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古代史探訪 by TokyoBlog

41 : 朝廷別王 丹波道主王(25)   42 : 秋津島(28)   43 : 豊受姫(57)   44 : 酒の神(21)   45 : 鉄と木と鍛冶と踏鞴(162)   46 : 皇妃(母系)でみる欠史時代(79)   47 : 大毘古((58)   48 : 雑賀 穂積 紀州(19)   49 : 九州王朝(39)   50 : 天を祭る(14)  

51 : 愛知 静岡 三重 の神社(91)   52 : 讃岐の藤原氏(52)   53 : 諏訪神社 建御名方神 南方刀美(50)   54 : 淡海(102)   55 : 霊剣 布都御魂(171)   56 : 絹 麻 織物(10)   57 : 2−3世紀 卑弥呼の時代(34)   58 : 天智天皇 天武天皇(49)   59 : 謎の4世紀(18)   60 : 小野神社 天下春命 瀬織津姫(24)   61 : 出雲の謎(22)   62 : 麻績天長白羽神 天白 天白羽命(38)   63 : 旧唐書 倭国と日本国(10)   64 : 魏志倭人伝 『三国志』魏書東夷伝倭人条(1)   65 : 出雲國造~賀詞(29)   66 : 海幸彦 山幸彦 天火明命(27)   67 : 吉備 毛野(140)   68 : 常陸風土記 多氏(53)   69 : 淡海 伊邪那岐(63)   70 : 山幸彦 天津日高日子穂穂手見命(42)   71 : 神社の始まり(28)   72 : 物部氏(131)   73 : 船神(26)   74 : 五十猛神 伊太氏神 伊太祁曽神(55)   75 : 九州 磐井 宗像(117)   76 : 大山祗神 大山積神(44)   77 : 上総国 玉前神社(52)   78 : 羽衣伝説 神社(58)   79 : 考霊天皇(31)   80 : 薩摩 隼人 とは 海神との関係(53)   81 : 小彦名命 事代主(88)   82 : 神社の総数(11)   83 : 食物神(19)   84 : 可美真手命 宇摩志摩治命(123)   85 : 丹生都比売 那賀(17)   86 : 欠史八代の年表(58)   87 : 金山彦 南宮大社 中山神社(24)   88 : 愛宕神社(12)   89 : 武蔵国高麗郡 高麗若光 白髭神社など(29)   90 : 饂飩(うどん)の起源に2説あり(43)   91 : 伊勢津彦 伊和大神(47)   92 : 葛城の歴史(33)   93 : 天児屋根命 比売大神 武甕槌命(8)   94 : 聖徳太子 蘇我氏(43)   95 : 荒田別 百済 木羅斤資(123)   96 : 火の神 軻偶土神 軻遇突智命(10)   97 : 空海 丹生氏(24)   98 : 土佐神社(4)   99 : 系図(55)   100 : 遷却崇神(17)   101 : 倭国 倭人(30)   102 : 道主 日葉酢媛(16)   103 : 事代主(29)   104 : 巴形銅器(48)   105 : 大化改新 皇極天皇 孝徳天皇(20)   106 : 木の神 久久能智命 久々智命(6)   107 : 天女伝説 羽衣伝説(5)   108 : 七夕の話(7)   109 : ppblogについて(9)   110 : アルバム・写真・画像掲示板(6)   111 : 縦書きエディター(2)   112 : 浦安を調べる(25)   113 : tokyo ニュース の開始です(6)  

【41:25】 朝廷別王 丹波道主王

1   名前:  名無しさん@chs   2010/07/10(土) 07:23:32   ID:x/b0tYG6
砥鹿神社
『式内社調査報告』
古來より一貫して大己貴命へと帰すべきであるとしているが、『三河國一宮砥鹿神社誌』では「保食神」「大木食神」「火産霊神」「朝廷別王」がある。
『日本の神々10』では、「社伝によると、当社の世襲神主家草鹿砥氏は穂別命の後裔であるという。この一族は穂別命と同族の日下部連の後裔と考えられており、当社は穂国造が奉祭したものと推定されている。」としている。


「朝廷別王」を祭神とする神社は三河宝飯(小坂井町)の多美河津神社

「朝廷別王命」を祭神とする神社は三河宝飯(形原町)の形原神社
16   名前:  名無しさん@chs   2010/07/10(土) 08:11:16   ID:x/b0tYG6
本巣国造・高坂神社
本巣国造の神大根王を祀る高坂神社
祭神:神大根、日子坐命、他。彦坐王は開化天皇の王子、神大根王は彦坐王の王子にて、母は息長水依媛也。この王は本巣國造及び長幡部連の祖也之。然して景行天皇の即位四年、神大根の皇女、 兄比賣、弟比賣の祀り賜いしものと傳う

神大根王は本巣国造で、長幡部連の祖。長幡部は織物の技を有する集団とのこと

常陸太田市に長幡部神社
「常陸風土記」に次の如く記されて居る。『郡の東七里、太田郷に長幡部の社あり。古老の曰へらく、珠売美萬命、天より降りましし時、御服を織らむ為に、従ひて降りし神の御名は、綺日女命、本は筑紫國の日向の二神の峰より、三野國の引津根の丘に至りき、後、美麻貴天皇(崇神天皇)の世に及び、長幡部の遠祖多弖命、三野より避りて、久慈に遷り、機殿を造り立てて、初のて織りき、其の織れる服、自ら衣裳と成り、更に裁ち縫ふこと無し。・・・』とされています。
17   名前:  名無しさん@chs   2010/07/10(土) 08:12:45   ID:x/b0tYG6
崇神天皇の時代に、東国において、当時の富の源泉である「絹」「絹織物」を覇権として、「桑木」の栽培を大掛かりに行ったのではないだろうか
18   名前:  名無しさん@chs   2010/07/10(土) 08:14:02   ID:x/b0tYG6
彦坐王は開化天皇の王子、神大根王は彦坐王の王子にて、母は息長水依媛也。この王は本巣國造及び長幡部連の祖也之。然して景行天皇の即位四年、神大根の皇女、 兄比賣、弟比賣の祭り賜いしものと傳う。
この兄比賣、弟比賣は、神大根王の皇女、兄遠子、弟遠子にあたる方なるは、古事記にしるされたるが如。然して兄遠子は、大唯命の妃となりたまいて、當國宇泥須和気之祖となりたまいし、押黒之兄日子王を生みたまいし妃也。弟遠子も同じく同命の妃となりたまいて、當國牟宜都君等之祖となりたまいし、押黒弟日子王を生みたまいし妃也
19   名前:  名無しさん@chs   2010/07/10(土) 08:16:43   ID:x/b0tYG6
日本武尊が東征のとき、美濃の国の善く弓を射る弟彦公が召されて参加している
「押黒之兄日子王」ではという説もある
20   名前:  名無しさん@chs   2010/07/10(土) 08:22:00   ID:x/b0tYG6
八坂入(ヤサカノイリ)媛 :八坂入(ヤサカノイリ)彦皇子の娘で播磨稲日大郎姫の後の皇后

成務天皇、五百城入(イホキイリ)彦皇子、渟熨斗(ヌノシ)皇女、五十狭城入(イサキイリ)彦皇子、弟(オト)姫皇女の13人を生んだとします

八坂入媛を娶る前に美濃においてその妹の弟(オト)媛を妃としょうとして訪れますが、弟媛は竹林に隠れてしまい、一計を案じた天皇が泳(ククリ)宮の池に鯉を放して弟媛を誘き出して宮に留め、妃としようとしましたが、弟媛はこれを固辞して姉の八坂入媛を薦めたと伝えます。
21   名前:  名無しさん@chs   2010/07/10(土) 08:33:37   ID:x/b0tYG6
関東の若建王

若建王は、一応14足仲日子(仲哀)の異母兄弟とされている。父親は13成務の兄・倭建。

「埼玉稲荷山古墳鉄剣銘」に「獲加多支鹵大王」と記されている。この若建王は、4世紀末から5世紀なので年代が古い。
稲荷山古墳は6世紀前半の築造とのことであるから、銘文中での「辛亥年」は、定説となっている471年ではなくて531年かもしれない。
22   名前:  名無しさん@chs   2010/07/10(土) 08:50:04   ID:x/b0tYG6
13成務は近江から動いていない。東国支配が進んだ。穂積ー物部との関係が気になる。

壬申の年の6月に大海人皇子(天武天皇)が挙兵したことを知った近江宮の朝廷は、各地に使者を派遣して鎮圧のための軍を興させた。このとき倭京への使者にたったのが、穂積百足とその弟穂積五百枝、物部日向であった
23   名前:  名無しさん@chs   2010/07/10(土) 08:52:03   ID:x/b0tYG6
纏向遺跡からは、全国の土器がでるが、東海系が多いのと、特殊器台などの吉備系祭祀土器がでる。
24   名前:  名無しさん@chs   2010/07/10(土) 08:59:37   ID:x/b0tYG6
垂仁天皇
治世15年春2月10日、丹波の五人の女を召して後宮に入れた。一番上から日葉酢媛(ひばすひめ)、渟葉田瓊入媛(ぬばたにいりびめ)、真砥野媛(まとのひめ)、薊瓊入媛(あざみにいりびめ)、竹野媛(たけのひめ)といった。
秋8月1日、日葉酢媛を立てて皇后とし、さらに妹の三人を妃としたが竹野媛だけは不器量であった為里に帰した。竹野媛はそれを恥じて葛野で自ら輿から飛び降りて死んだ。それでその地を名付けて堕国(おちくに)という。いま弟国(おとくに)(乙訓)というのはなまったものである。
皇后の日葉酢媛は三男二女を生んだ。一番目の子を五十瓊敷入彦命(いにしきいりびこのみこと)、二番目の子を大足彦尊(おおたらしひこのみこと)(景行天皇)、三番目の子を大中姫命(おおなかつひめのみこと)、四番目の子を倭姫命(やまとひめのみこと)、五番目の子を稚城瓊入彦命(わかきにいりびこのみこと)という。
妃の渟葉田瓊入媛は鐸石別命(ぬてしわけのみこと)と胆香足姫命(いかたらしひめのみこと)を生んだ。次の妃の薊瓊入媛は池速別命(いけはやわけのみこと)と稚麻津媛命(わかあさつひめのみこと)を生んだ
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【42:28】 秋津島

