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0035178
古代史探訪 by TokyoBlog

1 : 讃岐 香川氏 坂出 丸亀(96)   2 : 龍田神社 広瀬神社 風神と水神(59)   3 : 気多大社(40)   4 : 三足鳥(177)   5 : 讃岐の桃太郎伝説(77)   6 : 抱朴子 不老不死 神仙道(28)   7 : 方格規矩鏡(132)   8 : 龍、竜、蛇の神話(16)   9 : 鈴の謎(4)   10 : 鴨の一族(102)  

11 : 安寧天皇(8)   12 : 景行天皇の時代 九州(118)   13 : 神櫛王と忌部(281)   14 : 豊葦原中津国(24)   15 : 猿田彦(17)   16 : 八幡神社(9)   17 : 天香語山命(54)   18 : 八尺瓊勾玉(60)   19 : 熊野神社の謎(55)   20 : 安閑天皇(33)   21 : 鳥居 狛犬 注連縄 獅子舞(9)   22 : 尾張氏 天火明  高倉下(15)   23 : 空海 佐伯氏 阿刀氏(97)   24 : 和邇氏(93)   25 : 和珥氏:海人族(30)   26 : 宗像三神(60)   27 : 天孫降臨 天・高天原とは 天ツ神 国ツ神(112)   28 : 『古語拾遺』(39)   29 : 巴型銅器(59)   30 : 稲の神 田の神 稲荷神(40)   31 : 日本武尊と讃岐の神櫛王(208)   32 : 紀氏 武内宿禰(88)   33 : ヤオ族 伏羲(フクギ) 女咼(女扁+咼)ジョカ(47)   34 : 宇多源氏佐々木氏 加地氏(205)   35 : 相撲の起源(37)   36 : 橘氏 梅宮大社(71)   37 : 寒川神社(158)   38 : 天太玉命 天富命 手置帆負(195)   39 : 朝廷別王 丹波道主王(25)   40 : 秋津島(28)   41 : 豊受姫(57)   42 : 酒の神(21)   43 : 鉄と木と鍛冶と踏鞴(162)   44 : 皇妃(母系)でみる欠史時代(79)   45 : 大毘古((58)   46 : 雑賀 穂積 紀州(19)   47 : 九州王朝(39)   48 : 天を祭る(14)   49 : 愛知 静岡 三重 の神社(91)   50 : 竹取物語と忌部 忌部黒麻呂(91)   51 : 讃岐の藤原氏(52)   52 : 諏訪神社 建御名方神 南方刀美(50)   53 : 淡海(102)   54 : 霊剣 布都御魂(171)   55 : 絹 麻 織物(10)   56 : 2−3世紀 卑弥呼の時代(34)   57 : 天智天皇 天武天皇(49)   58 : 瓊瓊杵尊 邇邇芸尊 天孫降臨(69)   59 : 謎の4世紀(18)   60 : 小野神社 天下春命 瀬織津姫(24)   61 : 出雲の謎(22)   62 : 麻績天長白羽神 天白 天白羽命(38)   63 : 旧唐書 倭国と日本国(10)   64 : 魏志倭人伝 『三国志』魏書東夷伝倭人条(1)   65 : 出雲國造~賀詞(29)   66 : 海幸彦 山幸彦 天火明命(27)   67 : 吉備 毛野(140)   68 : 常陸風土記 多氏(53)   69 : 淡海 伊邪那岐(63)   70 : 山幸彦 天津日高日子穂穂手見命(42)   71 : 神社の始まり(28)   72 : 物部氏(131)   73 : 船神(26)   74 : 五十猛神 伊太氏神 伊太祁曽神(55)   75 : 九州 磐井 宗像(117)   76 : 大山祗神 大山積神(44)   77 : 上総国 玉前神社(52)   78 : 羽衣伝説 神社(58)   79 : 考霊天皇(31)   80 : 薩摩 隼人 とは 海神との関係(53)   81 : 小彦名命 事代主(88)   82 : 神社の総数(11)   83 : 食物神(19)   84 : 可美真手命 宇摩志摩治命(123)   85 : 丹生都比売 那賀(17)   86 : 欠史八代の年表(58)   87 : 金山彦 南宮大社 中山神社(24)   88 : 愛宕神社(12)   89 : 武蔵国高麗郡 高麗若光 白髭神社など(29)   90 : 饂飩(うどん)の起源に2説あり(43)   91 : 伊勢津彦 伊和大神(47)   92 : 葛城の歴史(33)   93 : 天児屋根命 比売大神 武甕槌命(8)   94 : 聖徳太子 蘇我氏(43)   95 : 荒田別 百済 木羅斤資(123)   96 : 火の神 軻偶土神 軻遇突智命(10)   97 : 空海 丹生氏(24)   98 : 土佐神社(4)   99 : 系図(55)   100 : 遷却崇神(17)   101 : 倭国 倭人(30)   102 : 道主 日葉酢媛(16)   103 : 事代主(29)   104 : 巴形銅器(48)   105 : 大化改新 皇極天皇 孝徳天皇(20)   106 : 木の神 久久能智命 久々智命(6)   107 : 天女伝説 羽衣伝説(5)   108 : 七夕の話(7)   109 : ppblogについて(9)   110 : アルバム・写真・画像掲示板(6)   111 : 縦書きエディター(2)   112 : 浦安を調べる(25)   113 : tokyo ニュース の開始です(6)  

【1:96】 讃岐 香川氏 坂出 丸亀

1   名前:  名無しさん@chs   2008/12/06(土) 10:33:11   ID:i1PwYiqI
西庄城(山内城) 坂出市西庄町川向 香川民部少輔行景(景敏)

戦国時代の香川氏の居城であったが、一時山内氏が守備し山内城の名もある。城跡推定地の東、北側周辺には水田地名が見受けられる。東南120mほどのこんもり木立の茂った五アール区画があり、そこに香川民部少輔の墓碑が祀ている

香川県中世城館詳細分布調査報告2003によれば

『天皇城(山内城)』と表記
山内城(天皇城)=山内城、天皇城は同一の城を時の城主によって呼んだものと思われる
87   名前:  名無しさん@chs   2011/08/02(火) 10:51:51   ID:qFKKXmc2
1568 永禄11年      讃岐の諸将は毛利の為に備州の小島に出陣し、加陽城を攻めた。
            香西宗心が戦死した。本太城は村上水軍の村上武吉の支配化にあり
            武吉の家臣島吉利が三好勢と戦い勝った。 香西氏参加
                       山陽新聞社編者 及び発行「吉備回廊」
                    信長、義昭を奉じて上洛
1569 永禄12年     1月6日。三好三人衆、阿波衆を率い細川藤考らに攻めかかる。
1570 元亀元年                   信長上洛
1571 元亀2年 香川民部  十河存保、西庄城を攻め、為に民部備後に落ちる。     
            5月、讃岐の諸将は毛利の為に備州の小島に出陣し、加陽城を攻めた。
              香西宗心が戦死した。
            阿讃勢を率いて攻めてきたのは、三好家の家臣、篠原長房であったと
            あり、「南海通記」などで香西宗心の児島侵入としたのは、篠原長房の
            誤り。
            元亀元年頃から南備中が不安定であり備前の宇喜多、讃岐勢が
            (村上武吉も?)狙っていた  全讃史。
88   名前:  名無しさん@chs   2011/08/02(火) 10:52:38   ID:qFKKXmc2
1577 天正5年 香川民部 香川義景 香川信景
             小早川氏、香川民部を西庄城に帰城せしむ。
             香川義景、讃州元吉に立て篭もる(安西軍策巻五) 
             隆景朝臣に属し志を深くける(安西軍策巻五)
                  全讃史 坂出市略年表 安西軍策巻五 秋山家文書
89   名前:  名無しさん@chs   2011/08/02(火) 10:54:03   ID:qFKKXmc2
1578 天正6年 香川民部少輔行景 香川信景 香川兵部
             正月、十河存保は勝瑞に帰って三好家を継いだ。
             4月、藤目城主斎藤下総守が土佐に参候し、その孫を人質として差し
            出し、臣従を誓った。 これに怒った宇多津城主奈良太郎左衛門は
            激を飛ばして兵を募る事、3000人。香川兵部、長尾大隈、羽床伊豆
            を先鋒として藤目城を攻めた。 
             長曽我部元親これを開き、すでに桑名太郎左衛門、浜田善左衛門
            にこれを助けさせたがどうにもならず.彼らは阿波の大西に向けて逃
            げた。
             奈良太郎左衛門はその城を摂取して新目弾正に守らせた。
            長曽我部元親は大いに驚き、兵5000をもって来たりこれを討った。
            新目弾正は討ち死。元親の讃岐侵攻。藤目城、本篠城等属城落城。
             7月、土佐方に寝返った羽床伊豆は兵1000余を率いて西庄城
            (北条城)に香川民部少輔行景を攻める。香川民部は毛利元就の3男
            小早川隆景に援兵を請う、浦兵部大輔と井上伯耆守に兵5千をもって
            来援させこれを助く。
             8月、長曽我部元親は兵5000を率いて財田城を囲んだ。財田和泉守
            常久は兵300では守り難いので、香川信景に助けを請うたが、信景は
            あえて助けなかったので落城した。
1581 天正9年 香川民部  香川信景 7月、三好存保(元三好政兼)は、激を安富、寒河、
             植田、三谷、香西に伝え、兵一万を指揮して西庄城を攻めた。
            民部は奈良、長尾に援軍を請うたが三好の大軍にすべも無く送らな
             かった。香川民部は城を捨てて塩飽に落ちた。
              三好存保はその勢いに乗じて、勝瑞城を取り戻し、河内の三好笑
             岩と淡路の田村康広がおのおの数百騎を率いて来援、 共に一宮城
             を囲んだ。 
90   名前:  名無しさん@chs   2011/08/02(火) 11:05:24   ID:qFKKXmc2
文書には「阿波国富吉庄西方地頭漆原 三郎兼有」と. うるしはらさぶ ろ うかねあり. あり、漆原氏が地頭職を相伝していた ようである
91   名前:  名無しさん@chs   2011/08/02(火) 11:07:22   ID:qFKKXmc2
漆原氏は上野国漆原村を本貫とする武士で建武3年4月21日の藤原兼有軍忠状(黄薇古簡集/大日料6-3)には「阿波国富吉荘西方地頭浅(漆カ)原三郎五郎兼有」と見え,当荘西方の地頭職を相伝していた。なお,この漆原氏の後裔は戦国末期まで川端城(現板野町)に拠って川端氏を称した(古城諸将記/徴古雑抄7)。また年未詳で異筆で「建武三」と記されている9月18日付の足利尊氏御教書写(久我文書/岐阜県史史料編古代中世4)では「阿波国富吉庄」など7か荘の管領のことについての院宣を一見した旨,准后に申し入れるよう民部権大夫に伝えている。下って文和3年正月13日の2通の尊頴・尊融連署寄進状(臨川寺重書案文/大日料6-18)によれば,「阿波国富吉庄」は尊融追善の料所として臨川寺に,また「阿波国富吉庄東村并北敷地・南敷地」の3か村は同じく三会院に寄進することおよび本家役は保安寺が沙汰することが記されている。同年5月18日の阿波守護細川頼之書状(同前)では,当荘の河窪殿(尊融)寄進状の案文を受けとった旨が記されている。そして同5年2月7日の細川頼之施行状案(同前/大日料6-20)では守護代新開遠江守に,「阿波国富吉庄領家職」を三会院雑掌に沙汰付けするよう命じている。下って貞治4年2月22日の臨川寺三会院宛の官宣旨(同前/大日料6-26)によれば三会院領の「阿波国富吉庄内東村・北敷地村・南敷地村等地頭職」などに対する伊勢大神宮役夫工米などの臨時公役を免除しており,3か村の地頭職も三会院領となっていた。また同日に阿波国宛の官宣旨も発給された(同前)。同年3月26日の臨川寺宛の官宣旨(同前)でも「阿波国富吉庄等地頭職」に対する役夫工米以下の諸役が免除され,同日付の阿波国宛の官宣旨(同前)が発給されている。下って戦国期の文明9年12月28日の室町幕府奉行人連署奉書(天竜寺文書)では「臨川寺領阿波国富吉庄」を寺家雑掌に沙汰し付けるよう守護代に命じ,同年同月29日の室町幕府奉行人連署奉書(同前)では当荘など5か荘が臨川寺に返付されている。しかし,当荘は在地武士に押領されていたようで,同13年11月30日の赤沢信濃守宛飯尾常房奉書(同前)によれば,「臨川寺領阿波国富吉庄事,如元還補寺家訖」とあり,再び寺家に返付されている。また年月日未詳の年貢注文断簡(同前)には「一,〈文明十四年還補〉阿州富吉庄 三会・寺家両所〈江〉納之〈庄主ハ自寺補〉」とある。現在藍住町東中富に敷地傍示という字名が残っており,荘域は同町東中富の北部や同町富吉・板野町川端の地域に比定される(県史2)。
92   名前:  名無しさん@chs   2011/08/02(火) 11:28:32   ID:qFKKXmc2
建武三年(1336)四月廿日、漆原三郎五郎兼有は、小笠原弥太郎・有田二郎らとともに武家方として、淡路国司高倉少将の軍勢と播磨国大倉谷宿南浜で交戦した(黄薇古簡集)。

