<さるたひこのおおかみ>・天鈿目命<あめのうずめのみこと>・菊理媛命<くくりひめのみこと>が祀<まつ>られています。
 本殿は807年(大同2)に、勅命<ちょくめい>(天皇の命令)によって改築され、その後もたびたび修築が行われました。


64 : 名無しさん@chs    2008/10/19(日) 15:31:10   ID:cYqZGFJU 
常陸国北西部に点在する(出雲系様式といわれる)前方後方墳がほぼ5世紀初頭のものと推定されている

65 : 名無しさん@chs    2008/10/22(水) 13:20:20   ID:/h4roMTE 
崇神天皇期に知々夫彦命が知々夫国造になっており、時代が下って成務天皇期に兄多毛比命が夭邪志国造、伊狭知直が胸刺国造に定められた

『旧事本紀』の「国造本紀」では、知々夫国造条に「瑞籬朝御世、八意思金命十世孫知知夫彦命定賜国造、拝祠大神」と記されており、瑞籬朝とは崇神朝のことであり、東国では最も早い時期に知々夫国造が置かれたと伝えます。


66 : 名無しさん@chs    2008/10/22(水) 13:30:10   ID:/h4roMTE 
秩父神社
第10代崇神天皇時代(約2080年前)知々夫国造・知々夫彦命(ちちぶひこのみこと)が先祖の八意思金命(やごころおもいかねのみこと)を祀ったのが創祀といわれ、秩父の総社として古くから崇敬を集め、武蔵国府の総社(東京都府中市:大国魂神社)には四ノ宮として勧請されたという。
鎌倉時代に秩父平氏が崇敬したといわれる妙見菩薩を合祀し、大宮妙見と称したという。


67 : 名無しさん@chs    2008/10/22(水) 13:34:11   ID:/h4roMTE 
・知知夫国造。瑞籬の帝[崇神天皇]の御世に八意思金命の十世の孫の知知夫彦命を国造に定められた。大神を斎奉る。
・須恵国造志賀高穴穂の帝[成務天皇]の御世に茨城国造の先祖の建許呂命の子の大布日意彌尊を国造に定められた。
・馬来田国造志賀高穴穂の帝[成務天皇]の御世に茨城国造の先祖の建許呂命の子の深河意彌尊を国造に定められた。
・上海上国造。志賀高穴穂の帝[成務天皇]の御世に天穂日命の八世の孫の忍立化多比命を国造に定められた。
・伊甚国造。志賀高穴穂の帝[成務天皇]の御世に安房国造の先祖の伊許保止命の孫の伊己侶止直を国造に定められた。
・武社国造。志賀高穴穂の帝[成務天皇]の御世に和邇臣の先祖の彦意祁都命の孫の彦忍人命を国造に定められた。
・菊麻国造。志賀高穴穂の帝[成務天皇]の御世に无邪志国造の先祖の兄多毛比命の子の大鹿国直を国造に定められた。


68 : 名無しさん@chs    2008/11/18(火) 15:33:51   ID:vyt9aM0w 
大神神社の大物主神を奉祭する祭主、大田田根子は出雲の名族、神門臣の娘、美気姫を妻とし、大御気持命を生んでいる。また、この大御気持命は出雲鞍山祗姫を娶り大鴨積命・大友主命・田田彦命を生んでいる。大鴨積命は大賀茂都美命とも書くが、大神朝臣、賀茂朝臣の祖、賀茂神社の奉斎に当ったと『姓氏録』は記している。こうした伝承は崇神朝、大田田根子、御気持命、大賀茂都美命は大和にありながら出雲神門臣、出雲鞍山祗(出雲積)の女性を妻に迎えていることの反映であり、出雲神門臣は出雲国神門郡、出雲積は出雲国出雲郡出雲郷にその居住地をもつ氏であることを知ると、大和と出雲の間の交流が極めて活発に行われていた