1   名前:  名無しさん@chs   2010/06/28(月) 14:07:20   ID:tb7e8IU6
秋津島宮(あきつしまのみや)で統治された天皇[孝安天皇]

秋津根王:鷲住王の子
19   名前:  名無しさん@chs   2010/06/28(月) 19:49:16   ID:tb7e8IU6
神武天皇の孫世代にあたる三上祝家の@川枯彦・川枯姫、次の世代のA坂戸彦・坂戸由良都姫、その次の世代のB国忍富・新河小楯姫という三代が引き続いて、物部氏の「@大祢−A出石心−B内色許男」の三代に各々世代対応し、いずれも三上祝家の姫が物部(穂積)氏の男に嫁いで、物部氏の次世代の長を生んでいます。具体的には、川枯姫が大祢命に嫁して出石心・大矢口根を生み、新河小楯姫が出石心に嫁して内色許男・内色許売を生み、坂戸由良都姫が内色許男に嫁して大水口宿祢を生んだと記されます。

大新河命と大売布命と後裔氏族が共通しており、両者は同人か親子かとみられます。大売布命は『高橋氏文』に見えて景行朝の人と分かり、大新河命のほうは大矢口宿祢に引っ張り上げられて崇神朝の人になると、両者の関係が親子になります。大売布命の母親は、その後裔に志紀県主が出ることから、倭志紀彦の娘の真鳥姫とするのが妥当とみられます
20   名前:  名無しさん@chs   2010/06/28(月) 19:55:17   ID:tb7e8IU6
浦島伝説のある場所、京都の宇良(浦嶋)神社、網野神社、嶋児神社。香川県三島詫間町、岐阜県中津川市、各務原市の市杵島神社、長野県上松町「寝覚の床」神奈川県横浜市の観福寺、慶雲寺など。
浦島伝説のルーツは「丹後国風土記逸文」にあるという。丹後半島にいた日下部首の子孫ということになっていたという。この浦島の祖先の日下部氏は、農耕技術、養蚕織物、稲作に欠かせない鉄の文化を導入したとされる
21   名前:  名無しさん@chs   2010/06/28(月) 19:58:27   ID:tb7e8IU6
御所(ごしょ)神社

別名、「瑜伽(ゆうが)神社」とも呼ばれる。

鎮座地 徳島県吉野川市鴨島町麻植塚字堂の本921

御祭神 大麻綜杵命(おおへつきのみこと) 

合祀 伊弉諾命 伊弉冉命 大山祇命 誉田別命 息長帯比

「阿波風土記曰く、天富命は、忌部太玉命の孫にして十代崇神天皇第二王子なり、
 母は伊香色謎命にして大麻綜杵命娘なり、
 大麻綜杵命(おおへつき)と呼びにくき故、麻植津賀(おえづか)、麻植塚と称するならんと云う」
(「麻植塚」は古墳名。また、現在も残る地名・駅名 )

「阿波風土記に曰く、大麻綜杵命の母は伊香色謎命なり按するに大麻綜杵命は阿波忌部族なるべし〜」とある。

また『かもじま町の歴史と豊かな文化財』には、
「大麻綜杵命は忌部の氏人の祖神」とも書かれている。
22   名前:  名無しさん@chs   2010/06/28(月) 19:59:59   ID:tb7e8IU6
「大麻綜杵命」は文献によって「大綜麻杵命」とも「大綜杵命」とも書かれている。
『先代旧事本紀』(天孫本紀)によれば、

大綜杵命は、饒速日命五世の孫で、父は大矢口宿禰、母は坂戸由良都姫。
孝元天皇の時代、大禰となり、ついで開化天皇の時代に大臣となった。
高屋阿波良姫をめとり、伊香色謎(開化皇后)、伊香色雄を生んだ、とされている。


 五世孫-鬱色雄命.
  此命,輕境原宮御宇天皇御世,孝元.拜為大臣,奉齋大神.
  活馬長沙彥妹-芹田真雅姬為妻,生一兒.
  妹,鬱色謎命.此命,輕境原宮御宇天皇,孝元.立為皇后,誕生三皇子.
  則,大彥命.
  次,春日宮御宇天皇.開化.
  次,倭姬命是也.
  春日宮御宇天皇尊皇后曰-皇大后,磯城瑞離宮御宇天皇,崇神.尊為-太皇大后.
  弟,大綜杵命.此命,輕境原宮御宇天皇御世,孝元.為大禰.
  春日率川宮御宇天皇御世,開化.為大臣,則皇后‧大臣奉齋大神.高屋阿波良姬為妻,生二兒.
  弟,大峰大尼命.此命,春日宮御宇天皇御世,開化.為大尼供奉.其大尼之起,始發此時矣.
23   名前:  名無しさん@chs   2010/06/28(月) 20:02:24   ID:tb7e8IU6
欝色雄命 (うつしこおのみこと)

孝元天皇の皇后・欝色謎命の兄。
開化天皇即位前紀に、穂積臣の遠祖で、欝色謎命はその妹であることがみえる。(『紀』)

『記』孝元巻には、内色許男とある。内色許売の兄であるとともに、孝元妃・伊迦賀色許売の父でもあったという(『紀』『旧』では、伊香色謎は大綜麻杵の娘)。

『旧』天孫本紀では、宇摩志麻治命の五世孫で、父を大矢口宿禰、母を坂戸由良都姫とする。
孝元天皇の時代、大臣になり、大神を斎き祀った。活馬の長沙彦の妹・芹田真稚姫を娶って、武建大尼(たけたつおおね)を生んだという。
24   名前:  名無しさん@chs   2010/06/28(月) 20:02:54   ID:tb7e8IU6
欝色謎命 (うつしこめのみこと)

孝元天皇の皇后。欝色雄の妹。
孝元七年二月、皇后となって、大彦命、稚日本根子彦大日日天皇(開化)、倭迹迹姫命の三人を生んだという。
開化元年一月、皇太后になった。(『紀』)

『記』孝元巻では、内色売とあり、所生の子を大毘古命、少名日子建猪心命、若倭根子日子大毘毘命(開化)とする。

『旧』天孫本紀に、宇摩志麻治命の五世孫で、父を大矢口宿禰、母を坂戸由良都姫とし、開化天皇の時代に皇太后、崇神天皇の時代に太皇太后になったという。
25   名前:  名無しさん@chs   2010/06/28(月) 20:08:26   ID:tb7e8IU6
穂積氏はニギハヤヒを祖とする物部氏の同族であり、いずれにせよ物部氏系の娘だとなるが、母の高屋阿波良姫が気にかかる。安倍氏の氏神は「高屋安倍神社」で、安倍氏族の高橋氏が奉ったのも「高家神社」。高橋氏との関係が考えられる。

大矢口宿祢は吉備津彦らとともに出雲討伐に活躍したと伝え、その子孫は中世の入沢氏(伯耆国日野郡の楽々福神社祠官)、名沢氏などであって、伯耆西部の日野川流域を中心に美作・因幡など周辺各地に分布が見られる。日野郡あたりの地域の平定には孝霊天皇が吉備津彦とともに活躍したとも伝え、いまも日野川東岸に孝霊山の名が残るが、この「孝霊」が大矢口宿祢に置き換えられるとしたら、伊予の越智国造(大新河の後裔氏族)が孝霊天皇の御子とする伊予皇子(実名を「彦狭島命」とするが、これはともに行動した吉備氏の稚武彦〔桃太郎伝説〕に当たり、誤伝)の子孫と称することと符合する。吉備系の楽々福神社が古層の製鉄神信仰として存在したという指摘(坂田友宏氏)もある。
 「天孫本紀」に兄弟と記される武諸隅命(矢田部造の祖)と大母隅連(矢集連の祖)とは、名前に「モロスミ」を共有しており、『書紀』崇神六〇年条の記事でも割注で同人と記すので、これらの事情から同人としてよい。
26   名前:  名無しさん@chs   2010/06/28(月) 20:08:58   ID:tb7e8IU6
大矢口宿祢についてもう少し述べておくと、崇神朝の出雲討伐の際にも、吉備津彦とその配下の犬・猿・雉が活動し(桃太郎伝説)、その平定後に、出雲を地域的に取り巻く形で同朝に国造配置がなされた???
27   名前:  名無しさん@chs   2010/06/28(月) 20:10:22   ID:tb7e8IU6
内色男命系(穂積系)
その子のE大水口宿祢(崇神朝。穂積臣・釆女臣、末盧国国造祖)、その同母弟のE大矢口宿祢(崇神朝。大新河命、武諸隅命、大毋隅連、武牟口命と同人)−F大売布命(景行朝の東国遠征に供奉したと『高橋氏文』に見)−G大小木宿祢(成務朝に遠江国造になった印岐美。豊日連、同上遠征に供奉)
28   名前:  名無しさん@chs   2010/06/28(月) 20:11:20   ID:tb7e8IU6
子致命(応神朝に小市国造。大新川命の孫と「国造本紀」に見える)
名前: メール: sage cookie

【43:57】 豊受姫

1   名前:  名無しさん@chs   2007/05/06(日) 05:17:26   ID:a8c4790fbb
宇迦之御魂神は、別名豊受姫神ともいい、稲荷神社の祭神。
屋船豊受姫神は、手置帆負神(讃岐国造)とともに建築の神様。
豊受姫大神とも。稲荷神と習合した。
伊勢神宮外宮に祭られている五穀豊穣の神様
48   名前:  名無しさん@chs   2007/12/12(水) 13:27:18   ID:8a818bd4ef
広瀬神社