後醍醐天皇により、建武の中興(1333)が始められた時、足利尊氏は細川和氏を阿波守に推挙し、細川定禅を讃岐に居住させた。
 足利尊氏は、建武政権に離反して九州に西走する時、阿波守細川和氏と足利尊氏陣営の軍事を司る兵部少輔細川顕氏に、国において勲功の軽重に応じて恩賞を行うように仰せ付けられた文書。
 あて先の漆原三郎五郎は、板野郡富吉荘西方の地頭で、勲功の賞に勝浦荘公文職を宛がっている。
 建武3年(1336)2月15日に出されているが、尊氏が実際に将軍になったのは建武5年である。
 この文書は「南北朝遺文 中国・四国編」に下総・染谷文書としての原本と考えられる。   
93   名前:  名無しさん@chs   2011/08/02(火) 11:47:57   ID:qFKKXmc2
大分限の国衆の筆頭に掲げられた香西氏は、永正の錯乱によって在京していた上香西(かみこうざい)家が滅ぼされますが、在国していた下香西家は、15世紀前半には小地域の領主たちを家臣団として編成していくようになります。

この頃の下香西家の当主であった元定を中心に、小領主で元定を支える滝宮氏・福家氏・新名氏・羽床氏・植松氏(以上香西氏の同族)、香川氏(西方守護代家とは異なります)・大林氏・山田氏・久利氏・遠藤氏・飯間氏・筑城氏・国広氏・岩部氏・漆原氏・由佐氏・香東氏・一宮大宮司氏・大野氏・犬養氏・宮脇氏・佐藤氏・真部氏・大熊氏・楠川氏・雑賀氏・藤井氏、                                                      などが戦闘時には元定の指揮下にありました。
94   名前:  名無しさん@chs   2011/08/02(火) 11:48:04   ID:qFKKXmc2
鎌倉幕府が滅亡し、建武の新政を経て南北朝の動乱期にあった。建武三年(1336)、官軍に敗れて九州に落ちた尊氏は、中四国に諸将を配した。このとき、阿波には細川和氏・頼春兄弟が派遣された。
 細川兄弟は鎌倉時代以来の足利氏の所領であった秋月荘を拠点として、阿波の在地武士を掌握し、尊氏が再上洛したとき尊氏の軍に合流して奮戦した。そのなかには、漆原・小笠原らの阿波武士が加わっていた。かくして、阿波の南北朝の動乱が始まったのである。とはいえ、初期のころは南朝方の目立った動きはみられない。これは武家方細川氏の活動に比して、南朝方が阿波武士を結集出来なかったことが要因であった
95   名前:  名無しさん@chs   2012/01/04(水) 02:36:50   ID:99XG/bK2
愛媛県宇摩(うま)郡、現在の川之江市の近辺には、木梨軽皇子、軽大娘皇女に関わる伝承が数多く残されている。
 @伊予国宇摩(うま)郡妻鳥(めんどり)村字東宮(現在の川之江市妻鳥町字東宮)に東宮山(あるいは春宮山)と呼ばれる標高八十米ばかりの小さな丘があり、その山頂に東宮山古墳と云われる横穴式石室を持った円墳がある。地元ではこれを木梨軽皇子の墓であると伝承する。かつてこの古墳を地元の人たちが掘り出すと、長宜孫子銘の内行花文鏡など十五点の遺物が出土したが、その中には、魚形や皿形の歩揺を着けた見事な金銅透彫帯冠もあったと云う。更には、この東宮山の真北の、昔海岸だった所には東宮石と呼ばれる石があり、ここが軽皇子が上陸した地点だと伝えている。
 A伊予国越智郡の大島に皇太子神社と云う神社があった。現在はその島の吉海町津島の田中神社の境内社となり、王太子神社と云う。この神社の祭神は王崎明神と姫崎明神の二柱とされ、王崎明神と云うのは木梨軽皇子、姫崎明神と云うのは軽大娘皇女のこととされている。そして、伝承は、軽皇子はここに泊し、ここから伊予の中心である温泉郡(ゆのぐん)(松山市や道後温泉のある所)に向かおうとしたが、折からの北西風によって来島海峡の難所を越える事が出来ず、吹き流されて宇摩郡妻鳥に漂着し、また、兄を追って来た軽大娘皇女もここまで来たが、ここで亡くなったと伝えている。
96   名前:  名無しさん@chs   2012/01/04(水) 02:38:32   ID:99XG/bK2
95 は、謎の衣通姫随想より
www.k4.dion.ne.jp/~nobk/hime/sodousi.htm
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キーワード【内城 中世 分布

【2:59】 龍田神社 広瀬神社 風神と水神

1   名前:  名無しさん@chs   2008/02/29(金) 13:25:32   ID:nOsB3FSw
天武紀四年四月一〇日条に小紫美濃王・小錦下佐伯連広足を遣わして風神を龍田の立野に祀らせた記事がみえる。大宝元年(七〇一)神祇令に孟夏、孟秋に広瀬社の大忌祭とともに祀られる例となり、風水の害なきを祈るものである、これは、『延喜式』によって詳細を知られるが、その四時祭上に供料の細目と、勅使の位階、員数等を明記し、「太政官式」・「式部式」にも記載している。更に臨時祭式にも春日、広瀬等とともに社庫の鑰匙については官庫に納め置き、祭に臨んで祭使が使用にあたることを記している。天武四年以降毎年広瀬とともに四月七月の祭を記載しており、嘉祥三年(八五〇)従五位上を叙せられたのを初めとして、神階昇叙し貞観元年(八五九)従三位となる。同年、大和の水分神山口神二六社とともに風雨を祈るため幣を奉られている。天平二年(七三〇)『大和国正税帳』に「龍田神戸稲肆伯参拾束捌把」、『新抄格勅符抄』に「龍田神三戸」とみえ、文禄四年(一五九四)大和郡山城主増田長盛の「日供米拾弐石」を先規の通りとすること、また慶長七年(一六〇二)片桐且元によって同額を安堵されている
50   名前:  名無しさん@chs   2008/04/09(水) 16:42:02   ID:okWxVHn6
天武天皇が、唐風の律令制に合うようアレンジしたのが、代表的な「大嘗祭」

「大嘗祭」の準備については、ことあるごとに、まず「亀卜」がおこなわれ、「神意」をうかがいながらすすめられる
平安時代には、「大嘗祭」準備執行の開始から、全国の国司・郡司を通じて、数カ月前から各国民にも、精進潔斎するよう勅令がだされていた。