69 : 名無しさん@chs    2009/08/02(日) 01:19:44   ID:o6nkuFl2 
八咫鏡は河合神社、八重垣剣は別雷宮に預けおく。

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の三十「天君都鳥の紋」(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P261-262 )


70 : 名無しさん@chs    2009/08/02(日) 01:21:41   ID:o6nkuFl2 
下鴨神社の境内にある河合神社の鎮座の年代は、不詳であるが神武天皇の代から余り遠くない時代と伝えられている。「延喜式」に「鴨河合坐小社宅神社」とある。「鴨河合」とは、古代からこの神社の鎮座地を云い、「小社宅」(こそべ)は「日本書紀」に「社戸」と訓まれ、それは本宮の祭神と同系流の神々との意である。延喜元年(901)12月28日の官符には「河合社、是御祖、別雷両神の苗神也。」ともある。

71 : 名無しさん@chs    2009/08/02(日) 01:24:09   ID:o6nkuFl2 
下鴨神社

賀茂御祖(かもみおや)神社

祭神
(東本殿)玉依媛命(たまよりひめ)、(西本殿)建角身命(たけつぬみ)
上賀茂神社の祭神である賀茂別雷大神(かもわけいかづち)の母神と祖父神。

『山城国風土記』逸文によると、下鴨神社の前身は三身社(三井社)で、建角身命、丹波の伊可古夜日女(いかこやひめ・賀茂別雷命の外祖母)、玉依日女がまつられていた。「新抄格勅符抄」によれば、765(天平神護元)年に神戸(かんべ)が上賀茂神社に二十四戸、下鴨神社に二十戸が与えられたとあるので、その頃にはすでに下鴨神社は存在していた。
その後は上賀茂神社と一体の社として、784(延暦3)年、長岡京遷都の際には神位(従二位)が授けられ、この頃から朝廷と直接的な関係が生じた。平安京遷都前年の793(延暦13)年には桓武天皇が遷都のことを奉告させ、翌年には自ら行幸した。807(大同2)年には伊勢神宮に次ぐ神位(正一位)が授けられた。


72 : 名無しさん@chs    2009/08/02(日) 01:26:19   ID:o6nkuFl2 
鴨川近辺の玉依姫命を祭神とした玉前神社や安房神社

河合神社の正式名は鴨河合坐小社宅神社(かものかわあいにいますおこそやけ)というそうです。


73 : 名無しさん@chs    2009/08/02(日) 01:28:49   ID:o6nkuFl2 
神武2年、「葛野主殿県主部」が賀茂建角身命を奉斎していたと『日本書紀』に記されており、これは天神玉命を祖神とする鴨氏と同じ氏族にあたる。また『賀茂神宮賀茂氏系図』によれば、賀茂建角身命の子孫である大二目命が「鴨建角身命社」を奉斎しており、賀茂御祖神社の始源の社とされている。崇神天皇7年、社の瑞垣が造営され、垂仁天皇27年、神宝が奉まつられている。また、緩靖天皇の御世より御生神事が行われ、欽明天皇5年から葵祭が行われている。糺の森周辺の発掘調査により弥生時代の住居跡や土器が発掘され、古代より続く祭祀の跡と証明された。
 『姓氏録』によれば、賀茂建角身命は神皇産霊尊の孫とされ、神武東征の先導役として天照大神の命を受け、八咫烏と化って天皇を導いたとされる。『山城国風土記』によれば、初め大和の葛木山に宿り、山城國岡田の賀茂から木津川を下り、桂川を遡行して久我の国に着いた。娘の賀茂玉依日売は石河の瀬見の小川において丹塗矢を拾い男子を出産したが、父神が誰か分からない。祖父の賀茂建角身命が宴を開き、男子に「盃を父と思う神に飲ませよ」と問うと、男子は屋根を突き破り天上へ昇ったとされる。『秦氏本系帳』によれば、松尾大社の祭神である大山咋命をその父神と見なしている。賀茂御祖神社では賀茂建角身命と賀茂玉依日売を祀り、賀茂別雷神社ではその男子である賀茂別雷神を祀っている。