御田植神事
午前11時。
殿上の儀が始まる。拝殿には注連縄が張られ、田んぼに見立てた斎場がつくられている。祭りのはじまりを告げる祝詞が奏上され、黒装束に牛の面をつけた牛役と、水干(すいかん)に烏帽子姿の田人(たびと)が進み出る。これから実際の田植えの手順を追って、拝殿での田植えがはじまる。まずは苗代づくり。田人が鋤(すき)を持って畦(あぜ)作りのまねをしながら拝殿を一周。続いて鍬(くわ)を持って畦を固めるまねでまた一周。そして神前に進みでて、竹をで苗代をならす仕種をする。次は種まきで、籾を入れた枡を持って「よき種まこう、福種まこう」といいながら、種をまく動作を繰り返す。続く苗代めぐりでは、田人が鋤をかついで苗の出来を見廻りつつ一巡りし、「今年は神様のおかげで良き苗ができました」と報告する。ここで苗ができたので、次は苗とり。まずは田人が東を向いて「東で八百」といい、続いて「西で八百、早乙女衆」というと、巫女が緋色の袴とたすきを身につけた2人の早乙女に苗に見立てた松葉を手渡す。そして早乙女たちが神前へ進み、田植えが始まる。牛役と田人が犂(すき)、馬鍬の順で田作りをして田植えの準備が整うと、早乙女たちが「この苗は、わがにはあらず広瀬なる、神のよさせし早苗なり、みてぐらは、わがにはあらず天に坐す、とようか姫の神のみてぐら」と神楽歌を歌って、苗を6本ずつ3段に並べて行く。これで殿上の儀が終了。この「とようか姫」は豊受大神のことで、伊勢神宮の外宮に祀られている食物を司る神様だ。
49   名前:  名無しさん@chs   2007/12/31(月) 13:22:42   ID:15fb60e76f
外宮祭神は豊受大神であり、記紀には、イザナギ、イザナミ両神の間に生まれた
ことになっているが、「丹後国風土記」では、天女・トヨウカメだとしている。
 トヨウケヒメは稲霊だという(延喜「祝詞式」の「大殿祭」脚注)。それがウカノミタマ
という神格になり、穀霊神・ミケツ神になり、それに奉仕した女性がウカノメ、ミケツ
神、トヨウケヒメ、オオゲツヒメ、トヨウカヒメ、ウケモチノ神となる
50   名前:  名無しさん@chs   2007/12/31(月) 13:23:56   ID:15fb60e76f
丹後国の篭神社社務所発行の「元伊勢の秘法と国宝海部氏系図」という本の奥
宮・真名井神社の項に「トヨウケノ大神の亦の名はアメノミナカヌシ(天御中主)・ク
ニトコタチ(国常立)で、その顕現の神をウカノミタマ(倉稲魂=稲荷大神)と申し、
アメノミナカヌシは宇宙根源の大元霊神である」と明記してある。
 「海部氏勘注系図」には歴代秘伝として「天御中主とは亦の名神魂、国常立、天
照皇大神、豊受大神で、すべて同神の異名である」ことを伝えており、「天照大神
は国常立尊すなわち大元神の所顕であらせられる」と
51   名前:  名無しさん@chs   2007/12/31(月) 13:24:52   ID:15fb60e76f
宇佐氏の大元は社地の大元山や厳島神社の「オオモト」にもつながり、島根、鳥
取、愛媛、岡山、高知の各県に20社に及ぶ大元(大本)神社につながっている
52   名前:  名無しさん@chs   2008/08/18(月) 14:54:48   ID:P9NuMRGw
知られざる酒の神 豊受大御神
伊勢」と言えば太陽神を祀る南の内宮(ないぐう)を指しますが、その北に五穀豊穣を司る豊受(とようけ)神を祀る外宮(げぐう)があります。
外宮こそ酒造りの神。

 丹後国風土記には、次のように書かれています。天女が水浴びをしているときに衣を隠され、天に戻れなくなりました。老夫婦の世話になりますが、お礼に酒を造って商売を始めます。これが大当たり。ところが金儲けに目がくらんだ老夫婦に追い出され、やがて亡くなります。死後、丹後の奈具に豊受神として祀られました。
53   名前:  名無しさん@chs   2008/10/18(土) 21:36:16   ID:a1cZVSco
宇迦之御魂神は、スサノオの子供
オオクニヌシ神がスサノオの娘の須世理毘売と結婚しようとしますが、スサノオも八十神が大反対をしてオオクニヌシ神を殺そうとします。それで、二人はスサノオから逃げ仰せます。仕方ナシニ、スサノオは二人の結婚を許します。その時の条件として、スサノオは大国村の主となるように命じます。そして、「其の汝がもてる生太刀・生弓を以って、汝の庶兄弟をば、坂の御尾に追い伏せ、河の瀬に追い撥ね、宇迦の山の山本に底津石根に宮柱ふとしり、高天原に氷木たかしりておれ」と命じます。そのときに、宇迦の山の山本に住んでいた人は、オオクニヌシ神に追われて、伏見に逃げて、その後、宇迦之御魂神は稲荷神社で祭らます
54   名前:  名無しさん@chs   2010/06/12(土) 08:39:21   ID:wEPkr4ms
ホツマ伝には、「トヨケ(豊受神)」が「ヒガシノキミ(東の君)」であるという記載があります(ホ04023)。また、トヨケの時代に西王母が来日したという記載もあります。三角縁神獣鏡には西王母・東王父が組になった図柄が多用されていますが、古代の中国でいう東王父とはトヨケのことに違いありません。トヨケはアマテル神(天照大神)の母方祖父(イザナミの父)です。またトヨケは、古代春日氏の直系先祖に当ります。

トヨケ→ツワモノヌシ→ココトムスビ→アマノコヤネ→アマノオシクモ→アマノタネコ→ウサマロ→(ヤマトクニオシヒト(孝安)→ヤマトフトニ(孝霊)→モモソヒメ)。
55   名前:  名無しさん@chs   2010/06/12(土) 08:49:33   ID:wEPkr4ms
天児屋根命の系図
天御中主尊ーー津速産霊尊──市千産霊尊──興台産霊尊ーー天児屋根尊ー天押雲命──天種子命ー宇佐津臣命(三笠臣)鏡の臣
56   名前:  名無しさん@chs   2010/06/12(土) 08:50:57   ID:wEPkr4ms
武仁尊(神武天皇)が十五歳でたったので、天種子命が、君を補佐する形をとり、『シラヤマの璽』を武仁尊に、国を治める『百の文(フミ)』を天種子命に、『八咫の鏡』を天押雲命に、『八重垣剣』
を櫛甕玉命に授ける。 ただし、『八咫の鏡』と『八重垣剣』は、鵜葺草葺不合尊の中宮である玉依姫が、川合の宮と別雷の宮に預け置いた。
57   名前:  名無しさん@chs   2010/06/12(土) 08:52:51   ID:wEPkr4ms
   天照大神(諱 若仁)
     │
     ├────────忍穂耳尊(諱 忍仁)
     │          │     ┌─奇玉火之明尊(諱 照彦)
   瀬織津姫(諱 穂乃子)   ├─────┤ 
                │     └─瓊々杵尊(諱 清仁)
              栲幡千々姫
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【44:21】 酒の神

1   名前:  名無しさん@chs   2010/01/23(土) 08:31:33   ID:/JXxtCrU
仲哀天皇8年(日本書紀356年)、秦の始皇帝の14世の孫という功満王なる人物が、中国の戦乱(当時は中国が南北朝に分かれ、特に北部は五胡十六国時代で混乱していました)を避け、日本列島へ渡来してこの地に神社を勧請したのが、大酒神社の始まりといいます。大酒神社は昔、大避神社と読んだようですが、これは功満王の「戦乱を避ける」の「避」にちなんだ社号だといわれています。
 さらに応神天皇14年(日本書紀372年)、功満王の息子にあたる弓月王(ゆんづのきみ)という人物が、百済から127県18670人の人々を従えて(!)、大和朝廷に帰化した、と社伝や『記紀』にも記載されています
12   名前:  名無しさん@chs   2010/01/23(土) 08:51:31   ID:/JXxtCrU
『古語拾遺』応神天皇
 軽嶋の豊明の朝に至りて(中略)秦公が祖弓月、百二十県の民を率て帰化けり。
『新撰姓氏録』左京諸蕃上 漢
太秦公宿禰
 出自秦始皇帝三世孫孝武王也。男功満王。帯仲彦天皇(諡仲哀)八年来朝。男融通王(一云弓月王。誉田天皇(諡応神)十四年。 来率廿七縣百姓帰化。献金銀玉帛等物。大鷦鷯天皇(諡仁徳)御世。以百廿七縣秦氏。以下略
13   名前:  名無しさん@chs   2010/01/23(土) 08:52:01   ID:/JXxtCrU
香春神社の祭神 辛國息長大姫大目命
 この神は息長帯姫をもじった神名なのか、香春神社を齋祀った氏族が奉戴した神のどちらかでであろう。 香春神社は初期の宇佐神宮の祭祀を務めた辛嶋氏や赤染氏に関連する銅採掘、精錬に関係する神社で、宇佐八幡の元宮とも言える。ここに出てくる氏族は秦氏の一族である
14   名前:  名無しさん@chs   2010/01/23(土) 08:53:44   ID:/JXxtCrU
新撰姓氏録  
  大里史 太秦公宿禰同祖 秦始皇帝五世孫融通王之後也
  秦宿禰 秦始皇帝五世孫融通王之後也  
  秦忌寸、高尾忌寸、秦人 秦宿禰同祖 融通王之後也  
  秦公 秦始皇帝孫孝徳王之後也  
  秦姓 秦始皇帝十三世孫然能解公

摂津国 新撰姓氏録 秦忌寸 太秦公宿禰同祖 功満王之後也  
  秦人 秦忌寸同祖 弓月王之後也  
      勝 上勝同祖 多利須須之
15   名前:  名無しさん@chs   2010/01/23(土) 08:55:59   ID:/JXxtCrU
松尾大社大
宝元年(701)に秦忌寸都理(はたのいみきとり)というものが、松尾山の神霊を勧請して現在地に社殿を構え、知満留女という斎女に奉仕させたのが、この社の創建とされている。
16   名前:  名無しさん@chs   2010/01/23(土) 08:57:07   ID:/JXxtCrU
松尾大社は、「大山昨神」(おぽやまぐいのかみ)と「中津島姫命」(なかつしまひめのみこと)の二柱を祭神として祀っている。『古事記』によると、大山昨神(またの名は山末大主神)は近淡海国の日枝山に坐し、また葛野の松尾に坐す鳴鏑(なるかぶら)を用いるなり」とあり、近江の国の比叡山と松尾山を支配する神であったと伝えられている。