本番11月
天皇、宮中関係者、「大嘗祭」の神官などが、「物忌み」を行う。
51   名前:  名無しさん@chs   2008/04/09(水) 16:44:24   ID:okWxVHn6
天武朝(672〜686)には吉凶をうらなう専門職が中務(なかつかさ)省の陰陽寮として創設された。職務は卜筮(ぼくぜい)・天文・暦・時刻のことをつかさどり、陰陽寮には長官の頭(かみ)の下に陰陽師や陰陽博士、暦博士・天文博士、陰陽生・暦生・天文生などがおかれた。882年(元慶6)には陸奥(むつ)鎮守府に陰陽師がおかれるなど、平安時代以降、地方にも配置されている。
52   名前:  名無しさん@chs   2008/04/09(水) 16:49:06   ID:okWxVHn6
物忌の季節:源氏物語

男たちは宮中に宿直して女 の許へ帰ることもできず、女の品さだめに話の花が咲きます。
53   名前:  名無しさん@chs   2008/04/11(金) 14:52:11   ID:UHYnPHJY
鳥海山大物忌神社 (ちょうかいざんおおものいみじんじゃ)
山形県飽海

祭神は大物忌神で、社伝には欽明天皇25年(約1400年前)鳥海山上に鎮座した神で倉稲魂命(伊勢外宮の豊受大神と同神)とあり、また倉稲魂命・豊受大神・大忌神・広瀬神の合神ともいわれている。
54   名前:  名無しさん@chs   2008/04/11(金) 14:54:15   ID:UHYnPHJY
広瀬
広瀬大明神と称するのは、大物忌神と同神の広瀬坐和加宇加之売神社の分霊を、勧請して祀ったことに因る

讃岐神社
(案内)
当社の祭神は「三代実録」元慶7年の条に、正六位上、散吉大建命神、散吉伊能城神と見えるが、当社伝では大国魂神、倉稲魂神、大物主神を奉祀するという。
55   名前:  名無しさん@chs   2008/04/11(金) 14:54:53   ID:UHYnPHJY
広瀬神社の主神は、若宇加能売命(わかうかのめのみこと)です。若宇迦能売神とも書くし、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)とも、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)とも同じだそうです
56   名前:  名無しさん@chs   2008/04/11(金) 15:01:34   ID:UHYnPHJY
天日鷲神阿波忌部氏の系図によると、天日鷲命は太玉命の義理の兄弟で、天富命と由布津主命の娘は夫婦である
57   名前:  名無しさん@chs   2008/04/11(金) 15:04:24   ID:UHYnPHJY
天日鷲命を伊勢国造とした。伊賀伊勢国造の先祖で有る。天道根命を紀伊国造とした。紀河瀬直の先祖である。

古語拾遺にある伝承によると、神武天皇の命によって、天太玉命の子孫である天富命は天日鷲命の子孫の忌部氏を率いて、阿波国に至り、殻木や麻を植え、それを大嘗祭の時に献上することになったという。またこの天富命と阿波の忌部が東土に渡って、現在の千葉県、つまり安房(あわ)郡(安房国)に至り、そこにやはり麻を植え、そのためにこの地を上総(かみつふさ)・下総(しもつふさ)というようになったという。
58   名前:  名無しさん@chs   2011/12/28(水) 11:03:49   ID:tkr4xECs
長彦神社由緒
御祭神
志那津彦神、志那津媛神
 別に息長津彦命、息長津媛命とも申しあげ、風の神としての御功徳は全国に遍く 五穀豊穣、風禍防災、安全守護の神として崇敬されています。
御由来
 当社は、今を去る千三百年のむかし、天武天皇白鳳四年(六七五年)四月に当郡の人佐伯連廣足によって、大和国平群郡立野に祀られた龍田の風神を、神託によって当地「たつの」の宮山に斎き祀られたと伝えられています。
59   名前:  名無しさん@chs   2011/12/28(水) 11:05:06   ID:tkr4xECs
龍 田 神 社 吉田東伍著 『大日本地名辞書』 より

今三郷村立野に在り、中世二十二社の第十四に列し、風神を祭る。延喜式龍田坐天御柱国

御柱神社所祭級長戸邊命級長津彦命ニ座と者是也。

古事記傅に、風は天と地の間を支へ持てば御柱と称へたりと。書紀纂疏は風神即龍田姫龍

田彦なりと日へり、按ふに級長は古事記志奈に作り、龍田の別名歟、名義詳ならず。今官幣

大社に列す。

神祇志料云、級長津彦日本書紀に見ゆ、旧事紀には級長戸邊ありて二神と為せり。此二神

即風神にして、上古伊弉諾尊大八州國を生給て、我生りし國唯朝霧のみ薫る哉と詔て、乃吹

撥はせる御気息に生坐る神也。
名前: メール: sage cookie
キーワード【佐伯 元年 勅使 位階 七月

【3:40】 気多大社

1   名前:  名無しさん@chs   2007/08/26(日) 09:46:17   ID:883ba4b5cf
社伝によれば、大己貴命が出雲から舟で能登に入り、国土を開拓した後に守護神として鎮まったとされる。崇神天皇のときに社殿が造営された。奈良時代には北陸の大社として京にも名が伝わっており、『万葉集』に越中国司として赴任した大伴家持が参詣したときの歌が載っている。『延喜式』では名神大社に列し、能登国一宮とされた
31   名前:  名無しさん@chs   2008/05/30(金) 10:21:04   ID:eF2v5zBo
コウレイ天皇

大倭根子日子賦斗爾命は、大和の黒田の廬戸の宮から天下を治めました。
この天皇が、十市の県主の祖先の大目の女の細比売(くわしひめ)と結婚して産まれたのが、大倭根子日子国玖琉命(おおやまとねこひこくにくるのみこと)です。また、春日の千千速真若比売(ちぢはやまわかひめ)と結婚して産まれたのが、千千速比売命(ちぢはやひめのみこと)です。意富夜麻登玖爾阿礼比売命(おおやまとくにあれひめのみこと)と結婚して産まれたのが、夜麻登登母母曾毘売命(やまととももそびめのみこと)、日子刺肩別命(ひこさしかたわけのみこと)、日子伊佐勢理毘子命(ひこいさせりびこのみこと)またの名を大吉備津日子命(おおきびつひこのみこと)、倭飛羽矢若屋比売(やまととびはやわかやひめ)の四人です。また、その妹の蝿伊呂杼(はえいろど)と結婚して産まれたのが、日子寤間命(ひこさめまのみこと)と若日子建吉備津日子命(わかひこたけきびつひこ)の二人です。この天皇の子は合わせて男5人、女3人です。
この大倭根子日子国玖琉命が天下を治める事となります。
大吉備津日子命と若日子建吉備津日子命は二人で、播磨の氷の河の埼に忌瓮を据えて神を祭り、播磨からはいって吉備の国を治めました。この大吉備津日子命は吉備の上の道の臣の祖先です。若日子建吉備津日子命は吉備の下の道の臣、笠の臣の祖先です。
日子寤間命は、播磨の牛鹿の臣の祖先です。日子刺肩別命は、高志の利波の臣、豊国の国前の臣、五百原の君、角鹿の済の直の祖先です。
天皇は享年106歳、稜は片岡の馬坂の上にあります。
32   名前:  名無しさん@chs   2008/05/30(金) 10:23:39   ID:eF2v5zBo
宇自可臣(牛鹿臣)は播磨国飾磨郡の牛鹿の屯倉に居り、孝霊天皇の皇子日子寤間命(ひこさめまのみこと)(あるいは彦狭島命)の後と称する氏族であるが、古事記では日子寤間命を大吉備津日子命・若日子建吉備日子命の弟としている
33   名前:  名無しさん@chs   2008/05/30(金) 10:26:41   ID:eF2v5zBo
「活玉依毘賣」の子供である「飯肩巣見」は「日子刺肩別」???
とすれば「美呂浪」は「日子刺肩別」の兄弟???。
それは「伊佐勢理毘古」か?
34   名前:  名無しさん@chs   2008/05/30(金) 10:28:41   ID:eF2v5zBo
三輪山の大物主神の子の天日方奇日方命の子の飯肩巣見命の子が建甕槌命であり、建甕槌命の子が大田多根子である

カモ系図

奇日方天日方命−飯肩巣見命−建甕尻命−豊御気主命−大御気主命→
35   名前:  名無しさん@chs   2008/05/30(金) 10:29:53   ID:eF2v5zBo
古事記では、大物主が陶津耳の娘、活玉依毘賣を娶って産ませた子を「櫛御方」とする。母の名前が一緒だし「奇日方」(クシヒカタ)と「櫛御方」(クシミカタ)は酷似
36   名前:  名無しさん@chs   2008/05/30(金) 10:31:52   ID:eF2v5zBo
太田田根子に問うて・・・。対して曰く、「父を大物主大神と曰す。母を活玉依媛と曰す。陶津耳の女なり。」亦云う、「奇日方天日方武茅渟祇の女なり。」

意富多多泥古という人を求めると、河内の美努村にその人を見て得て貢ぎ進む。・・・「僕は大物主大神、陶津耳命の女、活玉依毘賣を娶って生める子、名は櫛御方命の子、飯肩巣見命の子、建甕槌命の子、意富多多泥古ぞ。」と曰す。
37   名前:  名無しさん@chs   2008/06/04(水) 10:04:47   ID:zGgnqRK2
気比大神
別称の伊奢沙和気神という神名の由来については、神功皇后の息子の応神天皇が敦賀を訪れたときに、そこに祀られていた気比大神と名前を交換し、応神天皇はもとの伊奢沙和気という名前から誉田別(ホンダワケ)に、気比大神は誉田別から伊奢沙和気大神になったという。
38   名前:  名無しさん@chs   2011/01/22(土) 10:27:25   ID:88z2n3go
>>11
但馬國の気多社といえば、旧氣多郡のこちらでは?
気多神社 御祭神:大己貴命 但馬國日高町上郷字大門227  
ttp://www.genbu.net/data/tajima/keta_title.htm
39   名前:  名無しさん@chs   2011/04/09(土) 10:28:55   ID:ccOGdqjs
但馬國旧城崎郡には氣比神社、旧氣多郡には氣多神社が鎮座するわけですね。
播磨風土記では、「天日槍」と「葦原志許男命」の支配地争いで、前者が城崎郡出石に、
後者が養父郡養父神社と氣多郡氣多神社に祀られたという神社ですね。
【新説但馬史】弥生3. 塗り替えられた気多の歴史 
ttp://koujiyama.at.webry.info/201005/article_1601.html
40   名前:  名無しさん@chs   2011/12/18(日) 10:16:54   ID:DDIX1FfI
>>39
西隣鳥取県の気多崎のある気高郡も、明治以前は因幡國気多郡だったらしい。
128 : 天之御名無主 : 2008/12/31(水) 10:24:05
>>84
ここですね。
”白兎海岸は、確かに沖合いの島といい、ワニの背中に見立てられる恋が島といい、
気多の前(けたのさき)といい、古事記神話の舞台にぴったりの場所だと思えます。
しかし、ここは高草郡であり・・・・・・・・・・
因幡の白兎はシュモクザメに
ttp://academy6.2ch.net/test/read.cgi/min/998135412/84-128
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キーワード【出雲 万葉集 中国 一宮 五百