74 : 名無しさん@chs    2009/08/02(日) 01:30:38   ID:o6nkuFl2 
御生神事
 『社記』によれば、緩靖期を起源とする。明治初年までは御生神事と称され、御蔭の地で行われるところから御蔭神事、あるいは御蔭祭と呼ばれるようになった。御生神事は鴨神社創祀の祭で、祭神の荒魂が御生され、馬で神霊を本宮へ奉迎し、本宮の和魂が新しい生命と合体されるという古代祭祀である。『源氏物語』では「みあれ詣で」と取り上げられ、新しい生命の息吹をうけて身も心もよみがえると言う御生の思想が信仰されていた。一方、神々しい神迎えの行粧が有名になり、『勘仲記』をはじめ数々の史書に登場する。御蔭の地で御生された神霊は、途次の鴨社総社で路次祭を行い、糺の森の神域に着御、馬に遷御し、切芝に入御する。入御した切芝では、神霊に鴨社の創祀と伝承を詠楽によって奏し、風俗舞に表わし物語ると言う古代祭祀である。


75 : 名無しさん@chs    2009/08/02(日) 01:41:48   ID:o6nkuFl2 
秦氏の首長だった秦河勝が広隆寺(当初は蜂岡寺)を建立した頃(603)にあたる。その広隆寺の東隣に、大酒神社がある。秦氏の氏神を祀っている。

大酒神社から東へ歩いて15分ぐらいの場所に、蚕の社(正式には木島坐天照御魂神社)がある。この社もまた7C頃の創建とされている。
本殿の西に元糺(もとただす)の池がある。現在は枯れてしまっているが、泉が湧いていたらしい。この池の中央に三柱の石鳥居がある。いつごろの創建か不明だが、現在のものは享保年間(1716-36)に修復されたものである。
ただこの三柱の石鳥居が一体何を表したものなのか長らく謎とされてきた。

この三柱の石鳥居について謎を明らかにしたのは、大和岩雄氏だった。以下大岩氏の説による。
元糺の池は、平安時代に下鴨神社に「糺」の名を勧請して以後、そう呼ばれるようになったらしい。
「糺」とは朝日が「直射(たださ)す」の意で、元糺の池は太陽を遥拝する場所だった。
この地から夏至の太陽を見ると、比叡山(その最高峰の四明岳)から昇り、愛宕山に沈む。冬至の太陽は、稲荷山から昇り、松尾山(日埼峯)に沈む。
さらに興味深いことに、元糺の池を中心に、北東から南西にかけて、比叡山の日吉大社、下鴨神社、松尾大社が直線上に位置し、いずれも大山咋神(山の神)、鳴鏑矢で象徴される天神(雷神)が祀られている。(下鴨神社には、大山咋神は祀られていないが、大岩氏によると、もともとは祀られていたと、説得的に説いている。)


76 : 名無しさん@chs    2009/08/02(日) 01:48:32   ID:o6nkuFl2 
下鴨本社に祀った玉依姫命は丹塗(にぬり)の矢 に変じた火雷神(ほのいかづちのかみ)の愛をうけて別雷神(わけいかづちのかみ)を産んだ女人

「糺の森(糺すの森)」なぜ「糺す」なのであろうか?

 また「糺の神(糺すの神)」とは、京都下鴨神社の御祭神、東殿「玉依媛命」と西殿「賀茂建角身命」のことであろうか?、「賀茂別雷神」のことなのであろうか?。

 八坂神社の御祭神は、「糺の神(糺すの神)」(八坂神社の祭神・スサノオ命・須佐之男命・素盞鳴尊)とも云う。

何か関係あるのであろうか?