松尾大社が全国の酒造家や醤油、味噌、酢等の製造及び販売業者の方々から格別な尊崇を受けているのは、この霊泉のためである。境内の神與庫には、全国の酒造家から奉献された酒樽の数々が並べてある
17   名前:  名無しさん@chs   2010/01/23(土) 08:57:54   ID:/JXxtCrU
「秦氏本系帳」によれば,大宝元年秦忌寸都里と川辺腹男が日埼岑から松尾に神体を勧請し,社殿を営み,田口腹女,秦忌寸知麻留女に御阿礼の神事を奉仕させたと伝える(本朝月令,松尾祭事)。
18   名前:  名無しさん@chs   2010/03/20(土) 09:55:57   ID:cEmMytdw
木嶋座天照御魂神社
元糺の三本鳥居を眺めていると、ここから平安京が開始されたのだという思いが強くなります
秦氏が創建した神社はこの蚕のやしろから、嵐山の松尾神社、伏見稲荷、そして多分に一族であろう、カモ氏の下賀茂神社と山背の国を築いた渡来系豪族であった訳です。

 歴史書で秦氏が有名になるのは聖徳太子さんの財政面を支えた時代です、秦河勝の時代でしょうか、日本の国宝第一号の広隆寺(蜂岡寺)の弥勒菩薩を新羅から招聘したのも河勝ではないでしょうか。

聖徳太子一族が滅亡するとともに秦氏は一時的に歴史の表舞台からは去りますが、密かに力を貯え桓武天皇の時代に強引に秦氏の故郷である、山背の国に都を移し建都する訳ですね。秦氏の御殿であった場所に御所を建設し平安時代が始まるのです。
19   名前:  名無しさん@chs   2010/03/20(土) 09:57:28   ID:cEmMytdw
弓月君以前から渡来して来ていた可能性はないのでしょうか。

宇佐神宮の近辺に秦王国を築いた彼らはいつ頃この奈良盆地に入植したのでしょうか。
20   名前:  名無しさん@chs   2010/03/20(土) 09:59:45   ID:cEmMytdw
『日本書紀』では応神天皇16年に朝鮮半島の百済から百二十県の人を率いて帰化したという。秦の皇帝(始皇帝とされる)五世の孫であり、渡来後、日本に養蚕・機織を伝えたとされる。
加羅(伽耶)または新羅から来たのではないかとも考えられている(新羅は古く辰韓=秦韓と呼ばれ秦の遺民が住み着いたとの伝承がある)。また一説には五胡十六国時代に氐族の苻氏が建てた前秦の王族ないし貴族が戦乱の中、朝鮮半島経由で日本にたどり着いたと言う説もある。この説に基づくと弓月君が秦の(初代の)皇帝から五世の孫とする記述もうなずける
21   名前:  名無しさん@chs   2010/03/20(土) 10:00:53   ID:cEmMytdw
隋書にある「秦王国」については、梅原猛氏の「聖徳太子」下巻に、「秦王国という以上、秦氏の国に違いないが、秦氏は、応神帝の時に来朝した弓月(ゆみつき)君の子孫である。姓氏録はこの弓月君なるものは、秦の始皇帝の五世の孫・融通王であるとする。秦王国は、この秦氏の多くいた国に違いないが、周防(山口県東部)、豊前(福岡県の一部と大分県の一部)ともいわれるが、明らかでない。」とあります。

秦氏は「新羅系」とする説が有力なようです。

その根拠としては、秦氏が多く住んでいたとされる地域から発掘された瓦は「新羅系」の瓦が殆どであったり、また秦氏の氏寺として知られる「広隆寺」にある国宝第一号として有名な「弥勒菩薩半迦思惟像」も、朝鮮半島の新羅地区で出土した弥勒菩薩半迦思惟像(現在、韓国国立中央博物館所蔵)と材質以外はうりふたつであり、しかも広隆寺の仏像の材料である赤松は、新羅領域の赤松であることが判明していることなどがあげられるようです
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【45:162】 鉄と木と鍛冶と踏鞴

1   名前:  名無しさん@chs   2007/05/25(金) 07:01:05   ID:f28a0b40d7
鉄と木と鍛冶 踏鞴
www.ten-f.com/tetu-ki-susanoo.html
153   名前:  名無しさん@chs   2010/01/12(火) 12:23:10   ID:oCK9NMfk
出雲の加茂岩倉遺跡(1996.10.銅鐸39個が出土)の、銅鐸の埋納坑近くの土中と、これから北西約3メートル離れた土坑の中から、
木炭の粉末が見つかっています

これら2個所の木炭片について、米国の分析機関で炭素同位体による
年代測定を行なった結果、
○埋納坑近くの木炭の年代は、B.C. 40±50年、
○土坑の中の木炭の年代は、 B.C.190±50年、
という結果が得られたことが新聞に報道されています。
新聞には、『加茂岩倉銅鐸の製作年代は紀元前2世紀ごろから
紀元後1,2世紀と考えられており、木炭の年代もこれに合致する。』
とも書かれています
154   名前:  名無しさん@chs   2010/01/12(火) 12:24:23   ID:oCK9NMfk
八王子遺跡
1997年 3月13日に、愛知県一宮市八王子の弥生遺跡の環濠の内側の場所から、
外縁付き鈕1式の流水文銅鐸が、縦に逆さまに埋まった形で見つかりました。
方形周溝墓の下から見つかったそうです
新聞報道
『銅鐸は高さ21.6cmと小型であることや、表面の模様から弥生中期前葉
(紀元前2世紀ごろ)に近畿地方南部の技術者が作ったと推定された。』
『同時に出土した土器の特徴から、紀元前1世紀ごろ地中に埋めて処分
されたことも判明。』
155   名前:  名無しさん@chs   2010/01/12(火) 12:29:08   ID:oCK9NMfk
徳島市国府町矢野遺跡の出土銅鐸
矢野遺跡は徳島県の弥生遺跡を代表する集落遺跡です。その推定範囲は南北約
2km、東西1kmにおよぶ、弥生時代中期から後・終末期の集落
銅鐸の分類は突線鈕5式6区袈裟襷紋銅鐸
   木製容器に土とともに埋められた
   埋納坑に埋められた
   埋納坑上に施設があった
   その施設は取り壊されている
156   名前:  名無しさん@chs   2010/01/12(火) 12:30:39   ID:oCK9NMfk
佐原真氏の著書
銅鐸の分類、これに対応した製作年代と弥生時代の時期区分

[銅鐸の分類] [製作年代] [時期区分]
最古段階
I-1式(菱環鈕1式) 前3〜前2世紀 弥生 I期
I-2式(菱環鈕2式) 前2世紀 I期
古 段 階
II-1式(外縁付き鈕1式) 前2世紀 II期
II-2式(外縁付き鈕2式) 前2〜前1世紀 II〜III期
中 段 階
III-1式(偏平鈕1式) 前1〜後1世紀 III〜IV期
III-2式(偏平鈕2式) 1世紀 IV期
新 段 階
IV-1式(突線鈕1式) 1〜2世紀 IV〜 V期
IV-2式(突線鈕2式) 1〜2世紀 IV〜 V期
IV-3式(突線鈕3式) 2世紀 V期
IV-4式(突線鈕4式) 2世紀 V期
IV-5式(突線鈕5式) 2〜3世紀 V期
157   名前:  名無しさん@chs   2010/01/12(火) 12:34:26   ID:oCK9NMfk
黒塚古墳
黒塚古墳の竪穴式石室の側壁は下部40センチほどに河原石を垂直に
積み上げ、この上に板石を持ち送るようにして造られており、この河原石を垂直に積み重ね
る技法が2世紀後半から3世紀前半にかけての吉備地方で作られた石室の技法と同じだとい
うことで、大和と吉備との強い結び付きを窺わせます
158   名前:  名無しさん@chs   2010/01/12(火) 12:36:07   ID:oCK9NMfk
“銅鐸が作られ始めた年代に関しては、大別して弥生時代中期後半以降とする説
(鎌木、杉原、三木)と、前期後半にさかのぼるとする説(佐原)とに分かれるように思
われる。鉛同位体比に、この問題を考える手がかりはないだろうか。
 筆者らの定義によるα類の銅鐸が、中国系の原料が日本に入っていない時期、もし
くは入っていても量が少ない時期とすれば、B.C.108年前漢の武帝による楽浪郡など
四郡設置の前後ということになる。これは、中国の歴史年代を基準にしている点では
従来の推論と同じであるが、土器・武具形祭器との比較とか使用尺度からの年代推定とは全く違う指標に基づいている。
 製作年代の下限についても同様な議論が可能なはずであるが、弥生時代末期から古
墳時代前期にかけての青銅遺物の測定が不十分なので、まだ多くを語れない。ただ判
っきりしていることは、現在までの測定例では前期古墳出土の倣製鏡に“前漢鏡タイ
プ”の鉛はなく、銅鐸との間に一線を画している
159   名前:  名無しさん@chs   2010/01/12(火) 12:39:22   ID:oCK9NMfk
 朝鮮半島南部での銅鏡の副葬は、百済・武寧王陵の4枚が多い程度で、銅鏡には群
馬県の古墳に同型鏡が存在し、木棺が日本特産のコウヤマキで、王冠には日本特産の
ヒスイ製勾玉で飾られ、文献でも『日本書紀』には九州の島で生まれたと記すなど、
倭国との繋がりが大きく、倭国からの影響か?
160   名前:  名無しさん@chs   2010/03/20(土) 09:42:09   ID:cEmMytdw
『続日本紀』には和銅元年2月、催鋳銭司が置かれ、多治比真人三宅麻呂が任命されたとあります。ここに、和同開珎の鋳造が始まりました。和銅2年8月には、すでに河内鋳銭司が置かれていたことも記しています。
 実は、この和同開珎鋳造の中心として活動したのが河内鋳銭司でした。和同開珎は全国の遺跡から5000枚ほどが発見されていますが、とくに大和をはじめ河内・山城・近江などで多数出土しています。

河内鋳銭司がどこにあったのかは分かりません。政庁の河内国府に近く、16枚の和同開珎が発見された藤井寺・柏原市境に広がる船橋遺跡の地をあげる見方があります。

しかし、松原から美原の丹比野を候補地とすることもできます。松原市岡・立部・丹南から美原町真福寺・大保・太井にかけては、平安時代以降、全国的規模で梵鐘をつくっていた丹南鋳物師の故地でした。もし、河内鋳銭司が当地に置かれていたならば、その鋳造の伝統を引き継いだとも考えられます。