【4:177】 三足鳥

1   名前:  名無しさん@chs   2008/01/29(火) 16:22:51   ID:yT4vQYoI
中国の書『淮南子』に「昔、広々とした東海のほとりに扶桑の神樹があり、十匹の三足烏が住んでいた」とある


淮南子(えなんじ)は前漢の淮南王劉安が学者を集めて編纂させた哲学書。日本へはかなり古い時代から入ったため、漢音の「わいなんし」ではなく、呉音で「えなんじ」と読むのが一般的である
168   名前:  削除   削除   ID:削除
削除
169   名前:  名無しさん@chs   2010/12/26(日) 09:42:34   ID:p4PzjvFE
「八咫烏/ヤタガラス」の「咫」はヘンな字ですね。「尺」に
「只」という字をつけます。1尺は「寸」の約10倍でセンチに
直すと約30センチです。
 「1咫」は、手のひらの下端から先端までの長さで4寸――約
18センチ、「8咫」ですからこれを8倍すると144センチ、
ほぼ1.5メートルですから、ヤタガラスはかなり大きなカラス
ということになります。
 カラスは全身が黒、イメージは闇です。何となくうさんくさい
イメージです。しかし、神話の世界では光、太陽のイメージなの
です。ギリシャ神話でのカラスは太陽神アポロンの使いであり、
英国のワタリガラスは王家の紋章です。
170   名前:  名無しさん@chs   2010/12/26(日) 09:45:37   ID:p4PzjvFE
大神神社
なぜ「三ツ鳥居」なのかというと、大神神社は三神を祀ってい
るからです。三神とは次の通りです。
       和魂 ・・・・・ 大物主神
       幸魂 ・・・・・ 大己貴神
       奇魂 ・・・・・ 少彦名神
賀茂建角身命は神武天皇の母である玉依姫(たまよりひめ)の父親
171   名前:  名無しさん@chs   2010/12/26(日) 09:49:08   ID:p4PzjvFE
徳川家の紋は「三葉葵」
葵を家紋としていたのは、徳川四天王のひとりである本多正信です。本多氏は賀茂神社の神官の一族であり、そのル
ーツは賀茂氏、その家紋は「立ち葵」
172   名前:  名無しさん@chs   2010/12/26(日) 09:54:47   ID:p4PzjvFE
3次魔方陣
6 7 2
1 5 9
8 3 4
中央の縦列が753。
縦横斜めの合計はいずれも15になる。七五三のお祝いが11月15日に行われる理由は
ここにあります。
173   名前:  名無しさん@chs   2010/12/26(日) 09:58:28   ID:p4PzjvFE
「古事記」によれば、「賀茂」の名を持つ神としては「迦毛大御神」があります。
この迦毛大御神は「大国主命」の子であり、現在、奈良県御所市
の高鴨神社に主祭神として祀られています。大国主命の子といえ
ば、もう一人「事代主命」がいます。
 賀茂氏は主としてこの事代主命を祀っている。

これと関連のあるのは三島神社です。「三島」という名前が付く神社は全
国に1万社以上あるといわれますが、その総本山は、静岡にある「三島大社」なのです。『延喜式』によると、三島大社はもとも
とは、伊豆国賀茂郡にあったというのです。
 伊豆は、かなり早い時期から賀茂氏が支配していた場所であり伊豆諸島の神社はことごとく事代主命を祀っているのです
174   名前:  名無しさん@chs   2011/01/31(月) 22:22:52   ID:RMfOVctA
ここで
ttp://china.syoyu.net
175   名前:  名無しさん@chs   2011/12/16(金) 17:54:46   ID:mEW7/ZP+
高鴨神社 奈良県御所市鴨神。旧県社。祭神は味鋤高彦根命(大国主命の御子神)である。本神社をもって『延喜式』に記載の「高鴨阿治須岐託彦根命神社四座」にあてている。『出雲国造神賀詞』の中に「大穴持命の申し給はく、皇御孫命の静り坐さむ大倭国と申して……己命の御子阿遅須伎高孫根命の御魂を、葛木の鴨の神奈備に坐せ……皇御孫命の近き守神と貢り置きて……」とあって、国つ神である。大田田根子の孫賀茂積命がこの神を奉じて、代々賀茂(鴨)氏が祭祀に当ったが、『続日本紀』天平宝宇八年(七六四)一一月の条に「昔、大泊瀬天皇(雄略天皇)葛城山に狩し給ふ。時に老夫ありて、毎に天皇と獲を争ふ。天皇これを怒りて其の人を土佐の国に流す。先祖の主る神、化して老夫となる。ここに放逐せられる」という経緯があったが、子孫の賀茂朝臣田守と兄法臣円興の奏言によって、淳仁天皇の同年月の七日に、再び土佐から戻して再興されたと伝承されている。
176   名前:  名無しさん@chs   2011/12/16(金) 17:55:34   ID:mEW7/ZP+
神武・綏靖・安寧の三帝は鴨族の主長の娘を后とされ、葛城山麓に葛城王朝の基礎をつくられました。
この王朝は大和・河内・紀伊・山城・丹波・吉備の諸国を支配するまでに発展しましたが、わずか九代で終わり、三輪山麓に発祥した崇神天皇にはじまる大和朝廷によって滅亡しました。
177   名前:  名無しさん@chs   2011/12/16(金) 18:03:52   ID:mEW7/ZP+
積羽八重事代主命(事代主)と下照姫命を主祭神とし、建御名方命を配祀する。葛城氏・
鴨氏によって祀られた神社で、高鴨神社(高鴨社)・葛城御歳神社(中鴨社)に対して「
下鴨社」とも呼ばれる。事代主神は元々は鴨族が信仰していた神
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キーワード【中国 前漢 劉安 一般 削除

【5:77】 讃岐の桃太郎伝説

1   名前:  名無しさん@chs   2007/04/21(土) 06:18:57   ID:38f297e948
倭迹迹日百襲姫命  :讃岐一ノ宮の田村神社の主祭神
第7代孝霊天皇の子であり、五十狭芹彦命(大吉備津日子命)と稚武彦命(若日子武吉備津日子命)の姉、いわゆる桃太郎の姉であった。