糺(ただす)の森の「ただす」は只州とも書く。賀茂川と高野川の二つが合流して鴨川となる。

その合流点にできた三角州を「糺の森」と呼ばれていた


77 : 名無しさん@chs    2009/08/02(日) 01:53:39   ID:o6nkuFl2 
秦(はだ)の氏女(うぢにょ)が御手洗川の川辺で水を汲み神に手向けていると、川上より白羽の矢が流れきたり水桶にとまる。これを取って帰り庵の軒にさすと、懐胎して男子を産んだ。この男子が別雷神(わけいかづちのかみ)であり、賀茂別雷神社(上賀茂神社)の祭神となる。
別雷神を産んだ秦の氏女すなわち玉依媛命(たまよりひめのみこと)は別雷神の御祖(みおや)であるから、媛を祀る下鴨神社は賀茂御祖(みおや)神社と呼ばれるのである。
この曲に語られる神婚伝説は古くからこの地に大勢力をもっていた賀茂(鴨)氏一族と、今一つの豪族である帰化人系の秦氏との協力連繋を示すものとする見方もある。

上賀茂神社(賀茂別雷神社)の由緒抜粋
「 御祭神 賀茂別雷大神
神代の昔、本社の北北西にある秀峰神山(こうやま)に御降臨になり、天武天皇の御代(678)、現在の本殿に御鎮座になった。御鎮座以来広く庶民の信仰を集め、皇室の御崇敬は歴代にわたり、行幸啓は枚挙にいとまあらず、国家の重大事には必ず奉幣、御祈願があった。
嵯峨天皇は皇女有智子内親王を斎院と定め、天皇の御杖代として御奉仕なさしめ給い、以来35代、約400年続いた。「延喜式」では名神大社に列し、のち一ノ宮として尊崇せられた。また摂関賀茂詣、武家社参相次ぎ、特に徳川家は家紋の三ツ葉葵が、当神社の神紋二葉葵に関係があるところから、特別の信心を寄せた。明治以後終戦まで、官幣大社として伊勢の神宮に次ぐ、全国神社の筆頭に位した。 」


78 : 名無しさん@chs    2009/08/02(日) 01:56:08   ID:o6nkuFl2 
可茂の社というのは日向ひむかの曾そうの峰(南九州の高千穂)に天降った、賀茂建角身命かもたけつぬのみことという神をまつる。 この神は神武天皇の大和国平定の折に先導をつとめ、しばらくは葛城山かつらぎさんの麓に居られたがやがて山城の国の岡田(加茂町)に居住された。 さらに木津川を下って鴨川と桂川の合流点から鴨川の上流を見渡し「狭い川であるが清らかな流れの川だ」と言われ、鴨川を「瀬見の小川」と呼ぶようになった。 そして命はこの川をさかのぼり久我国の北の山麓に移られた。 この時より、この地方を「賀茂」と言う。
 また、この風土記の逸文に関連する節話が社家伝わっている。 その一説は、神武天皇の大和国平定に功績のあった賀茂建角身命は葛城山麓に住んでおられたが、やがて葛城山系を北へたどりて走谷はしりだに(現在の枚方市加茂建豆美命かもたけつみのみこと神社)に達し、そこにしばらく居住の後、再びたどって乙訓(現在の長岡京市角宮すみのみや、建角身命の「角」の字から名づけられた)に定住され、丹波国の伊可古夜比売いかこやひめと結婚されたという節話である、と言う2説があり、風土記逸文の葛城―岡田―久我の移動を「東のルート説」と称し、社家の節話の葛城―走谷―乙訓の移動を「西のルート」と称している。


79 : 名無しさん@chs    2009/08/02(日) 02:00:32   ID:o6nkuFl2 
賀茂家家系

                      ┌ 玉依媛命―賀茂別雷命
神皇産霊尊―天神玉命―天櫛玉命―鴨建角身命 ┴ 鴨建玉依彦命―五十手美命―┐
┌───────────────────────────────────┘
└麻都躬之命―看香名男命―津久足尼命―猿弟人命―佐佐乃彦命―菅牽命―稚可土乃命