この推定は、先の催鋳銭司に丹比野と関わる多治比氏が任命されていることや、のち多治比真人家主・多治比真人乙安といった官人が鋳銭司に関係していることからもうかがえるかもしれません
161   名前:  名無しさん@chs   2010/03/20(土) 09:46:58   ID:cEmMytdw
日本武尊すなわち小碓命には兄の大碓命がいて、二人は双子だったという説がある。もともと弟の小碓命は剛胆で武勇に優れていたが、兄の大碓命は軟弱であった。あるとき、景行天皇は前述の美濃の豪族・神大根王の子の姉妹を妃に迎えたいと思い、大碓命にその使いを命じたところ、彼は使いにいったがその姉妹が大変美しかったので、天皇に内緒で二人とも自分の妃にし、かわりの姉妹をたてて知らん顔をしていたが、間もなくそのことがバレてしまった。それにあれこれと事情が重なったため、天皇は怒って大碓命を美濃の国に追放した。つまり、天皇一族から勘当されて、美濃の豪族になったというわけである。それで、大碓命と姉・兄遠子の間に生まれたのが、「押黒之兄日子王」といい、美濃の国の「宇泥須和気」の祖になり、妹・弟遠子との間に生まれたのが「押黒之弟日子王」といい、身毛津君や守君の祖になったという。
162   名前:  名無しさん@chs   2010/03/20(土) 09:49:10   ID:cEmMytdw
牟宣都の君とは三野国にいた氏族。備前か美濃か。
播磨国風土記  印南の別嬢南毘都麻島に隠れ、その白犬、島に向かって吠え、居場所が判り景行と結ばれて、大碓命と小碓命を生む。犬が牟宣都の祖?
景行二十七年紀 美濃国に弟彦公(大碓命の子)と云う弓の名人がいて日本武尊のお供をした。牟宣都はモノノフ
雄略七年紀 吉備弓削部虚空が吉備下道に留められたのを身毛君大夫を遣わした。モノノフか密偵か?
天武元年紀 村国連男依、和珥部臣君手、身気君広を召して美濃の多臣品治に告げよ。密偵的行動。
延喜式 牟義都首は井戸をさらい、若水を汲むという宮中年一度の「主水の祭事」を司る。
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【46:79】 皇妃(母系)でみる欠史時代

1   名前:  名無しさん@chs   2007/06/05(火) 13:50:24   ID:17a9e72b28
書紀によれば

神武
カムヤマトイワレビコ 事代主&玉櫛媛
 姫タタラ五十鈴媛

綏靖
カムヌナカハミミ 事代主神女
五十鈴依媛

安寧
シキツヒコタマデミ 事代主神孫鴨王女
渟名底仲媛

懿徳
オホヤマトヒコスキトモ 息石耳命女
天豊津媛

孝昭
ミマツヒコカヱシネ 尾張連祖
瀛津世襲妹
世襲足媛

孝安
ヤマトタラシヒコクニオシヒト 姪押媛

孝霊
オホヤマトネコヒコフトニ 磯城県主大目女
細媛
70   名前:  名無しさん@chs   2010/03/11(木) 20:32:51   ID:gzlHR6y6
大和国山辺郡(天理市新泉町)大和神社「大和大国魂神、他二柱」大和大国魂神とは。
淡路国三原郡(南淡路市三原町)大和大国魂神社 伊香里という地名が近くにある
阿波国美馬郡(徳島県美馬町と脇町)倭大國魂神社
71   名前:  名無しさん@chs   2010/03/11(木) 20:34:41   ID:gzlHR6y6
『海部氏勘注系図』では武位起(タケイタツ)の子が宇豆彦すなわち椎根津彦

山幸彦−−−武位起(タケイタツ)−椎根津彦
山幸彦−−−武位起(タケイタツーー彦渚建鵜葺草不合尊−−神武天皇

越前国丹生郡(福井県朝日町)佐々牟志神社「鵜茅草葺不合神、神倭磐余彦尊、椎根津彦、武位起命」
72   名前:  名無しさん@chs   2010/03/11(木) 20:35:15   ID:gzlHR6y6
崇神天皇の時代に椎根津彦が初代だった倭国造の末裔に市磯長尾市と言う者がでます。彼は倭大国魂神を祀ります。倭大国魂神とは椎根津彦のことでしょう。長尾市はまた長尾神社を祀ったかも知れません。さらに長尾市は但馬の出石神社の神宝を取り上げに行きました。その出石神社の神官も長尾氏でした
73   名前:  名無しさん@chs   2010/03/11(木) 20:39:36   ID:gzlHR6y6
『古事記』に、椎根津彦の登場のシーンがあります。
故(カレ)、その国より上り幸(イ)でましし時、亀の甲(セ)に乗りて、釣りしつつ打ち羽(ハ)ふり来る人、速吸門(ハヤスヒノト)に遇(ア)ひき。(略)名を賜ひて槁根津日子(サヲネツヒコ)と号(ナヅ)けたまひき。
74   名前:  名無しさん@chs   2010/03/11(木) 20:42:43   ID:gzlHR6y6
多神社の祭神は珍子と天祖だそうです。珍子はチンコではありません。珍彦のことです。従って神知津彦の名がついて多坐弥志理津比古神社と言うのです。それが神八井耳命とされたのは、やはり八井は水のことで、甕につながっていると言うことのようです
75   名前:  名無しさん@chs   2010/03/11(木) 20:43:21   ID:gzlHR6y6
安寧天皇の皇子である和知都美とは倭知都美であり、神知津彦と同じ意味と考えられるとは『初期天皇后妃の謎』(大山元著)にも指摘されていることです。神知津彦とは瀬戸内海の水先案内の椎根津彦即ち珍彦であり、倭国造の祖とされている神です。
76   名前:  名無しさん@chs   2010/03/11(木) 20:44:45   ID:gzlHR6y6
宇須井原神社  和歌山市宇須
宇須神社 宇須彦神
創立年間は不詳。記紀の神武東征紀に、速吸之水門に至った時に一魚人が乗船して来た。 天皇之を招き名を聞くに、臣は是国神なり、名を珍彦と云い曲浦に釣魚す。 今天神の子来り給うを聞き奉迎すと。そこで名を権根津彦と賜う、これ即ち始祖である。
77   名前:  名無しさん@chs   2010/03/11(木) 20:46:30   ID:gzlHR6y6
阿波国美馬郡に式内社の倭大國玉神大國敷神社二座が鎮座、これが倭国造の奉斎する大和神社との関連があるのかも。板野郡にやはり式内社の宇志比古神社が鎮座、珍彦に通じるのかも
78   名前:  名無しさん@chs   2010/03/11(木) 20:48:39   ID:gzlHR6y6
祭神を宇豆彦命(珍彦)とする楫取神社(現在名:相浜神社)の由緒には〔天富命にしたがってこの地に渡り漁業を主として指導された〕とある。
79   名前:  名無しさん@chs   2010/03/11(木) 20:50:56   ID:gzlHR6y6
武内宿禰の父母は(カッコ内は古事記の表記)

父は第九代開化天皇と妃伊香色謎命の皇子で彦太忍信命(比古布都押之信命)。母は珍彦(宇豆比古)の妹・影媛(山下影比売)。父の彦
太忍信命は伝承では武雄の人だという。珍彦、莵道彦(宇豆比古)は神武東征の九州の場面に登場した椎根津彦で倭直の始祖(古事記
では木国造の祖)でどちらにしても父母が九州なら子の武内宿禰(建内宿禰)も九州
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【47:58】 大毘古(

1   名前:  名無しさん@chs   2007/05/02(水) 08:24:53   ID:5e5e643eb4
埼玉県行田市の埼玉古墳群の最北端にある稲荷山古墳から、銘文のはいった鉄剣が発見された。

「辛亥しんがい、かのといの年の7月、乎獲居臣(おわけのおみは)、遠い先祖である意富比危(おおひこ)に始まり、代々子孫たちが8代に渡って杖刀人とよぶ大王の親衛隊長として仕えてきた。私、乎獲居臣は、獲加多支鹵わかたける大王の宮廷に仕えて、大王を補佐している。」
意富比危#は大毘古、獲加多支鹵は大泊瀬幼武(第21代・雄略天皇)とみられる。このときの辛亥年は、471年にあたる。
「宋書」、倭王武は、中国、順帝2(478)年には、遣使を行った。

大毘古(大彦)は、第8代・孝元天皇の第一子で、母は、内色許売、第9代開化天皇の実兄である。
大毘古(大彦)の息子の建沼河別(武渟川別たけぬなかわわけ)は東海道12道を遠征した。
東海道12道とは、伊勢(伊賀いが、志摩しま)、尾張、三河みかわ、遠江とおとうみ、駿河、甲斐、伊豆、相模さがみ、武蔵むさし、総(上総かずさ、下総しもうさ)、常陸ひたち、陸奥をいう。
「日本書紀」孝元7年、兄大彦命は、是、阿倍臣、膳臣(高橋)、阿閉臣、狹々城君、筑紫国造、越国造、伊賀臣、凡そ七族の始祖なり。
49   名前:  名無しさん@chs   2009/01/27(火) 11:27:48   ID:vz1+w1mI
諏訪大社下社の大祝であった金刺氏が当初、下社秋宮脇に霞ヶ城を築き、後年その要害として桜城が築かれたとされる。 南北朝期には金刺氏は諏訪氏とともに南朝勢力に与し、北条高時の遺児・時行を奉じて北朝方の小笠原貞宗らと闘うが失敗に終わった。
50   名前:  名無しさん@chs   2009/01/27(火) 11:30:54   ID:vz1+w1mI
国史大辞典

「上社は神氏、下社は金刺氏であるとされるが、上社系も金刺氏であった可能性が強い。(中略)鎌倉時代、諏訪社の祭祀や造営は公の義務として信濃国に所領を持つ武士に賦課され、そのため祭祀に奉仕する武士たちにおのずから諏訪神の氏人としての同族意識が生じ神を名乗る武士が多くなり諏訪氏はその盟主となった。」(諏訪氏の項)
「中世以降は源満快流の源氏が諏訪氏を襲い全郡を統治した。」

