安寧天皇
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1 :
名無しさん@chs
2008/02/13(水) 13:10:35
ID:GQo7Ppog
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多摩川の中流をはさんで左岸と右岸にそれぞれ小野神社が鎮座しており、互いに、式内社を主張している。その一社は一ノ宮の小野神社、で、今一社は住吉町の小野神社(小野宮)である。両社とも創祀を安寧天皇十八年二月と伝えている。
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2 :
名無しさん@chs
2008/02/13(水) 13:11:55
ID:GQo7Ppog
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安寧天皇は片塩の浮穴宮(葛城郡)にて、政治を行ったことになっていますが,大倭にて、懿徳天皇を生んでいます
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3 :
名無しさん@chs
2008/02/13(水) 13:13:56
ID:GQo7Ppog
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熊野大権現 熊野速玉大社
神紋 鳥紋(三本足の八咫鳥)
「熊野権現御垂跡縁起」によると、往昔、熊野神が各地遍歴の後に、伊予、淡路を経て新宮の南の神倉山に祀られ、さらに阿須賀社の北、対岸の石淵(三重県鵜殿村矢淵)に遷られたのであって、始めは結(結神)、早玉(速玉神)と家津美御子神を二社殿に奉斎していた。
「熊野年代記」には、安寧天皇十八年(紀元前566)に新宮の神倉に祀られ、貴祢谷(石淵)へ遷り、孝昭天皇五年(紀元前480)に二社殿を建立して、熊野三所権現(結、速玉、家津美御子)を奉斎したと伝える。
諸説によって考察すれば、まず熊野三山の中心の早玉(熊野速玉大神)、結(那智大社・熊野夫須美大神)、家津美御子(熊野本宮大社御主神)の三柱が神代の頃に神倉山に降臨せられ、景行天皇五十八年(129)に、社殿を現在の処に築営して結、速玉の二神を御奉遷申し上げたと思われる
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4 :
名無しさん@chs
2008/02/13(水) 13:16:34
ID:GQo7Ppog
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日御碕神社
神門をくぐると、正面に天照大神とその息子達である五神を祀る下ノ本社「日沈宮」。右手階段の上に、素盞嗚尊とその娘達である三女神を祀る上ノ本社「神の宮」が鎮座しています。この時は丁度日沈宮の改修中で、日沈宮の御祭神・天照大神等六柱の神は、神の宮に遷座しておられました。
「神の宮」は、神代以来現社地背後の「隠ヶ丘」に鎮座していました。安寧天皇13年(BC536)に現社地に遷座。素盞鳴尊は出雲の国造営後に「熊成峯」に登り、終生鎮まる地を求めて柏葉を風で占うと社殿背後の「隠ケ丘」に柏葉が止まったために、御子神である天葺根命は素戔嗚尊の御魂をこの地で奉斎したといわれています
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5 :
名無しさん@chs
2008/02/13(水) 13:18:29
ID:GQo7Ppog
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都味歯八重事代主神(つみは・やえ・ことしろぬしのかみ)、
八尋(やひろ)の熊鰐(くまわに)に化して、三嶋の溝杭の娘・玉依姫のもと
に通い、一男一女をなす。
まず男の子、天日方奇日方命(あめひかたくしひかたのみこと)。この
みことは神武天皇の御代に国の政治をつかさどる大夫の役を命じられ、
お仕えした。
次に女の子、鞴五十鈴姫命(たたらいすずひめのみこと)。このみこと
は神武天皇の皇后になられ、皇子おふたりをお産みになった。これは
まず綏靖天皇、そして彦八井耳命。
またそのほかに事代主神には女の子がおり、五十鈴依姫命と申しあげる。
このみことは綏靖天皇の皇后になられ、皇子をおひとりお産みになった。
これは安寧天皇である。
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6 :
名無しさん@chs
2008/02/13(水) 13:24:23
ID:GQo7Ppog
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安寧天皇の孫、和智津彦命の子で、孝霊の妃になった蝿伊呂泥と蝿伊呂杼という人物も存在した。
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7 :
名無しさん@chs
2008/02/13(水) 13:25:04
ID:GQo7Ppog
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先代旧事本紀 巻第四
三世の孫の天日方奇日方命[亦の名は阿田津久志尼命]この命は日向の賀牟度美良姫を娶り一男一女を生む
健飯勝命
妹の渟中底姫命。この命は片塩浮穴宮で天下を治められた天皇(安寧天皇)が立てて皇后とし四児を生む
大日本根子彦耜友天皇
次に常津彦命
次に磯城津彦命
次に手研彦奇友背命
四世の孫の健飯勝命。この命は出雲臣の娘の沙麻奈姫を娶り一男を生む
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8 :
名無しさん@chs
2011/11/20(日) 15:25:23
ID:wALUD24Q
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>>2
安寧天皇こと磯城津彦玉手看は、その名の通り、磯城地域の王だったのでしょうね。
なので宮居とされる片塩浮穴宮も通説の葛城でなく磯城のどこかでしょう。