80 : 名無しさん@chs    2009/08/02(日) 02:00:45   ID:o6nkuFl2 
賀茂家家系

                      ┌ 玉依媛命―賀茂別雷命
神皇産霊尊―天神玉命―天櫛玉命―鴨建角身命 ┴ 鴨建玉依彦命―五十手美命―┐
┌───────────────────────────────────┘
└麻都躬之命―看香名男命―津久足尼命―猿弟人命―佐佐乃彦命―菅牽命―稚可土乃命


81 : 名無しさん@chs    2009/08/02(日) 02:00:56   ID:o6nkuFl2 
賀茂家家系

                      ┌ 玉依媛命―賀茂別雷命
神皇産霊尊―天神玉命―天櫛玉命―鴨建角身命 ┴ 鴨建玉依彦命―五十手美命―┐
┌───────────────────────────────────┘
└麻都躬之命―看香名男命―津久足尼命―猿弟人命―佐佐乃彦命―菅牽命―稚可土乃命


82 : 名無しさん@chs    2009/08/09(日) 09:22:11   ID:cHz9TPFQ 
角宮神社 長岡京市井ノ内南内畑35 infoseek
阪急西向日 西1500m

祭神 火雷神
配祀 玉依姫命、建角身命、活目入彦五十狹茅尊

由緒
式内大社乙訓坐火雷神社(ホノイカツチ)の論社。もう一つは向日神社に併祭されている火雷神。
『山城国風土記』では、賀茂建角身命の子神で、水辺の女神玉依姫と丹塗矢との神婚によって、上鴨神社の祭神賀茂別雷神が生誕した伝承を戴せ、その丹塗矢が乙訓坐火雷神であるとしている。
火雷神が初めて国史に登場するのは、大宝二年(702)のことで、乙訓郡火雷神に旱魃の度に祈雨をしているとある。
江戸時代にはこの角宮神社が乙訓坐火雷神社と考えられていた。社伝にも「継体天皇六年勅して乙訓社を建営し給ひ、火雷神を鎮め給ふ。延暦四年、桓武天皇勅して玉依姫命、建角身命、活目入彦五十狹茅尊の三神を火雷神と共に鎮め給ひ、天皇行幸し給ひ、角宮乙訓大明神と仰ぎ給ふ。」とある。


83 : 名無しさん@chs    2009/08/09(日) 09:26:44   ID:cHz9TPFQ 
笛吹神社
火雷神社は延喜式の宮内省大膳職坐三坐の一つを始め山城国乙訓郡、大和国宇智郡、上野国那波郡に鎮座する。水神、火神を祀る神社であったと推定される。
当社を笛吹神社とも言うのは元は火雷神社と天香山命を祭った笛吹神社と二社あったのが合祀されたものと考えられる。
笛吹の集落の神山に南面して鎮座、神山には多くの古墳があった。平成10年の7号台風が直撃しており、木々が多く倒れている。神社付近の田も稲が倒れて穂が濡れたままになっている。
神社の前の道は一言寺道という古道で葛城一言主神社に通じている。火雷神社は葛城一言主神社と調田坐一言尼古神社(疋田神社)の中間点に位置し、火雷神社と疋田神社の中間に大屋という字がある。


84 : 名無しさん@chs    2009/08/12(水) 09:04:19   ID:0Q9eZiS6 
少彦名神後裔の鴨県主一族

鴨族の近畿地方での故地は、大和国葛木郡の鴨・倭文であり、摂津国三島郡の鴨であった

讃岐の二つの鴨部郷
鴨部郷は阿野(綾)郡にもあり、坂出市東南部の加茂(本鴨、鴨庄)のある地域である。加茂川が流れている
旧長尾町域は『和名抄』の寒川郡長尾郷・多和郷などであったが、長尾郷の北方には鴨部郷があり(旧志度町東部)、小田という地名もある