諏訪神社のことが文献に見える初見は『日本書紀』で、持統天皇の五年(691)八月、降雨の多い災難のとき、使者を遣わして、龍田の風神、信濃の須波・水内等の神を祭らせたとある。龍田は大和の龍田神社、須波は諏訪神社、水内は善光寺付近の水内神社のことである。これによれば、須波神は風神としても信仰されていたことがわかる
51   名前:  名無しさん@chs   2009/01/27(火) 11:33:14   ID:vz1+w1mI
『延喜式』の神名帳には「信濃国諏方郡 南方刀美神社二座」とあって、ともに名神大社とされている。次に神階を見ると、承和九年(842)五月、南方刀美神に従五位下、同年十月、建御名方富命前八坂刀売神の従五位下が授けられてより、以後次第に累進して、天慶三年(940)建御名方富命が、永保元年(1081)八坂刀売神が、ともに正一位に達した。また、平安時代以来、諏訪神社は信濃国の一宮とされ、のちに仏教の影響から特に上社は南宮大明神・法性大明神とも呼ばれた。


下社の神主家は金刺舎人を祖とし、阿蘇大宮司の阿蘇氏と祖を同じくし、科野国造家から分かれたものと伝えられる。のち武力を蓄え、名字を諏訪と称し、また手塚ともいい、手塚太郎光盛は木曽義仲に従って勇名を馳せた。
上社の神主家は本姓が明かではなく、一般に神家といっている。出自については、建御名方命の後裔という説によれば、出雲神族の分かれと考えられ、大和の大神神社の社家大三輪家と同系だろうか。
52   名前:  名無しさん@chs   2009/01/27(火) 11:37:24   ID:vz1+w1mI
諏訪上社・下社の大祝家はともに、多臣(おおのおみ)族の金刺舎人直から分かれました。当時、国造科野直は国造一族を舎人として大和に派遣し奉仕させていました。その派遣された金刺金弓の子・目古が他田舎人氏となり上田盆地を本拠とし、金刺金弓の子・麻背が金刺舎人直氏となり飯田盆地を本拠とする、2つに分流しました。金弓は6世紀代の欽明天皇に仕え、金刺宮で舎人として臣従します。そもそも、金刺という名は欽明天皇の大和国磯城島の金刺宮に由来しています。

伊那地方を勢力圏にする金刺金弓は、舎人として欽明天皇の金刺宮に仕え信任をえて、金刺舎人直となり金刺を姓とします。金弓の子・麻背は同じく欽明朝に供奉し、やがて科野国造に任じられました。こうして科野国造の本拠地が善光寺平から飯田盆地に移ります。麻背は諏訪評に進出し、自分の子の兄の方・倉足を諏訪評督(ひょうとく)に、弟・乙頴(おとえい)を8歳で、現人神・諏訪大神大祝に就かせます。つまり諏訪郡の政務を司る評督職と神祇(しんぎ)を司る大祝職に分け、乙頴の社壇を湖南の山麓、今の上社に、倉足の評督所在地を今の下社周辺としたのです。神渡の下座(くだりまし)と上座(のぼりまし)の地点に定め、倉足の家系は湖北にあって政務にあったりますが、時代を経るに従い先祖を祀る氏神信仰が流行しますと、金刺氏も先祖を氏神として祀る社殿が必要になります。そして創建された氏神社が下社春宮・秋宮と社格を上げていった
53   名前:  名無しさん@chs   2009/01/27(火) 11:46:44   ID:vz1+w1mI
式内社 遠江國蓁原郡 敬滿神社
祭 神 敬満神 少彦名命
天照皇大神・速須佐之男尊
合 祀 建御名方命・事代主命・阿遇突知命・御食都神・高皇産霊神
例祭日 十月十五日
境内社 大楠神社・水神社
御由緒
 当社は、遠く垂仁の朝二十六年の創祀と伝えられ(社伝)文徳の朝、仁寿三年に名神に預る神社に列せられ(文徳実録)清和の朝、貞観二年には「正四位下」を授けられ(三代実録)醍醐の朝には、国幣大社の 列にあった(延喜式)ほどで、まさに古社であり名社であった。近世に至り徳川幕府からは、先規に倣って社領を寄進せられるなど、皇室を始め武門の崇敬が篤く、 古代榛原郡の中心榛原郷、その主邑たる初倉の 鎮護として、この地方の尊崇極めて温厚なるものがあった。降って明治維新の際、明治四年五月太政官より「官社以下定額」が布告された。それに因って郷土初倉の 産土神として、明治六年郷社に列せられ、次で神選幣帛料供進神社に指定された。
54   名前:  名無しさん@chs   2009/01/27(火) 11:50:22   ID:vz1+w1mI
遠江国(とおとうみのくに)
かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つで、東海道に位置する。現在の静岡県の大井川の西部に当たる
延喜式神名帳に記載される神社(式内社)は、大社2社2座、小社58社60座の、計60社62座である。大社2社はどちらも名神大社である。一つは蓁原郡の敬満神社で、島田市の敬満神社に比定されている。もう一つは浜名郡の角避比古神社であるが、1498年(明応7年)の大津波で流され、その後に各地で再建・遷座されたため、論社が3社あり、結論が出ていない。1871年(明治4年)に「角避比古神社」として国幣中社に指定されたが、その後、「鎮座地不明」として社格が除かれた
55   名前:  名無しさん@chs   2009/01/27(火) 11:51:15   ID:vz1+w1mI
大化前代物部系国造の遠淡海・素賀・久努の3国の存在が伝承されるが,大化改新以後, 律令制の整備に従い東海道に属する一国 ... か)・周智(すち)・山名・佐野(さや) ・城飼(きかふ)・蓁原(はいばら)の13郡となった。
56   名前:  名無しさん@chs   2009/01/27(火) 12:00:19   ID:vz1+w1mI
遠江国には、式内・角避比古神社(浜名郡)、式内・敬満神社(榛原郡)という名神大社があるにもかかわらず、一宮は、式内・小國神社(周智郡)、あるいは、式内・己等乃麻知神社(佐野郡)

 『和漢年代記』(室町時代末期)に「欽明天皇16年乙亥(555年)2月、大己貴命、遠州周智郡に現れたまふ。事任神社と祟む」とあります。周智郡にある「事任神社」は現在の「小國神社」だけです。これは、「人皇第29代欽明天皇の御代16年(555)2月18日に本宮峯(本宮山)に御神霊が鎮斎せられた。後、山麓約6kmの現在地に都より勅使が差遺せられ、社殿を造営し、正一位の神階を授けられた」とする同社の社記の記述とも一致します。
57   名前:  名無しさん@chs   2009/01/27(火) 12:03:03   ID:vz1+w1mI
式内・小國神社

御由来
 創祀は神代と伝へられ上代のことは詳でないが社記によれば人皇第29代欽明天皇の御代18年2月18日本宮山に御神霊が出現せられ奇瑞あり天聴に達し勅使を差遣せられ社殿を造営し正一位の神階を授けらる第60代醍醐天皇の延喜7年に勅して社殿を改造せられ延喜式内社に列す承和7年及貞観2年16年従四位の神階を奉る第96代後醍醐天皇の元弘建武変乱以来勅使が廃れ神主代りて其の式を行い戦乱相次ぐ室町時代に至も神事祭礼欠くる事無く朝野の崇敬極めて篤く遠江国一宮と称へ
58   名前:  名無しさん@chs   2010/03/11(木) 18:39:40   ID:pp93nGlM
阿蘇大宮司家
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【48:19】 雑賀 穂積 紀州

1   名前:  名無しさん@chs   2009/02/24(火) 19:49:08   ID:IK1Gpz56
鈴木を名字とする家は多くの流れが知られているが、そのほとんどは穂積を本姓としており、熊野三山信仰と関係が深い。穂積姓鈴木氏は熊野新宮の出身で、元来は熊野神社の神官を務める家系である

鈴木氏は紀ノ川対岸の雑賀荘(現在の和歌山市街周辺)を中心に周辺の荘園の土豪たちが結集してつくっていた雑賀衆の有力な家系のひとつで、十ヶ郷の指導者的な立場にあった
10   名前:  名無しさん@chs   2009/02/24(火) 20:20:04   ID:IK1Gpz56
雑賀氏家伝の『雑賀織江範正(家)系譜』あり。それによれば範正は萩藩士、格式は大組に属し、禄高は三百石。初代教行から十一代。宗祖は大織冠藤原鎌足の後胤雑賀少輔太郎範勝で、初代教行は、範勝十一代の孫刑部三郎範房の二男にあたる。一族紀州にあり。
 正平十七年(貞治元年)、教行、足利二代将軍義詮に仕え、のち相州、武州に転ずる。時、南北朝争乱期に入って十有余年、諸国に乱あり世さだまらぬころである。
 のち、四代常澄のとき、義詮に属して功があり、周防、長門、石見三国の守護となった大内氏に属し、居を備中国に移す。またその子範治のとき、周防吉敷郡に居住した。
11   名前:  名無しさん@chs   2009/02/24(火) 20:23:20   ID:IK1Gpz56
九鬼水軍
九鬼宮内少輔定驍フ子として志摩に生まれる・・・天文11年(1542)
本願寺を支援する毛利水軍を討つため、鉄張り軍艦の建造を信長より命じられ、伊勢大湊において大艦「鬼宿丸(きしゅくまる)」を含む甲鉄船6艘、そのほか各種兵船200艘を建造。
 6月26日、50余艘の船団を編成して鳥羽浦を出航。紀州の一向一揆の拠点であった雑賀(さいが)浦にさしかかり、雑賀門徒衆500艘の攻撃を受ける。嘉隆は敵船に火矢を放ち、自ら鋒をとって突撃。敵船30余艘を獲、敵将を誅殺して大勝利を得る。
12   名前:  名無しさん@chs   2009/02/24(火) 20:29:23   ID:IK1Gpz56
源平争乱のとき、鈴木氏族は熊野の別当湛増(たんぞう)から、榎本、丸子とともに「頼切りたる侍」とされ、熊野水軍の中枢たるべき武将となっている。また、重家は鈴木党の総領として頼朝から所領( 紀伊 )を与えられ御家人の列にその名をつらねている
13   名前:  名無しさん@chs   2009/02/24(火) 20:29:53   ID:IK1Gpz56
子之神社