大吉備津日子命(イサセリ彦)と若日子建吉備津日子命(ワカタケ彦)は、四道将軍として力を併せ針間(播磨)を足場に吉備の国へと攻め入り、この地を平定した。

雌雄島(女木島・男木島)を根城とした海賊が笠居郷(香西・鬼無)あたりまで進出してきた為、吉備の国から讃岐の姉 倭迹迹日百襲姫命を訪ねてきたきびつ彦兄弟に海賊(鬼)征伐を依頼し、退治した。=桃太郎伝説
68   名前:  名無しさん@chs   2011/03/11(金) 11:04:40   ID:A3uJChiY
楽楽福神社由緒:(日南町)
「大日本根子彦太填尊は人皇第七代孝霊天皇の御名なり。東西両宮共天皇を主神とし、皇后、皇妃、皇子及び其の御一族を禮る。
孝霊天皇は少年の御時楽楽清有彦(ささきよありひこ)命と申し、又笹福(さきふく)と萌し奉る。御即位二年細媛命(くはしひめ)を立てゝ皇后と為し給ひ、大日本根子彦國牽皇子御誕生あらせらる。細姫命は孝霊天皇の御后にて國牽皇子即ち孝元天皇の御母にあたり、磯城県主大目(おほめ)命の女なり。福媛命は孝霊天皇の妃にて彦狭島(ひこさしま)命御誕生あらせらる。彦狭島命は歯黒(はぐろ)皇子とも申し孝霊天皇第五の皇子なり。孝霊天皇巡幸して西の國々を治め給ふ時、隠岐國の黄魃鬼(こうばつき)を退治し給ひ、それより伯耆國に渡らせ給ひし時日野川上に至り給ひて、今の溝口町鬼住(きずみ)山並に日野上村の鬼林(きつん)山に邪鬼ありて人民を悩すよしを聞召して、歯黒皇子並に侍従大水口宿爾の御子新之森王子、大矢口宿禰の御子那澤仁奥等を卒ゐて彼の邪気を討伐し、其の首魁を其の地に埋葬し給ふ。現今東宮の境内近く鬼塚といふあり、これ即ち鬼林山の強虜を埋没せし地なりと博ふ又御太刀を洗はせ給ひし池を太刀洗池と称しし東宮境内にあり。
その頃、備中の國に石蟹魁師荒仁(いしがにたけるかうじん)といふものあり、天皇の近郷に居給ふ由を聞き國中の凶徒を集め兵を起して天皇を襲ひ奉らんとす。天皇夙くも此の事を聞召給ひて、歯黒皇子を軍将とし、新の森王子を副将として、数多の軍兵を勤(したが)へ之を征伐し給ふ。歯黒皇子は武勇萬夫に勝れ猛きこと雷電の如く、天皇巡幸の時は必ず此御子を伴ひ給へりとぞ。かくて出雲振根等各地の強虜をば悉く言向けやはして地方を平定し、王化を遠荒に布き給へり。
これより先皇后細媛命は天皇の御跡をしたひあすを知るベに尋ね給ふに、御産のなやみありて石の上に憩はせ給ふ、頃は五月雨のなかばにして雨多く降りければ里人菅のみの笠を奉る川の水音高く聞こゆる故「水責喧」と詔り給へは水音乃ちやむ。依って日野川のこの部分を音無川と称し今の黒坂村上菅にあり。皇后其の地を立たせ給ひし時の御歌
  むら雨の露のなさけの名残をばこゝにぬきおく菅のみのかさ。
それより川上に上り給ひて帝に會ひ給ひ、日野川上宮内の里はよき富所なりとて皇居を究め給ひて多くの年月を慈におくり給へり。是を西の内裏といふ。皇后は御年百拾歳にて孝霊天皇御即位七拾壱年辛巳四月二十一日を以て、この西の御殿におひてかくれ給ふ。現今西宮の東北方崩御山と申すは皇后の御陵なりと傳ふ。古来をの斧鐵を加へず満山老樹大幹参差として書猶ほ暗く、頂上墳域の石累高さ四丈に達し、古色頗る蒼然。西宮鳥居の近くに天狗石と称し天狗の爪の痕跡を残せる石あり、傳へ云ふ崩御山の御陵の石は備中國石蟹より天翔る天狗により運ぼれしものにて此石は天空より取落とせしものなりと。蓋し天狗取りなるものならん。後天皇は東の宮殿に移り給ふ。これを東の内裏といふ。元内裏原神社の所在地にして現に内裏原と称す。
即ち當社は地方開拓に御治績ありし祖神の偉大なる御霊徳を追慕景仰して鎮祭し奉れる所にして、且つ皇后御陵のある聖地なり」
69   名前:  名無しさん@chs   2011/03/11(金) 11:07:13   ID:A3uJChiY
伝承をまとめると、石蟹族は岡山県新見市から、鳥取県日野郡日南町にかけての土地を領有していた出雲族に属する豪族で、土地の広さからして新見市周辺を拠点にしていたと思われる
日野郡史
  「孝霊天皇が宮内に宮を作ってしばらくした頃、備中の石蟹魁師荒仁が兵を集め天皇を襲おうとした。天皇はそれを察知し日南町霞に關を作り、吉備津彦(歯黒皇子)に備中へ向かわせた。荒仁は吉備津彦に恐れをなし、大倉山の麓で戦わずして降参した。」
別伝
「孝霊天皇が石蟹魁師荒仁を退治したときに宮内に宮を構えた」
備中の伝承(新見市石蟹)
「強賊の石蟹魁師が石窟に居城を構えて横暴を極めていた。
     そこで、吉備津彦命がこれを征服して殺した。」
となっている。これは、いろいろと矛盾する伝承
70   名前:  名無しさん@chs   2011/03/11(金) 11:10:32   ID:A3uJChiY
近江國甲賀郡 水口神社
御祭神
大水口宿禰
配祀 大己貴命 素盞嗚尊 稻田姫命
滋賀県甲賀市にある
社伝によると、主祭神・大水口宿禰は
饒速日命六世の孫である出石心大臣命の御子。
出石心大臣命の母・淡海川枯姫は、
川枯首阿目加伎袁四世の孫である阿自夷沙比止命の後で、川枯神社の祭神。
大水口宿禰は、その縁により当地に居住し、
土地開拓の祖神として人々に崇敬されたという
71   名前:  名無しさん@chs   2011/03/11(金) 11:12:29   ID:A3uJChiY
大和國城上郡 水口神社 旧村社
御祭神 譽田別命
水口大神 『大和・紀伊 寺院神社大事典』
大水口宿禰 『特撰神名蝶』他
奈良県天理市にある。
169号線のそば、景行天皇陵の近く。
畑の向うに、道路から境内が見える
72   名前:  名無しさん@chs   2011/03/11(金) 11:16:45   ID:A3uJChiY
亀山市の新羅神社と考えられている神社は忍山神社である。
式内社「忍山神社」白鬚大明神
 一、神紋   花菱
 一、鎮座地  亀山市野村四―四―六五(大字一一〇九番地字忍山)
 一、主祭神  猿田彦命(本宮)、天照皇大神(別宮)
   祭神   天児屋根命、 天布刀玉命、
        素盞鳴尊(天王社)、大穴牟遅神(和賀社)
 一、皇大神宮遷幸地跡
 一、弟橘媛命生誕地
「社記」には崇神天皇(四世紀初)の七年秋九月、饒速日尊五世の孫伊香我色雄命が勅を奉じて猿田彦大神を祀り、伊香我色雄命の子・大水口宿禰の子孫相次ぎ神職となる。猿田彦の一族と伊香色雄命一族(後の忍山氏)とが何らかの因縁で結ばれていたのかも知れない。さらに、垂仁天皇(四世紀)の二十五年、皇女である倭姫命が、天照大神を祭るのに最も適した場所を求めて大和(現奈良県)から近江(現滋賀県)、美濃(現岐阜県)を経て伊勢国に入り、忍山の地に至った時に大彦命が「ここは味酒の鈴鹿国奈具波志忍山」と姫に答えたことにより、六ケ月間、皇大神宮の鎮座地となった。その跡が忍山宮または、小山宮といわれた。その間に神戸及び神田が寄進され、之が本となって後世に鈴鹿神戸郷といわれるようになった、その中心人物が忍山宿禰であった(皇大神宮はその後、磯宮、宇治家田田上宮などを経て五十鈴川上に鎮座となった)といわれる。忍山神宮の祠官である忍山宿禰(「紀」の景行天皇の条に穂積氏忍山宿禰とある)については社記に「地主祖神と申事。饒速日尊五世の孫、伊香我色雄命の子大水口の宿禰と相次いで神主となり同社に奉仕した」とある。「新撰姓氏録」によると、穂積の忍山氏は左京神別上・天神の部に属し「穂積朝臣、石上同祖、神饒速日命速日命六世の孫・伊香色雄の後」とある。また、大水口宿禰も同録に、左京神別・上に穂積朝臣は「伊香賀色男、大水口宿禰之後也」とある。饒速日命は物部氏の祖であるので、この神社の祭神は忍山宿禰の祖・饒速日命ということになる。
因みに、忍山宿禰の長女である弟橘媛は日本武尊の妃である。この忍山神宮は延喜式記載の鈴鹿郡忍山神社であろう
73   名前:  名無しさん@chs   2011/07/31(日) 18:13:20   ID:spNMGI9+
愛媛県西条市にある伊曽乃神社社家の御村別(みむらわけ)氏の支族に、伊予賀茂氏とか賀茂伊予氏という氏族もある。「いその」神社というからには、海人系であろう。因みに遠祖は、息長氏系の12代景行天皇と阿倍氏の高田媛の子、武国凝別皇子(たけくにこりわけのみこと)で、吉備氏系の倭建命や、讃岐氏の祖の神櫛別命、空海を出した佐伯氏の祖、稲背入彦命の異母兄弟にあたる。また、倭建命と大吉備建比売(おおきびたけひめ)の子、十城別王(とおきわけのみこ)が、伊予別(いよわけ)君の祖となり、伊予を本拠地としていたことから、吉備氏との関係も窺える。御村別・伊予別の両氏は、後に「和気氏」を名乗った。
74   名前:  名無しさん@chs   2011/07/31(日) 18:19:01   ID:spNMGI9+
武国凝別命(たけくにこりわけのみこと)は、記紀などに伝える古墳時代の皇族。武国凝 別皇子。景行天皇の第12皇子。母は阿倍氏木事の女・高田媛。伊予国平定のために派遣 され、神野郡(後の新居郡、現在の愛媛県新居浜市・西条市他)に拠点を置いた

満濃町(まんのうちょう)と丸亀市(まるがめし)の両方に「神野神社(かんのじんじゃ)」がある。
伊予国神野郡の人久留島(和気氏の一族)が当地に移住し、その祖神である伊曽乃社を創祀し、神野神社と称した
創始の時期は継体天皇2年とのことで、この和気氏(わけし)の一族は初めは満濃町の地に移住していたが、後に丸亀に移動したということである。
75   名前:  名無しさん@chs   2011/07/31(日) 18:28:32   ID:spNMGI9+
新居浜市別子山
別子という名前の由来は、景行天皇第12皇子「武国凝別命(たけくにこりわけのみこと)」が伊予の御村(新居・宇摩・周桑)を治める郡司として君臨して以来、その子孫が営々として三村を治めました。その別(わけ)の子孫がいた所であることから、別子という名がうまれてきたといわれています。
76   名前:  名無しさん@chs   2011/07/31(日) 18:33:56   ID:spNMGI9+
曹子神社  そうし


祭神
・襲武媛命(そのたりひめのみこと)
・国凝別皇子
・国乳別皇子
・小確命

・創立:永正3年(1506年)3月4日
・由諸沿革
景行天皇の御代に熊襲が反いたため、
天皇が親征され
日向に6年おられたことが
「日本書紀」に記されているが
社伝によると、皇妃襲武媛
命はお伴をされて内助の功を
たてられた、皇妃並びに2皇子を祭神とする雑司権現は●札によると、後柏原天皇の永正3年3月建立され、西支弁分後河内、山下にあった。
同じく西弁分後谷堂山にあった荻原権現
と2社とも安政6年(1859年)現在地に遷座●したという。
安産、子育ての神として、また開発の神として地在の住民尊崇が曹子とは部屋住みの弟子の意味だが「日本書紀」によると襲武媛の子は、国乳別皇子、国背別皇子l、豊戸別皇子、3人で国凝別皇子は高田媛との間の武国凝別皇子かと見られる。
小●命は稲日太郎媛との間の第2子で日本武尊の別名である。
77   名前:  名無しさん@chs   2011/12/04(日) 13:11:36   ID:AfOl5Alo
>>53
>温羅、遂にずい(方ヘンに垂)旗を垂れ鋒刀を棄てて降ったと・・・・・・・
吉備国には、吉備津彦の温羅征討伝承があり桃、桃太郎、黍団子と言えば岡山県が
高名ですが、前田晴人氏説では、桃太郎の鬼退治話は御伽草子でも吉備地方の民話でも
何でもなく、細川幽斎が創作した征西譚らしいですね。家来の犬・猿・雉は、鬼の住む
西方の戌・申・酉の方角の寓意だと。
名前: メール: sage cookie