真鍋氏との関連
1.大川郡長尾町域(現さぬき市)には、まなべ一族が居り、その南端部の多和(現さぬき市の大字)には五郎祐光の墓があるともいい、橘神社として祀られる
2.橘太夫盛資は三野郡詫間郷に居たといわれ、その子孫を称するものには「まなべ」姓を名乗るものが多い
『香西史』には、「讃岐橘氏ハ伊予橘氏、即チ従三位大納言鎮守府将軍橘好古ヨリ出デ、寿永年中詫間城主橘大夫盛資出テ、後海崎長尾真部等ノ諸氏ヲ出シ。鎌倉室町時代ニ亘リテ大イニ繁栄シタリ」と見える。
3.大野原町青岡のすぐ隣に向本庄(観音寺市域)という地名が見え、その北東約二キロにある母神山(はがみやま)古墳群の中に「真鍋塚」がある。近在の粟井居住の真鍋氏所有に因る命名とのことであるが、粟井にある苅田郡の式内名神大社が粟井神社であり、祭神を忌部の祖・天太玉命とするが、その原型は阿波忌部の祖・天日鷲命(天太玉命とは兄弟関係)だとみられる
shushen.hp.infoseek.co.jp/hitori/manabe/manabe1.htm


85 : 名無しさん@chs    2009/08/12(水) 09:07:43   ID:0Q9eZiS6 
三野は、河内の三野県主(『姓氏録』所載の河内神別・美努連で、鳥取の同族)であり、三野前国造(同族に美濃の鴨県主がいる)であり、栗隈・岡田は山城の鴨県主の移動経路にある山城南部の拠点地であり(式内社の岡田鴨神社がある)、長尾・平尾などは吉備及び讃岐にもあって、鳥の「尾」に由来する地名・苗字である。そして、真鍋島には少彦名神たる松尾神に因む松尾の地名も残る。
 真鍋氏が拠った讃岐の向城についても、岡山市土田に向山(むこうやま)と呼ばれる山があり、この地にかつて天鴨(あまがも)神社があったことから、地元では鴨山と呼ばれる事情もあり、いまは天津神社がある。「向」は讃岐にも出てきたが、山城北部の鴨県主の本拠近隣にも向日丘陵があって、丘陵先端部の元稲荷古墳(全長94Mの前方後方墳で、向日市向日町北山にある)はこの地域の最古級の古墳とされるから、初期鴨県主一族が築造したものか?


86 : 名無しさん@chs    2009/08/12(水) 09:09:24   ID:0Q9eZiS6 
吉備地方の鴨
赤磐市長尾に鴨長尾神社があり、玉野市長尾に式内社の鴨神社がある。
吉備には、このほか式内社の鴨神社が二社(赤磐郡吉井町〔現赤磐市〕仁塀西、御津郡加茂川町〔現加賀郡吉備中央町〕上加茂)あるが、赤坂郡(現赤磐市)には鴨上松原・鴨新田・鴨高岡・鴨常普などの各社、津高郡(現岡山市)の多自枯鴨神社があり、浅口郡(現浅口市)鴨方町の鴨神社、備前国津高郡・児島郡に賀茂郷(『和名抄』)、笠岡市の鴨野など、鴨族関係の神社や地名が多く見られる


87 : 名無しさん@chs    2009/08/12(水) 09:11:30   ID:0Q9eZiS6 
吉備津彦兄弟に従って吉備及び出雲の平定に功績のあった留玉臣命(遣霊彦・留霊臣ともいい、桃太郎伝説の「雉」にあたる)

留玉臣は山城の鴨県主、美濃の三野前国造の一族から出て、山陰道の伯耆国造の祖

三野臣氏(備前一宮の吉備津神社を奉斎。御友別の子の弟彦命を祖とする)や鴨別命(御友別の弟とされる)を祖とする笠臣・小田臣氏などの諸氏は、実際には留玉臣命を男系ないし女系の祖にしていたことは想像に難くない。吉備神官に多く見える堀毛・堀家氏は留玉臣命の後裔と伝えており、吉備津彦に命ぜられて留玉臣が臭気の強い地を掘り返すと、埋もれていた鹿が生き返って向山に逃げて行ったという所伝がある