悠久二千数百年の歴史を有する穂積宮司家には、天皇家と同様に、剣・鏡・玉の三種の神宝が伝えられています。八握神剣・八稜神鏡・八尺瓊勾玉と呼ばれるものがそれで、当神社本殿(奥の院)に奉安されています。このうち、八握神剣・八尺瓊勾玉は、当家始祖 饒速日尊以来伝えられたもので、十種の神宝の根本ともいわれる霊宝です。そして八稜神鏡は、朝廷に古来より伝わった、日月二面の八咫の鏡のうちの一面といわれ、『月輪 八稜の鏡』と称され、これは南北朝時代末期、代々南朝に仕えてきた当家祖先が、南北朝の合一後、後亀山天皇より南朝の正統を受け継がれた南帝 小倉宮良泰親王(第100代 招慶院天皇)より託された神宝と言われ、この時、この神鏡とともに、歴代の天皇が行われた『はふりのみわざ』という、天皇のみが行い、伝えてきた神法(南朝 大覚寺統にのみその正法が伝えられ、南北朝統一後、南朝の正統を受け継ぐ小倉宮家にひそかに伝えられた。)をも託され、現在まで守り伝えられています。
14   名前:  名無しさん@chs   2009/02/24(火) 20:39:54   ID:IK1Gpz56
古事記 孝元天皇の項
 孝元天皇と伊迦賀色許売命の子が比古布都押信命、この皇子と木の国の造の祖先の宇豆比古の妹の山下影日売の子が建内の宿禰とある。生誕の地に武内神社が鎮座している。
日本書紀 孝元天皇の項
 孝元天皇と伊香色謎命の子が彦太忍信命、武内宿禰の祖父である。
15   名前:  名無しさん@chs   2009/02/24(火) 20:40:26   ID:IK1Gpz56
 紀の国の紀氏 紀直 神魂命の五世孫の天道根命もしくは神魂命の子の御食持命を祖とする神別氏族 日前国縣神宮を祭祀している。
 中央の紀氏 紀朝臣 紀角宿禰(武内宿禰の子)もしくは屋主忍雄武雄心命(武内宿禰の父)を祖とする皇別氏族
  紀の国の紀氏は古墳時代初頭の昔から紀の国の豪族であったが、大和王権に媚びでその由緒を捨て去り、神別・皇別氏族へ鞍替えをした。
16   名前:  名無しさん@chs   2009/02/24(火) 20:48:39   ID:IK1Gpz56
穂積氏
 太古以来の大族で、物部氏と同族の饒速日命後裔で大和国山辺郡穂積邑発祥と伝えられる。
 伊香賀色雄命の子大水口宿禰の子孫が穂積臣、穂積朝臣を賜姓されるに始まる。
 後裔の紀州熊野系の穂積氏からは、熊野神社が全国に勧請されて大いに穂積姓鈴木氏が栄える。

饒速日命──宇麻志麻治命──彦湯支命──意富禰命──出石心大臣命──鬱色雄命──大水口宿禰─┐
                                              │
┌─────────────────────────────────────────────┘

└建忍山宿禰命──大木別垂根命──【穂積】真津─┬阿米──十能寸──鎌子──押山─┬巴提──福良
17   名前:  名無しさん@chs   2009/02/24(火) 20:51:34   ID:IK1Gpz56
緒川の伝説をもとに「穂積氏」は大和国山辺郡穂積邑に起きた氏族と言われ、現在の奈良県天理市あたりだそうです
穂積氏忍山宿弥命は伊勢国物部氏
18   名前:  名無しさん@chs   2009/02/24(火) 20:52:17   ID:IK1Gpz56
石切劔箭神社 東大阪市東石切町神社発行の参詣のしおりによれば、饒速日命は瓊々杵命(天孫降臨の孫)の兄 としている。先発隊として大和へおもむいたとの説明になっている。旧事本紀によるか。 物部氏の有力支族である穂積氏が祖神を祀ったとされる。
19   名前:  名無しさん@chs   2010/03/06(土) 12:27:06   ID:mtl7e3qg
わが国の『六国史』は帝家の旧記にして、華胄(かちゅう)の旧記、諸記録は主としてその家々のことに係る。広く一国民の生い立ちを明らめんには、必ず民俗学の講究を要す。 紀州日高郡産湯(うぶゆ)浦という大字の八幡宮に産湯の井あり。土伝(いいつたえ)に、応神帝降誕のみぎり、この井水を沸(わ)かして洗浴し参らせたりという。その時用いたる火を後世まで伝えて消さず。村中近年までこの火を分かち、式事に用いたり。これは『日本紀』と参照して、かの天皇の御史跡たるを知るのみならず、古えわが邦に特に火を重んずる風ありしを知るに足れり。実に有記録前の歴史を視るに大要あり。しかるに例の一村一社制でこの社を潰さんとせしより、村の小学校長津村孫三郎と檀那寺の和尚浮津真海と、こは国体を害する大事とて大いに怒り、百七、八十人徒党して郡役所に嗷訴し、巨魁八人収監せらるること数月なりしが、無罪放免でその社は合祀を免れたり。その隣村に衣奈(えな)八幡あり。応神帝の胞衣(えな)を埋めたる跡と言い伝え、なかなかの大社にて直立の石段百二段、近村の寺塔よりはるかに高し。社のある山の径三町ばかり全山樹をもって蔽われ、まことに神威灼然たりしに、例の基本財産作るとて大部分の冬青(もちのき)林を伐り尽させ、神池にその木を浸して鳥黐(とりもち)を作らしむ。基本金はどうか知らず、神威すなわち無形の基本財産が損ぜられたることおびただし。これらも研究の仕様によりては、皇家に上古胞衣(えな)をいかに処理せられしかが分かる材料ともなるべきなり。その辺に三尾川(みおかわ)という所は、旧家十三、四家あり、毎家自家の祖神社あり、いずれも数百年の大樟樹数本をもって社を囲めり。祖先崇拝の古風の残れるなり。しかるに、かかる社十三、四を一所に合集せしめ、その基本財産を作れとて件の老樟をことごとく伐らしむ。さて再びその十数社をことごとく他の大字へ合併せしめたり。 
南方熊楠
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【49:39】 九州王朝

1   名前:  名無しさん@chs   2008/04/27(日) 00:19:43   ID:Ck1i07Hg
大和にない年号がある
30   名前:  名無しさん@chs   2008/04/28(月) 11:37:10   ID:kDnf+pfU
鬼虎川遺跡は河内(大阪府東部)

弥生時代中期の
層から、青銅器鋳型4点と銅鐸形土製品1点が出土した。4点の青銅器鋳型の内訳は、銅鐸鋳型、銅釧鋳型、石突形青銅器
鋳型、不明青銅器鋳型で、いずれも和泉砂岩製である。これらの鬼虎川遺跡で出土した青銅器鋳型などの鋳造関係遺物は、
鬼虎川遺跡の中心部付近の極めて近接した地点で集中して出土しており、弥生時代の青銅器生産を考える上で学術上極めて
貴重な資料となっている。
31   名前:  名無しさん@chs   2008/04/28(月) 11:39:02   ID:kDnf+pfU
土の鋳型は奈良県田原本町の唐古・鍵(からこ・かぎ)遺跡を中心に出土しています。唐古・鍵遺跡遺跡では銅鐸のほかに銅鏃や銅戈、銅剣などの青銅器もつくられ、一大鋳造センターであったと考えられます
北部九州でも銅鐸や青銅製の武器形祭器が鋳造されていますが、北部九州では基本的に終始石の鋳型を用いています。近畿地方が石の鋳型から土の鋳型に移行した背景には、近畿地方が北部九州を介することなく、中国や朝鮮半島と直接交流を持つに至ったことがと推定されます。鉛同位体比による原産地推定も弥生時代後期には中国華北産鉛が使用され、これらによって巨大な銅鐸鋳造が可能となったのでしょう。
32   名前:  名無しさん@chs   2008/04/28(月) 11:43:14   ID:kDnf+pfU
日本一大きな銅鐸が発見されたのは滋賀県野洲町。
近江富士(標高432m):三上山の麓
近くの大岩山から 明治14年(1881年)に出土した14個、昭和37年(1962年)に出土した10個 計24個の銅鐸
33   名前:  名無しさん@chs   2008/04/28(月) 11:43:47   ID:kDnf+pfU
姫路の名古山では銅鐸の鋳型が出土
34   名前:  名無しさん@chs   2008/04/28(月) 11:45:32   ID:kDnf+pfU
銅鐸鋳型の破片出土−朝日遺跡−
出土した石型鋳型は破片であり、 砥石に転用されている
可能性があるので、直接的に製造を示すものではないが銅鐸
鋳造の可能性はさらに高まりました

従来は近畿地方以西に限られると考えられていた最古段階の
銅鐸生産が、東海地方で行われていた可能性を、示す点で重
要であり、銅鐸の近畿以東への伝播についても再検討が求め
られます

出土品は土器、石器、銅鐸、木製農具、骨角製とガラス製の装飾品等があり、金属器や石製の玉を作る工房も
ありました。
朝日遺跡は弥生時代の終りを待つことなく、衰退に向いますが、集落は古墳時代の前半まで継続して、遺跡の
各所で人々の活動の跡がみられます (朝日遺跡第14次発掘調査現地説明会資料による)
35   名前:  名無しさん@chs   2008/04/28(月) 11:48:24   ID:kDnf+pfU
土製鋳型の類例としては、現在10遺跡の出土例がある。内面に刻みなどの細工をしているものとしては、下鈎遺跡を含めて6例存在し、その内4例が滋賀県出土である点が注意される。

唐古・鍵遺跡(奈良県田原本町)
新沢一遺跡(奈良県橿原市)
玉津田中遺跡(兵庫県神戸市)内面刺突
平方遺跡(兵庫県三田市)
服部遺跡(滋賀県守山市)内面斜格子
下々塚遺跡(滋賀県野洲町)内面斜格子
石田遺跡(滋賀県能登川町)内面斜格子
吉崎次場遺跡(石川県羽昨市)
一針B遺跡(石川県小松市)内面斜格子
池島・福満寺遺跡(大阪府東大阪市)内面斜格子
36   名前:  名無しさん@chs   2009/10/25(日) 08:07:17   ID:NbUbjF+c
『二中歴』によれば九州年号の最後を飾ることになった大化がその前年の六九五年に改元されている。『日本書紀』はこの年号をその五十年前に大化の改新(乙巳の変)に流用し、岩波書紀の頭注は広大な天皇による徳化の意味としたが、九州年号がその前までそれと質を異にする白雉→白鳳→朱雀→朱鳥と年号を連ねているのを見ると、これは「大いなる変化」、転換に由来するのではないのか。その意味は白村江の敗戦によって転げるように凋落していった倭国が、それと対照的に昇竜のごとく近畿から立ち上がった日本に追い詰められ抵抗を繰り返していたが、もはや時代が倭国のものでないのを悟り、内部の軋轢を制し、実際的な明日の身分保証を大和朝廷に求め、つまり妥協路線への転換にこの年号の意味があったのではないのか。
www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou/kaihou25.html
37   名前:  名無しさん@chs   2010/02/16(火) 11:36:46   ID:gq99g03Y
五畿七道、全国68ヶ国、589郡、4029郷の郷名に律令体制に関係する名前としての駅家・
余戸・神戸・刑部の郷名があるが、この4つの郷名が西海道(九州)には見付からない