【6:28】 抱朴子 不老不死 神仙道

1   名前:  名無しさん@chs   2008/05/02(金) 17:27:11   ID:8gyQMT8E
『抱朴子』では、薬をその効能から上薬・中薬・下薬に分け、その上薬のトップに丹砂、それに次ぐものとして黄金をあげています。

 上薬とは、単なる長生きや病気治癒のためではなく、不死を得るために服するものです。

『抱朴子』によると、植物や動物から作る薬はいかに体に良いものであっても、所詮は腐るものであって不滅ではない。不死の体を作るための薬は不滅の鉱物から作らなければならないというわけです。

 金は決して錆びることがなく、上薬の代表となっておかしくはないものです。金の薬効への期待は、現在でも、金粉入りのお酒や、金箔入りの高級料理にその名残をとどめています。

 その金以上の上薬とされた丹砂とは、硫化水銀のことです。粉末の硫化水銀は鮮やかな朱色で染料にも用いられますが、簡単な操作で銀白色に輝く金属水銀にも、赤い酸化水銀にも、黒色の硫化水銀にも白い結晶の硫化第二水銀にもなるということで、変幻自在の仙人になる薬にふさわしいと思われたようです。
19   名前:  名無しさん@chs   2009/01/21(水) 15:22:41   ID:/nw8HXxo
「決明飲」は、「草決明」「石決明」、菊花などの数種類の成分が入った液体漢方薬で、 めまいや睡眠障害などに効果がある。
20   名前:  名無しさん@chs   2009/01/21(水) 15:23:27   ID:/nw8HXxo
セツケツメイ 石決明

アワビの貝殻です。「目を明るくする石につく貝」ということから石決明と名付けられました。炭酸力ルシウムやアミノ酸を含んでいます。
21   名前:  名無しさん@chs   2009/01/21(水) 15:24:50   ID:/nw8HXxo
あわびの貝殻は、漢方名では「石決明」・千里光」といいます。名前の由来は「目を明るくする」ところからきており、植物のエビスグサ(草決明)に対して、海中の石に付く貝なので、石決明と石の字を冠したのです。
22   名前:  名無しさん@chs   2009/01/21(水) 15:28:48   ID:/nw8HXxo
『魂志倭人伝』(3世紀後半)
「人好んで魚鰻を捕え、水に深浅となく皆沈没して之を捕る」

『古事記』 『日本書紀』にも、アマに関する記事が見られます。

『常陸国風土記』 の密筑 (日立市)の項に
「石決明、辣甲羅、魚貝等の類、甚多し」
とあり、近県地域でも潜り漁が行われていたと推測できます
23   名前:  名無しさん@chs   2009/01/21(水) 15:35:26   ID:/nw8HXxo
ふかひれは広東省の沿海部などで食べられていただけの大して価値のある物でもなかったのが、清朝の時代に宮廷料理に供されるようになってから一気に需要が高まったそうです。

アワビの薬膳的な効用は「滋補肝腎」となっており、滋養強壮作用があるほか乳汁の分泌を促す作用もあります。また、アワビの殻を乾燥させた物は、石決明とよばれ漢方薬として利用されます。


 石決明の薬効としては「平肝潜陽」となっており、のぼせやほてりを鎮める作用があるほか、肝火(ストレスやお酒などによる肝の炎症)による目の充血などにも効果があります。
24   名前:  名無しさん@chs   2009/01/21(水) 15:42:00   ID:/nw8HXxo
海鼠腸=このわた、海参=いりこ、羊栖菜=ひじき
 拳螺=さざえ、蛤仔=あさり、石決明=あわび、海扇=ほたてがい
 牛尾魚=こち、蝦虎魚=はぜ、海鯒魚=えい
 山女魚=やまめ、柳葉魚=ししゃも、秋刀魚=さんま
 翻車魚=まんぼう、石斑魚=うぐい、梭子魚=かます、此目魚=ひらめ
25   名前:  名無しさん@chs   2009/01/21(水) 15:52:12   ID:/nw8HXxo
「鮑肆は方に臭を遺れ、琴声は未だ絃を改めず」。前句は孔子家語の「善人と居るは
芝蘭の室に居るが如し。久しくしてその香を聞かざるは即ち之と化するなり。不善人と
居るは鮑魚の肆に入るが如し。久しくしてその臭を聞かざるは、また之と化したるなり
」に拠ると考えられる。不善人と交わって久しいため、道徳意識が低下し、その悪徳た
るをも覚らず、これを改めることが出来ないのを言う。この句を「鮑肆は方ミチに臭を遺ス
つ」と訓ヨめば、魚屋が道路に生臭い汚水を撒き散らすことになるが、そのように解する
のは、前後如何であろう
26   名前:  名無しさん@chs   2009/01/21(水) 15:53:19   ID:/nw8HXxo
鮑魚の肆(いちぐら )[孔子家語六本「与不善人居、如入鮑魚之肆」] 不善の人、小人などの集まりを塩漬の臭い魚を売る店にたとえていう。
27   名前:  名無しさん@chs   2009/01/21(水) 15:55:44   ID:/nw8HXxo
孔子曰く、吾が死せし後は、則ち商や日に益し、賜や日に損せん。曾子曰く、何の謂ぞやと。子曰く、商や好みて己れに賢(まさ)る者と与(とも)に処(お)り、賜や好みて己れに若(しか)ざる者を説(よろこ)ぶ。其の子を知らずんば、其の父を視、其の人を知らずんば、其の友を視、其の君を知らずんば、其の使う所を視、其の地を知らずんば、其の草木を視る。故に曰く、善人と居るは、芝蘭の室に入るが如し。久しうしては其の香を聞かず、即ち之と化す。不善人と居るは、鮑魚の肆に入るが如し。久しうしては其の臭を聞かず、亦た之と化す。丹の蔵す所の者は赤く、漆の蔵す所の者は黒し、是を以って君子は必ず其の与に処る所の者を慎むと。)
28   名前:  名無しさん@chs   2011/12/03(土) 22:07:53   ID:ECN5StXU
>>8
>桃太郎は桃の霊力と逆鬼門の力で鬼を払い・・・・・・
桃の霊力で鬼を退治したとは聞かぬ言い様だが、黍団子の他に
桃果を携行していたのかね?
名前: メール: sage cookie
キーワード【効能 上薬 中薬 丹砂

【7:132】 方格規矩鏡

1   名前:  名無しさん@chs   2007/05/10(木) 11:45:03   ID:322e136053
大田南5号墳(峰山町と弥栄町の境)

平成6年1月に発見された日本最古の年号入り古代鏡(方格規矩四神鏡
。現在は丹後郷土資料館(宮津市)に展示されています。
123   名前:  名無しさん@chs   2011/02/17(木) 10:08:17   ID:Z4AKFmGI
男木島、女木島、直島の氏神だった男木島の豊玉姫神社は安産の神として信仰を集めていた
鵜羽神社
屋島の南嶺と北嶺の間に谷があり、その谷を下った所に「浦生(ウロ)」と
呼ばれる集落がある
神社誌によると「伝ふる所によれば、神代の昔 豊玉姫命浦生の地に
来たり(ウガヤフキアエズノミコト)を産み給ふ。
豊玉姫命八尋の産殿を造らせ給ひしかば島の名を八尋島と言ふ。
後世に至り山容 家の形に似たる故を以って屋島と言えリ…」とある

鰐河神社は讃岐国三木郡の式内小社、和尓賀波神社の論社です。 ・鰐河神社【祭神:応神天皇、豊玉姫命】三木町下高岡四条1843番地 社伝によれば、祭神の応神天皇は延喜7年の勧請で、それ以前は豊玉姫命だけを祀っていたそうです
124   名前:  名無しさん@chs   2011/02/17(木) 10:09:43   ID:Z4AKFmGI
綿積豊玉彦
天孫でない〈地祇〉。海部氏は海ノ神綿津見命の後裔で、同じく綿津見命を祖とする安曇氏と同族か。新撰姓氏録(西暦八一五)によれば
宗形朝臣(むなかたのあそみ)。大神朝臣(おほみわのあそみ)と同じき祖。吾田片隅命(あたかたすみのみこと)の後なり。
安曇宿禰(あづみのすくね)。海神綿積豊玉彦神(わたつみとよたまひこのかみ)の子、穂高見命(ほたかみのみこと)の後なり。
海犬養(あまのいぬかひ)。海神綿積命の後なり。
凡海連(おほしあまのむらじ)。同じき神の男、穂高見命の後なり。
青海首(あをみのおびと)。椎根津彦命(しひねつひこのみこと)の後なり。
古事記応神記(第十五代)には「此之御世定賜海部・山部・山守部・伊勢部也」とあり海部と伊勢部の始まりか。

日本書紀の応神記に、「海部が騒いだので、安曇連の祖大浜宿称を遣わして鎮撫」とあり、綿積豊玉彦神の後裔が海部を鎮撫している。
125   名前:  名無しさん@chs   2011/02/17(木) 10:21:06   ID:Z4AKFmGI
椎根津彦神社(大分市)
御祭神, ・椎根津彦命(しいねつひこのみこと)
(合祀) ・武位起命(たけいこのみこと) ・稻飯命(いなひのみこと)
合祀の・武位起命は彦火々出見命の御子、鵜草葦不合尊の御昆弟で椎根津彦命の御父
    ・稻飯命は鵜草葦不合尊の御子で神武天皇の御兄
    ・祥持姫命は椎根津彦命の御姉で稻飯命の御妃
    ・稚草根命は稻飯命、祥持姫命の御子と伝えられ合祀の年代は詳らかでない。
126   名前:  名無しさん@chs   2011/02/17(木) 10:26:40   ID:Z4AKFmGI
綿積豊玉彦命ーー宇都志金折命(穂高見命)ー多久置命ー穂己都久命ー摩幣区利命ー意伎布利根命ー小栲梨命ー麻曽杵命ー大栲成吹命ー百足足尼命ー大海宿禰ー安曇連浜子-安曇氏へ