88 : 名無しさん@chs    2009/08/12(水) 09:13:31   ID:0Q9eZiS6 
吉備では、三野臣の嫡流が大守(大森)を名乗って、備前一宮の神主家を世襲した名門である

美濃国には、少彦名神後裔の神骨命の流れを汲む三野前国造・牟義都国造や鴨県主の一族がおおいに栄えたが、この地域にも吉備と同様、真鍋氏や森氏(一族に森蘭丸を出した幕藩大名家)・守屋氏が見られる。後二者は、別の系譜も伝えるが、本来は牟義都国造族の守君の族裔とみられ、牟義都国造は景行天皇の子の大碓皇子の後というが、三野前国造の一族とみられる。


89 : 名無しさん@chs    2009/08/12(水) 09:16:12   ID:0Q9eZiS6 
真鍋島の陶山地区の有田:式内社の在田神社
在田神社の末社で経津主神(武神で、物部・出雲氏族の遠祖) などを祀る陶山神社には陶山義高が併祀されており、そこにはヤタガラスの置物があると報告される。その由来が不明だが、興味深い。
ヤタガラスとは、熊野神社の三足烏に通じるとともに、神武創業の道案内で名高いが、その実体は鴨族の祖・鴨建角身命であり、少彦名神ないしその子孫の生玉兄日子命(これが神武朝の人)にあたる。


90 : 名無しさん@chs    2009/08/12(水) 09:17:43   ID:0Q9eZiS6 
笠臣の祖とされる鴨別命が吉備の波区芸県に封ぜられたと応神紀に伝え、これが後の小田郡とみられている。ハクキは伯岐すなわち伯耆であり、法吉鳥(鴬のこと。『出雲国風土記』島根郡法吉郷条) や西伯地方平定の鴬王伝承に通じるから、名前といい地域名といい、実際には上道臣・下道臣を代表とする吉備氏族の系譜ではなく、伯耆国造と同族で、留玉臣命の後孫というのが鴨別命の実系ではなかった?
shushen.hp.infoseek.co.jp/hitori/manabe/manabe2.htm


91 : 名無しさん@chs    2009/08/25(火) 22:09:10   ID:LlGIHFyA 
上賀茂の湿地を切り開いた鴨氏は上賀茂神社の摂社である
大田神社に猿田彦と天宇受売を祀り、信仰している


92 : 名無しさん@chs    2009/08/29(土) 22:24:59   ID:L9+KTqOI 
尾張国・美濃国を手に入れた織田信長が近江国に進攻してきたとき、押さえておかなければならなかった勢力の一つに「堅田衆」がありました。堅田は、現在も琵琶湖大橋が掛かる湖の最狭部に位置し、対岸の守山までの間が手に取るように見渡せる立地条件を持っています。ここに住む人々は、平安時代以来、京都の鴨社に神饌を献納する供祭人を務め、職務遂行の必要もあって、琵琶湖全域を通行し漁業を行う特権を主張してきました。中世に入るとこれに、堅田に設けられた関所で関銭をとる権利や、海賊をかけない保障料を徴収する「上乗権」等を加え、湖上交通において確固たる地位を築き上げます。

戦国時代、この堅田衆の指導者層として現れるのが「堅田諸侍」でした。居初氏を始めとした古代以来の供祭人の系譜を引く一族だけでなく、猪飼氏や南氏等の新興勢力も、その構成員をなしていたようです。


93 : 名無しさん@chs    2010/01/12(火) 12:41:44   ID:oCK9NMfk 
賀茂注進雑記
或神書に云天地未分まろかれたる中に大もとの御神まします
清るは天となり濁れるはくだりて地と成しより
陰陽の両神わかれましまして陽徳の御神は天の事をつかさどり
陰徳の御神は國土をしろしめすといへり
又云当社の託し給へる神詠に
ちはやぶる わけつち山に 宮居して 天くだること 神代よりさき
と託し給つるとみえたり
同私記に賀茂御神は陰徳にして男神 伊勢は陽徳にして女神に坐す