式内社も少ない
38   名前:  名無しさん@chs   2010/02/16(火) 11:38:30   ID:gq99g03Y
上記のHP
members.jcom.home.ne.jp/4313532601/page016.html
39   名前:  健太くん   2010/02/17(水) 05:51:32   ID:VBiFEEs2
昨日はエヴァの綾波コスの子にヌキヌキしてもらってきた(笑)
小柄なレイたんに手コキやフェラしてもらっちゃって、もう。。。(*´д`*)ハァハァ
ここって毎回5万もらえるし、色んなタイプの子がいるから楽しすぎるぜw
ttp://nuda.pocket-m.net/zk22hgh/
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【50:14】 天を祭る

1   名前:  名無しさん@chs   2007/06/21(木) 10:12:01   ID:a7c249be2a
天を祭る--->

三諸山を幸魂奇魂の鎮まる所として崇拜し。別に神體を齋かさればなるべし。伊勢三輪兩神宮の起りは此の如し。皆天を祭るなり。然れども伊勢は天照大神の御魂にて。三輪は大國魂の御魂といへば。直に其人を祭るが如く聞ゆ。因て早き時代より伊勢を天神。三輪を地祇と別ち。之を推究むれば。亦人鬼崇拜の堂の如くにも聞ゆ。因て後世に伊勢を大廟などゝ誤稱するものあり。其は次に辨明すべし。又天照大神の徳を日に比べて天照と申し。大日?(靈の下が女、≒靈女)貴と申奉る。故に五瀬命ハ我日神子孫而向日征虜。此逆天道也と云給ひ

地祇なし

大山津見の子孫ハ吾田國(今の薩日隅)君なり。海神は。記に阿曇連等者其綿津見神之子。宇都志日金拆命之子孫也〕とあり。又姓氏録にも見ゆ。伊豆伊豫の三島社。及隠岐に大山祇神を祠るは。吾田君の兼領地にて。筑前志賀島の海神社は。海神國なるべく。對島・壹岐・隠岐。但馬・播磨等の海神社は。其兼領地なるべきことは。已に史學會雜誌におきて辨したり。夫れ天照大神・月讀命は。日月を祭るに非ず。津守氏の住江津に祠る住吉社は。津神を祭るに非す。山神社・海神社も亦然り。又後世の地神祭。或は北辰祭は。皆陰陽道に出つ。是を以て日本に日月星辰を祭り。山海河津を祀ると思ふ者は。全く歴史を解せざる者の妄説にて。辨するに足らず。爰に辨ぜざるを得ざることは。神武帝以來の歴史に。明かに天神地祇を記し。後に神祇官を置き。神祇令を制し。續紀の元明帝聖武帝の宣命文にも。天坐神地坐神とあり。地祇とは如何なる神をいふにやと考ふれば。神祇令に。〔凡天神地祇者。神祇官皆依常典祭之〕と。義解に〔謂。天神者。伊勢・山城鴨・住吉・出雲國造齋神等類是也。地祇者。大神・大倭葛木鴨・出雲大汝神等類是也〕といへり。出雲國造齋神とは出雲の熊野社にて。出雲大汝神とは杵築の大社なり。熊野社は素戔鳴尊を祭る。因て天神とし。大社は大汝命を祀る。因て地祇としたるにや
5   名前:  名無しさん@chs   2007/06/28(木) 13:20:34   ID:f9f0f31a08
八倉比売神社
徳島県徳島市国府町屋野

祭神:八倉比売命(=大靈女命?)
境内社:2社
6   名前:  名無しさん@chs   2007/08/13(月) 12:24:33   ID:432a1621c9
 柳田は、「天つ神」について「玉依姫考」で4回ほど言及する。
一つが、ここに挙げたとおりで(1)、次(2)が『賀茂に於いては天つ神の御子が、人間の少女の胎に宿りたまふといふ神話があった』(同第9巻 218頁)と、「神職鴨県主氏の始祖」誕生説話で、「玉依姫」に「天つ神」が妊ませた子がそれとする伝説に触れ、(3)『玉依姫について述べた旧話が、遠く天つ神の人間の少女に通はれた云ふ、扶余の旧伝から筋を引いて居ることを示して居る』(同 59頁)と、「日本文化南方渡来説」として有名な『海上の道』なる著書を残した柳田の言としては、その真意を測りかねる『朝鮮半島の扶余渡来の「天つ神」』(⇔若宮は即ち太陽の御子説参照)と載せ、(4)は『自分の解する限りでは、八幡三所の中の比売神は女性の中で最も尊い方で、天つ神の霊を受けて神の御子を生みたまひ、其御子を伴いてこの国に臨み降られ、共に神として祭られたまふ御方である。即ち巫女の開祖である』(同 60頁)など、とある。
7   名前:  名無しさん@chs   2007/08/13(月) 12:27:13   ID:432a1621c9
隼人が生んだ八幡神というサイトの説では
www4.synapse.ne.jp/yatusiro/newpage2.html
柳田『折口君も神話といふ言葉を使わない。私も昔話の説明以外にはあんまり使わない。少なくとも世間の人の言ふやうに、記紀に書いてゐる言葉を神話とは見えゐない』‥中略‥
 折口『私も、日本の古伝承には、神話といふ語に当たるものがない、といふより、神話といふものを構成する原因が欠けてゐると思ふのです。それで神話といふ語は、特別の意味の外には使ひません。成立した宗教があって、それを系統づける基礎となった古伝承であって、はじめて神話と言へるのであって、宗教合理化の資材たる説話詞章なのです』(折口信夫全集 別巻3 571頁)などと、そこには、ある。
8   名前:  名無しさん@chs   2007/08/13(月) 12:30:53   ID:432a1621c9
柳田は、『八幡を応神聖帝とする説を裏切るような旧伝の如きは、私心ある者の寧ろ此が埋没を企つべきものである』(柳田国男集第9巻 58頁)とまで述べている。

、「宇佐の比盗_は、天つ神と神功皇后の間の娘で、阿多津姫や玉依姫に相当する御神子」???
9   名前:  名無しさん@chs   2007/08/13(月) 12:36:08   ID:432a1621c9
古事記

大山津見神とスサノオの子供:神大市姫神 宇迦之御魂神
「出雲」に登場する「大山津見神」には「男神・女神」の別は記されてはいない。ただし、「神大市姫神」と「木花知流比売」の二人の娘がある。
10   名前:  名無しさん@chs   2007/08/24(金) 11:15:10   ID:9b78b0703a
大神神社 主要祭事の神社としては、 狭井神社(さい) 大直禰子神社(おおたたねこ) 率川神社(いさがわ) 綱越神社(つなこし) 桧原神社(ひばら) 久延彦神社(くえひこ) などがある
11   名前:  名無しさん@chs   2007/08/24(金) 11:24:16   ID:9b78b0703a
天香具山(152m 奈良県橿原市)
山頂:国常立神社
説明板によれば

国常立命は天地開闢とともに現れた国土形成の神である。もう一神は雨の竜王である高おかみ神を祀る。高おかみ神の神殿前に壺があり、干天時に壺の水を換えて雨乞いをした。降雨がないと灯明の火で松明を作り、村中を火振りして歩いた。

舒明天皇の歌
    大和には群山あれどとりよろう
    天香具山登り立ち国見をすれば
    国原は煙立つ立つ
    海原は鴎立つ立つ
    うまし国そあきつしま
    大和の国は

天香具山神社は山麓に鎮座
祭神は櫛真命であるが、元は大麻止乃知神。
神社境内に「波波迦の木」がある。
説明では桜の一種でウワズミザクラなどと同じであるとある。
この波波迦の木の皮で香具山の牡鹿の骨を焼いて、吉凶を占う祭祀が行われた。
平成2年の大嘗祭の関連儀式で、宮内庁の下命で納めたという。
12   名前:  名無しさん@chs   2007/08/24(金) 11:29:01   ID:9b78b0703a
額井岳(813m 奈良県宇陀市)
登山口:十八神社
神倭伊波礼比古命(神武天皇)
由緒
伊那佐の山で疲れ食料もなくなり、「島つ鳥鵜飼が伴今助けに来ね」と叫ばれたが、「島つ鳥鵜飼」というのは額井の事であり、その縁でここに神倭伊波礼比古命を祀る
13   名前:  名無しさん@chs   2008/01/09(水) 13:46:59   ID:1331985abc
月読神社(京都府京田辺市大住池平)
祭神 月読神
「延喜式神名帳」に名神大社に列した古社である。月読命は御饌津神である豊宇気毘売神とも関係が深く、「書紀」の一書では「青海原の潮の八百重を治める神」とされている。月読神社は、私見では壱岐を発祥としており、鹿児島県にも多く、京都嵐山の松尾大社の摂社は、壱岐から勧請された。こう考えると、月読命は隼人系の神なのかもしれない。
14   名前:  名無しさん@chs   2010/02/05(金) 10:34:02   ID:kBfyBzo+
834年に小野篁らによって
施行された「令義解」(りょうのぎげ・養老令の注釈書)です。これ
によると天神は伊勢、山城鴨、住吉、出雲国造斎神(いずものくにの
みやつこいつくかみ=出雲・熊野大神?)などとされ、一般に中臣、
忌部、大伴、物部そして久米などの宮廷貴族の祖先神です。

国津神は大神(おおみわ)、大倭(おおやまと)、葛木鴨、出雲大汝(お
おむなち)神などとされて、宗像、安曇も地祇とされます。
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