愛宕神社
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1 :
名無しさん@chs
2008/02/13(水) 12:28:13
ID:GQo7Ppog
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愛宕神社
京都市右京区嵯峨愛宕町
祭神
本宮(端の御前) 稚産日命、埴山姫命、伊弉冉尊、天熊人命、豐受姫命
亀岡愛宕神社
(阿多古神社)である。愛宕山にある愛宕神社が一般的に知られているが、ここが本家で、「元愛宕」といわれる。
この神社の建立の歴史は古代古墳時代にさかのぼり、日本で2番目に大きい前方後円墳は応神天皇の墓とされてるが、その応神天皇の5代の孫である継体天皇が即位の年に建立されたといわれる。境内には幹周り5mもある千年杉が天高くそびえ、ムササビの生息する天狗の社として歴史がしのばれる。現在の神殿は鎌倉時代の建物で、一間社流造りの神殿は国の重要文化財に指定されている。
丹後国の愛宕神社であるが、亀岡市千歳町国分南山に元愛宕と呼ばれる愛宕神社が鎮座、ここから山頂へ遷座をしていったとの伝承がある。一方、愛宕山頂はかっては丹後国であったが平安時代に変更になったと云う。
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3 :
名無しさん@chs
2008/02/13(水) 12:32:18
ID:GQo7Ppog
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出雲大神宮
京都府亀岡市にある。 亀岡駅の北5Kmほどの場所。 千年山の麓、宮池の脇に鎮座している
出雲大神宮由緒
当宮には大国主命とその后神三穂津姫命御二柱の御神格を併せて主宰神と称し祀り他に天津彦根命天夷鳥命を祀る。
殊に三穂津姫命は天祖高産霊尊の御女で大国主命国譲りの砌天祖の命により后神となり給う 天地結びの神即ち縁結びの由緒亦ここに発するもので俗称元出雲の所以である
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4 :
名無しさん@chs
2008/02/13(水) 12:33:37
ID:GQo7Ppog
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出雲大神宮
御祭神 当宮では二柱を合わせ特に出雲大神、出雲太神宮(日本書記)、出雲神社などと称へ奉り建国の所由によって元出雲といわれる。従って縁結びの神ということも当宮を指すのである。鎌倉時代以後婁々京師の争乱つづき広大なる神領は失われ(愛宕神社の愛宕山もその領域大原神社の小塩山は飛地社領)由緒も埋れた。兵乱のない島根半島の大社は国譲りました大国主大神御一柱を祀る慰霊の社にすぎない。そこでは六十年毎にお建替へが行われるが愈竣功なると神火は丹波よりということが一般に信ぜられている。
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5 :
名無しさん@chs
2008/02/13(水) 12:37:51
ID:GQo7Ppog
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京都市右京区嵯峨清滝の愛宕神社が全国の約800の愛宕社の総本社とされています。
亀岡から東の方向に見える牛松山の麓にも愛宕神社が鎮座、ここの祭神は火産霊命。この神社を愛宕神社の本社とする人もいます。
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6 :
名無しさん@chs
2008/02/13(水) 12:48:24
ID:GQo7Ppog
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千二百年余の歴史を誇る古都、京の都の西北に、標高924メートルの愛宕山がございます。そこは古く奈良の時代にかの役小角が山嶺を開いて以来、あまたの修験者たちが日夜修養に明け暮れる聖域となりまして、山頂の朝日峰には白雲寺五坊と称する堂宇が建ちならび、厳かなる威容を誇って居ったのでした。
ところが時は移りて明治元年(1861年)、時の政府によりかの「神仏分離令」が発布され、そのため祭神の一つであられた将軍地蔵菩薩も大本山妙心寺に勧進移座されたのでした。白雲寺は廃されて神社となり、後に全国津々浦々に御分社八百余を有する事になる愛宕神社の総本宮となったのでございます
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7 :
名無しさん@chs
2008/02/13(水) 12:50:52
ID:GQo7Ppog
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江戸時代になり、徳川家康が愛宕神社を創建、愛宕山となる。
増上寺が徳川家の菩提寺であるなら、愛宕神社は京都の愛宕神社ではなく、浜松市(徳川家康の本拠地)の北、天竜の阿多古地区のことのような気もする。
浜松の阿多古の東側に秋葉大権現がありこちらも修験道と関わる。
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8 :
名無しさん@chs
2008/02/13(水) 12:52:46
ID:GQo7Ppog
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京都では愛宕さんと親しまれると共に火伏せの神として知られ、おくどさん(かまどのこと)や台所には、御守りの「阿多古祀符火迺要慎」と書かれた貼り紙をされている家も多い
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9 :
名無しさん@chs
2008/02/13(水) 12:54:23
ID:GQo7Ppog
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宝年間(701−704)、役小角が泰澄を伴って愛宕山に登り禁裏に奏上して山嶺を開き、朝日峰に神廟を造立。(「山城名勝志」の白雲寺縁起)
光仁帝の勅により天応元年(781)、和気清麿公が慶俊僧都と力を合せ、王城鎮護の神として鎮座された。 中国の五台山に模した、1.朝日岳(峰)の白雲寺(愛宕大権現)2.大鷲峰の月輪寺3.高雄山の神願寺(神護寺)4.竜上山の日輪寺5.賀魔蔵山の伝法寺という五寺が山中の五山にあった(「扶桑京華志」)と記されている。
古くより修験者の修業場ともされ、祭神も天狗の姿をした愛宕権現太郎坊とも考えられ、火神ともされた。愛宕山中で宗教生活を送る修験者を「愛宕聖」(「源氏物語」)とか「清滝川聖」(「宇治拾遺物語」)と呼ばれて、愛宕信仰を全国に流布させ、これが慶応4年(1868)の神仏分離令までの愛宕山・白雲寺内大善院・教学院・威徳院・長床坊・福寿院の五坊の修験者支配と続き、神仏分離令後は、祭神の一つ勝軍地蔵は金蔵寺(現・西京区)に移座され仏寺を廃して愛宕神社となった。
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10 :
名無しさん@chs
2008/02/13(水) 13:03:10
ID:GQo7Ppog
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愛宕神社の祭神は火産霊神であり、阿多の子として阿多子/安太子/阿多古と言う語彙が後の世の祭祀を色濃く残している。
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11 :
名無しさん@chs
2008/02/13(水) 13:05:17
ID:GQo7Ppog
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こんな説がある
www4.synapse.ne.jp/yatusiro/newpage5.html
京都は「愛宕」の地、その「愛宕」は「阿多子、阿多古」を思わせ、「火之神の愛宕神」の祭場ではなかったかと思わせる土地を本拠としていた「鴨氏」が、「主殿寮」で宮廷の燃料を主管していた事実と、南薩の「十五夜」や「伊勢講」の「俳優(わざおぎ)」の歌詞に聞かれる「愛宕詣」などから、「防火・火伏せ」にかかわる隼人伝統の「俳優」を伝承する「野太刀自顕流」と理解する。
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12 :
名無しさん@chs
2008/02/13(水) 13:08:32
ID:GQo7Ppog
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愛宕神社(あたごじんじゃ)は、京都市右京区の神社である。山城・丹波国境の愛宕山(標高924メートル)山頂にある。式内社で、旧社格は府社。全国約900社の愛宕神社の総本社である。