94 : 名無しさん@chs    2010/01/12(火) 12:45:48   ID:oCK9NMfk 
大場磐雄説
古墳時代以降の遺品中に銅鐸の末裔と推定
される遺品は全く存在しない。
以上のべた通り銅鐸の使用は我が上古時代のある時期に栄えたが、
古墳時代に入っては殆ど跡を絶つという変則的な現象を示しており、
従ってこの使用者に何等かの変動が与えられた結果と解せざるを得ない
のである。
あたかもよしこの事実はカモ・ミワ氏族−−即ち出雲神族−−が、大和朝廷
の設立に際し、旧来の国土を奉献した国譲り神話を裏書していると言うべき
ではあるまいか。
銅鐸が前記二氏(カモ・ミワ 二氏)の使用品で、一種の宝器(宗教的な)であったとすれば、
一族の権威の象徴たる理由から、征服者側からは没収または奪取したであろう
し、所有者側からは隠蔽した場合があったと推察される。


95 : 名無しさん@chs    2010/01/12(火) 12:47:46   ID:oCK9NMfk 
田中巽説
銅鐸は、尾張連と関係が深いところから多数出土しているとする。
尾張連は記・紀には断片的にしか出てこない。
新撰姓氏録には火明命を祖神とする尾張氏五、六氏があげられているが、
尾張氏の性質は明らかでない。
先代旧事本紀「天孫本紀」に尾張氏系譜があるが、これをどこまで信用
できるかが、また問題である。
尾張氏の一派である伊和部(後に石作部と呼ぶ)のように、
出雲系の神を奉祭したものがあることなどから、尾張氏は出雲系に繋がった
氏族であると見ている。


96 : 名無しさん@chs    2010/01/12(火) 12:48:23   ID:oCK9NMfk 
谷川健一説
谷川氏は、伊福部と関係のある場所から、銅鐸が出土していることに
注目している。
また伊福部は、銅を吹く、即ち銅の鋳造に携わったものとみている。
伊福部は大己貴命(オオナムチノミコト)を始祖としている、出雲系の氏族である。
また、常陸国風土記逸文に、伊福部神が雷神として出てくることに注目
している。


97 : 名無しさん@chs    2010/01/12(火) 12:49:18   ID:oCK9NMfk 
出雲国風土記に、意宇 オウ 郡:賀茂の神戸というのが見えますが、
これは和名抄の能義 ノギ郡の賀茂・神戸であるとされ、現在の安来市
に当たることとなりますから、現在の加茂町とは全く違う場所です。


98 : 名無しさん@chs    2010/01/12(火) 12:52:31   ID:oCK9NMfk 
唐古・鍵遺跡では1977年の調査で銅鐸鋳型の外枠が出土しています。
九州から銅鐸の鋳型が発見

出雲の神庭荒神谷遺跡から大量の銅剣が出土
神庭荒神谷遺跡からさほど離れていない加茂岩倉遺跡から、大量の銅鐸が出土


99 : 名無しさん@chs    2010/01/12(火) 12:54:50   ID:oCK9NMfk 
加茂岩倉銅鐸:III-2式
二世紀、三世紀まで埋めたり出したりしながら使いつづけたかもしれない

大阪の跡部銅鐸
III-1式で1989年に発掘したときは、まだ金ピカだった。
作ってすぐ埋めたから現在まで金色のままだったんでしょう。
埋めたり出したりだったら光沢を失って錆びているはずですよ。


100 : 名無しさん@chs    2011/04/16(土) 13:20:55   ID:sHo5/d9Y 
>>95
>尾張氏は出雲系・・・・・・
天火明を始祖とする尾張氏は、国津神系でなく紛うことなき天津神系でしょう。




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