応神期
大浜宿禰(おおはまのすくね)が15代応神期に各地の海人を平定し、海部の宰(みこともち)に任命された。
663年
安曇比羅夫が白村江の戦いで戦死。

691年(持統5年)
朝廷に纂記を提出。
127   名前:  名無しさん@chs   2011/02/17(木) 10:27:15   ID:Z4AKFmGI
安曇族が移住した地とされる場所は、阿曇・安曇・厚見・厚海・渥美・阿積・泉・熱海・飽海などの地名として残されており、安曇が語源とされる地名は九州から瀬戸内海を経由し近畿に達し、更に三河国の渥美郡(渥美半島、古名は飽海郡)や飽海川(あくみがわ、豊川の古名)、伊豆半島の熱海、最北端となる飽海郡(あくみぐん)は出羽国北部(山形県)に達する。
128   名前:  名無しさん@chs   2011/02/17(木) 10:29:32   ID:Z4AKFmGI
播磨国
  揖保郡浦上里、石海 安曇連百足

讃岐国
  大内郡入野(ニフノ)郷 安曇茂丸戸他、讃岐是秀 安曇直眉他

阿波国
  男帝の御宇に供奉する神祇官選定阿曇部、名方郡の人安曇部栗麻呂宿禰
  和多都美豊玉比賣神社、海部郡

淡路国
  三原郡南方の野島は海人の本拠地、西南の方に阿萬(アマ)郷
摂津国
  安曇犬養連等の地、難波津の安曇江、安曇寺
山城国
  阿曇宿禰等の地
129   名前:  名無しさん@chs   2011/02/17(木) 10:30:43   ID:Z4AKFmGI
阿曇磯良
磯武良(いそたけら)と称されることもある。  
石清水八幡宮の縁起である『八幡愚童訓』には「安曇磯良と申す志賀海大明神」とあり、当時は志賀海神社(福岡市)の祭神であったということになる(現在は綿津見三神を祀る)。
同社は古代の創建以来、阿曇氏が祭祀を司っている。
130   名前:  名無しさん@chs   2011/02/17(木) 10:32:33   ID:Z4AKFmGI
安曇比羅生没
生年不明−663年(天智2年)?
舒明期
在任中に百済に使者として派遣されていた。

641年
舒明天皇の崩御に際し、翌642年百済の弔使をともなって帰国し、その接待役を務めている。
またこのとき百済の王子翹岐(ぎょうき)を自分の家に迎えている。

661年
高句麗が唐の攻撃を受けると、百済を救援するための軍の将軍となり、百済に渡っている。

662年
日本へ渡来した百済の王子豊璋に王位を継がせようと水軍170隻を率いて王子とともに百済に渡った。
大錦中に任じられた。
663年8月27−28日
白村江の戦いで戦死したとされる。長野県安曇野市の穂高神社に安曇連比羅夫命として祀られる。
同神社のお船祭りは毎年9月27日に行われるが、これは安曇比羅夫の命日であるとされる
131   名前:  名無しさん@chs   2011/02/17(木) 10:34:15   ID:Z4AKFmGI
海部穀定『元初の最高神と大和朝廷の元始』によれば、火明命十六世孫大倉岐命は亦名大矢田宿祢、亦名倭宿祢命とあり、一伝では彦火明命を亦の名彦火火出見尊といい、其の子を武位起命、孫を宇豆彦命、三世孫を倭宿祢命と云っているとある。倭宿祢命は「天皇本紀」では景行天皇の子に倭宿祢命、三川大伴部直祖とあり、大和国造の祖という伝もあるという。「「皇孫本紀」では、武位起命を大和国造の祖と記しているが、珍彦は国つ神
132   名前:  名無しさん@chs   2011/11/22(火) 12:04:19   ID:QxnCcW+k
awa
萩原噴丘墓一号墓から画文帯神獣鏡はヤマトのホケノ古墳と同范鏡のようで、半島の楽浪・帯方郡域からも出ており、交流の深さは偲ばれます。3世紀初頭でのこの鏡の分布図を下記に示しました。萩原の東に3世紀中頃の西山谷2号墓(円墳)があり、積石の竪穴古墳でこの形状では日本最古とされており、この技術がヤマトに伝わったとみられています。
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【8:16】 龍、竜、蛇の神話

1   名前:  名無しさん@chs   2008/11/09(日) 17:20:54   ID:8YD9fWck
出雲は龍蛇族?
三輪の神も
7   名前:  名無しさん@chs   2008/11/09(日) 17:35:45   ID:8YD9fWck
日本の古語に蛇をナガ・ナギといい沖縄で虹をナギという。
大漢和辞典より
「虹。古へは竜の一種とし、雄を虹、雌を?という」
8   名前:  名無しさん@chs   2008/11/09(日) 17:38:00   ID:8YD9fWck
蛇 カカ ハハ

大蛇(カガチ) 大蛇(山カガシ)
カガヤマ 神名(香山戸臣神)
ハハキ 神名(箒神・波波木神)
9   名前:  名無しさん@chs   2008/11/09(日) 17:38:59   ID:8YD9fWck
ヌカヒメ伝承 「常陸国風土記」

茨城の里。此処より北に高き丘あり。名をクレフシの山といふ。
古老いへらく、兄と妹と二人ありき。兄の名は努賀比古(ぬかびこ)
妹の名は努賀比売(ぬかびめ)といふ。時に妹、室にありしに、
人あり、姓名知らず、常に就て求婚ひ(よば)、夜来りて昼去りぬ。
遂に夫婦と成りて、一夕(ひとよ)に懐妊(はら)めり。
産むべき月になりて、終に小さき蛇生めり。
明けくれば言とはぬが若(ごと)く、闇るれば母と語る。是に、母と伯(えをぢ)と、
驚き奇しみ、心に神の子ならぬと挾(おも)ひ、即ち、浄き杯に盛りて、
壇を設けて安置けり。一夜の間に、己(すで)に杯の中に満ちぬ。
更(また)、ひらかに易(か)へて置けば、ひらかの内に満ちぬ。
此かること三四(みたびよたび)して、器を用ゐあへず。
母、子に告げていへらく、「汝(いまし)が器宇(うつわもの)を量るに
自ら神の子なるころを知りぬ。我が属の勢は養長(ひた)すべからず。
父の在すところに従きぬ。此処にあるべからず。」といへり。
時に、子哀しみ泣き、面を拭ひて答へけらく、
「謹しみて母の命を承りぬ。敢えて辞ぶるところなし。然れども、
一身の独去きて、人の共に去くものなし。望請はくは、あわれみて
一の小子を副へたまへ」といへり。
母のいへらく、「我が家にあるところは、母と伯父とのみなり。是も亦、
汝が明らかに知るところなり。人の相従ふべきもの無けむ。」ここに
子恨みを含みて、事吐はず。決別るる時に臨みて、怒怒に勝へず、
伯父を震殺して天に昇らむとする時に、母驚動きて、
ひらかを取りて投げ触てければ、子え昇らず。
因りて、此の峯に留まりき。盛りしひらかとみかとは、今も片岡の村にあり、
其の子孫、社と立てて祭を致し、相続ぎて絶えず。
10   名前:  名無しさん@chs   2008/11/09(日) 17:40:53   ID:8YD9fWck
ハハミ→ハミ→ハビ→ヘミ→ヘビ→ミ


諏訪大社で祀られたミ. シャグジ神は蛇神だと. いわれる。 柱は蛇だとも言われる
11   名前:  名無しさん@chs   2008/11/09(日) 17:41:50   ID:8YD9fWck
錬金術の物質変成の永遠の輪=輪廻転生 の象徴として描かれているそうです。なぜヘビか?というと、まずプルンと脱皮をするから。ヘビの抜け殻はほんとうにもう一匹のヘビのように見えます。だから「死」と「再生」のシンボルとして取り上げられたようです
12   名前:  名無しさん@chs   2008/11/09(日) 17:43:16   ID:8YD9fWck
「モーゼの青銅のヘビ」

モーゼに率いられたイスラエルの民が、砂漠を渡って旅をしているとき、「パンも水もなく粗末な食べ物ばかりでは、気力がうせる」と、神とモーゼに不平を言います。
すると、神は民衆に炎のヘビを差し向け、大勢の人々がそのヘビにかまれて死んでしまいます。
反省した民衆のためにモーゼが祈ると、神はモーゼにこう言いました。
「炎のヘビを作って、旗竿の先に掲げなさい。ヘビにかまれた者がそれを見上げれば命を得るだろう」
そこで、モーゼは青銅でヘビを作り、旗竿に掲げました。
13   名前:  名無しさん@chs   2008/11/09(日) 17:44:42   ID:8YD9fWck
注連縄(しめなわ)はヘビの交尾する姿だと、また、鏡餅はヘビの目をかたどっているとも言われます。 鏡の「かが」はもともと、ヘビの古語「ハハ」が転訛したと言われ、 案山子(かかし)はヘビに由来する田の神様だそうです
14   名前:  名無しさん@chs   2008/11/09(日) 17:51:08   ID:8YD9fWck
三輪の大物主神の妻となった倭迹迹日百襲姫が、夜しか訪れぬ夫の姿を朝見たいと願ったところ、その姿は「うるわしき小蛇」であったという

雄略天皇が力持ちの少子部連蜾羸(スガル)に「三輪山の神を捕まえてこい」と命じたところ、それは大蛇であったという説。(『日本書紀』雄略天皇)
15   名前:  名無しさん@chs   2008/11/09(日) 17:53:08   ID:8YD9fWck
武田家は「龍の印」、上杉家は「獅子の印」、北条家は「虎の印」
16   名前:  名無しさん@chs   2011/11/22(火) 11:58:50   ID:QxnCcW+k
しめなわ。しりくべなわ

古事記に『天照大神が須佐之男命の乱暴を畏れ天石屋戸に隠れた時、この天石屋戸のまえで天宇受売命らの神々が賑やかな宴を催した。これを怪しんだ天照大神が覗いたところ、傍に隠れていた天手力男神がその手をとり天石屋戸から引き出だした。そして布刀玉命が尻久米縄(しりくめなわ)をその後ろへ張り渡し「ここより内に戻れませぬぞ」と告げた。』と書かれている。
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キーワード【出雲 三輪 伝承 兄と妹 伯父

【9:4】 鈴の謎

1   名前:  名無しさん@chs   2007/12/27(木) 17:26:50   ID:78b610f5cb
両部神道書の「天地麗気府録(てんちれいきふろく)」では、おおむね

杵独王(きどくおう)を国土に差し向けて平定させる。そのとき、「追の真床の縁の錦の衾」、「八尺流の大鏡」、 「赤玉の宝鈴」、「草薙剣」を持たせる。そして次のような神勅が与えられた。「伝来の鈴を手に取って、 無窮無念の境地に至れば、私は鏡の中に在るだろう。」
2   名前:  名無しさん@chs   2008/01/09(水) 13:17:48   ID:1331985abc
諏訪大社に伝わる宝鈴「サナギの鈴」は、鉄板を筒型に巻きつけた原始的な作りをしている。この神器は、上社御頭祭で神使(おこ)が、御杖(みつえ)の先に結びつけ、信濃の国中を巡回。祭典の場所で、鈴をご神体として祭事が行われていた。神事以外は門外不出とされていたが、武田信虎と諏訪頼満の和ぼくに際して県境の境川で鳴らされ、神の前で和平を誓う証とされ、信玄も信濃攻略にたびたび利用している。
諏訪神社には,「さなぎの鈴」と称する鉄製の小型宝鐸が存する。6個を1連としたものが3組存した。その主たる役割は,神使と称する童子が,管内の3方面(内県,外県,小県)へ巡回するのに,この宝鐸を携行したことに依るとされている。細田貴助先生の『県宝守矢文書を読む』によると,「さなぎの鈴」は,宝鈴として扱われているが,「八栄の鈴」と称されるものとは異なる由である。
諏訪神社では,鐸鈴を,何故に,「さなぎ」と呼称したのであろうか。宝鐸は,鉄板を筒状に丸め,内部に,舌を組み込んだものである
3   名前:  名無しさん@chs   2008/01/09(水) 13:22:53   ID:1331985abc
北畠親房は「天の瓊矛」がどこに行ってしまったのかという問題に関心を持った。第一の候補は、皇孫が降臨した時に携えていた矛である。こういう矛があることは、「旧事本記」や「古語拾遺」に書かれている。第二の候補は、出雲の国譲り神話に登場する「国平定の矛」である。第三の候補は、伊勢神道書に書かれているもので、伊勢神宮の鎮座地を指し示すために天から投げ下された「天の逆矛」である
4   名前:  名無しさん@chs   2011/11/22(火) 11:51:22   ID:QxnCcW+k
ベルは、ガンターとも言われる代表的なチベット仏教の密教法具のひとつ

ドルジェとは、バジュラとも呼ばれるチベット密教法具のひとつです。ベル(ガンター)と一緒に使用することが多い
密教で、外道悪魔を破砕し煩悩(ぼんのう)を打ち破る象徴として用いる法具。真鍮(しんちゅう)・鋼(はがね)などで作り、中央の握りが細い。両端のとがった独鈷(とっこ)杵、両端の分かれている三鈷杵・五鈷杵などがある
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【10:102】 鴨の一族

1   名前:  名無しさん@chs   2007/04/16(月) 21:53:23   ID:c893d1b20e
鴨長明は、もともと京都・下鴨神社(賀茂御祖神社=かもみおやじんじゃ)の有力な神官の出身でした。京都の東で、賀茂川と高野川が合流して鴨川になりますが、その2川が合流するY字状のところに下鴨神社があります。長明は、保元の乱が起こる前年の1155年ころ、この下鴨神社の神官の家の次男に生まれたんですね。鴨の一族は王朝以前から京都盆地の鴨川流域を開発した古い豪族で、代々、京都の水を守る鴨神社の神官を勤めていたんです。御手洗川とは、下鴨神社の森に流れる、京都の水への祈りが捧げられた神聖な川でした。
93   名前:  名無しさん@chs   2010/01/12(火) 12:41:44   ID:oCK9NMfk
賀茂注進雑記
或神書に云天地未分まろかれたる中に大もとの御神まします
清るは天となり濁れるはくだりて地と成しより
陰陽の両神わかれましまして陽徳の御神は天の事をつかさどり
陰徳の御神は國土をしろしめすといへり
又云当社の託し給へる神詠に
ちはやぶる わけつち山に 宮居して 天くだること 神代よりさき
と託し給つるとみえたり
同私記に賀茂御神は陰徳にして男神 伊勢は陽徳にして女神に坐す
94   名前:  名無しさん@chs   2010/01/12(火) 12:45:48   ID:oCK9NMfk
大場磐雄説
古墳時代以降の遺品中に銅鐸の末裔と推定
される遺品は全く存在しない。
以上のべた通り銅鐸の使用は我が上古時代のある時期に栄えたが、
古墳時代に入っては殆ど跡を絶つという変則的な現象を示しており、
従ってこの使用者に何等かの変動が与えられた結果と解せざるを得ない
のである。
あたかもよしこの事実はカモ・ミワ氏族−−即ち出雲神族−−が、大和朝廷
の設立に際し、旧来の国土を奉献した国譲り神話を裏書していると言うべき
ではあるまいか。
銅鐸が前記二氏(カモ・ミワ 二氏)の使用品で、一種の宝器(宗教的な)であったとすれば、
一族の権威の象徴たる理由から、征服者側からは没収または奪取したであろう
し、所有者側からは隠蔽した場合があったと推察される。
95   名前:  名無しさん@chs   2010/01/12(火) 12:47:46   ID:oCK9NMfk
田中巽説
銅鐸は、尾張連と関係が深いところから多数出土しているとする。
尾張連は記・紀には断片的にしか出てこない。
新撰姓氏録には火明命を祖神とする尾張氏五、六氏があげられているが、
尾張氏の性質は明らかでない。
先代旧事本紀「天孫本紀」に尾張氏系譜があるが、これをどこまで信用
できるかが、また問題である。
尾張氏の一派である伊和部(後に石作部と呼ぶ)のように、
出雲系の神を奉祭したものがあることなどから、尾張氏は出雲系に繋がった
氏族であると見ている。
96   名前:  名無しさん@chs   2010/01/12(火) 12:48:23   ID:oCK9NMfk
谷川健一説
谷川氏は、伊福部と関係のある場所から、銅鐸が出土していることに
注目している。
また伊福部は、銅を吹く、即ち銅の鋳造に携わったものとみている。
伊福部は大己貴命(オオナムチノミコト)を始祖としている、出雲系の氏族である。
また、常陸国風土記逸文に、伊福部神が雷神として出てくることに注目
している。
97   名前:  名無しさん@chs   2010/01/12(火) 12:49:18   ID:oCK9NMfk
出雲国風土記に、意宇 オウ 郡:賀茂の神戸というのが見えますが、
これは和名抄の能義 ノギ郡の賀茂・神戸であるとされ、現在の安来市
に当たることとなりますから、現在の加茂町とは全く違う場所です。
98   名前:  名無しさん@chs   2010/01/12(火) 12:52:31   ID:oCK9NMfk
唐古・鍵遺跡では1977年の調査で銅鐸鋳型の外枠が出土しています。
九州から銅鐸の鋳型が発見

出雲の神庭荒神谷遺跡から大量の銅剣が出土
神庭荒神谷遺跡からさほど離れていない加茂岩倉遺跡から、大量の銅鐸が出土
99   名前:  名無しさん@chs   2010/01/12(火) 12:54:50   ID:oCK9NMfk
加茂岩倉銅鐸:III-2式
二世紀、三世紀まで埋めたり出したりしながら使いつづけたかもしれない

大阪の跡部銅鐸
III-1式で1989年に発掘したときは、まだ金ピカだった。
作ってすぐ埋めたから現在まで金色のままだったんでしょう。
埋めたり出したりだったら光沢を失って錆びているはずですよ。
100   名前:  名無しさん@chs   2011/04/16(土) 13:20:55   ID:sHo5/d9Y
>>95
>尾張氏は出雲系・・・・・・
天火明を始祖とする尾張氏は、国津神系でなく紛うことなき天津神系でしょう。
101   名前:  名無しさん@chs   2011/05/28(土) 12:35:19   ID:hbSLTb6E
>>14
鴨氏は、饒速日の後裔なの?
50 : 名無しさん@chs 2007/11/24(土) 14:20:21 ID:d9c9ddc1b6
大三輪(大神)氏・賀茂(鴨)氏
大物主櫛甕玉尊(饒速日:ニギハヤヒ)━天日方奇日方命 ━ 飯肩巣見命 ━ 建甕槌命 ━ 意富多多泥古命 ━ 大御気持命 ━ 大鴨積命(賀茂(鴨)氏祖)
溝咋神社・・・・・
宗像三神
www1.atchs.jp/test/read.cgi/tokyoblog/77/50-50
102   名前:  名無しさん@chs   2011/11/20(日) 15:55:30   ID:wALUD24Q
>>101
その系図は、鹿島神建甕槌や三輪氏祖意富多多泥古が挿入されていて
怪しいですね。
『釈日本紀』に引用された『山城風土記』に、鴨県主の始祖建角身が
日向の曾の峯に天降り坐しし神と記されている。
賀茂氏も天孫部族だったわけだ。ニギハヤヒやニニギより以前に九州に上陸し、
各地に移住したのですね。出雲加茂・安芸賀茂・美濃加茂などへですね。
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キーワード【京都 下鴨神社 おやじん
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